森の少年
少年はいつものように狩りに出ていた。
物心ついた頃より、猟人だった父に連れられてこの森に入っていたため、森のことは隅から隅まで熟知していた。
厳しく寡黙であった父は、弓も剣もかなりの腕前だった。村の人の話では、以前は軍人だったらしいが、父にどんなに尋ねても本当の所は教えてはもらえなかった。
そんな父に幼い時から剣術や武道、そして狩りを教わり、更に少年の卓越した運動能力も助けとなり、12歳になった今では、村一番の猟人に成長していた。しかし父が生きていれば、自分は二番手のはずだった。
彼が最も得意としたのはナイフである。自分の3倍もの『森主』を、ナイフで仕留めたこともあった。
通常、狩りはチームで行うが、父が死んで一人になってからは、誰とも組むことはなかった。森の中での単独行動は危険なため、母親からも『猟組』に加わるように何度も説得されたが、彼は断り続けた。村の若者は逆に足手まといだったし、今でも父と組んでいたのだから。
今日も、いつものように『父』と森に分け入った。そろそろ姉の誕生日が近い。贈り物を買うために大きな獲物が欲しかった。
今日も良い獲物が狩れますように。
コウラの作戦は単純だった。
墮人鬼は今、湖の東の森に潜んでいる。そこで、勢子による囮部隊を湖の東岸、獲物の西に配置し、東に向かって前進させ獲物をおびき出す。そして背後から別働隊、こちらが本隊となる、が挟撃するというものだった。
墮人鬼が湖に向かってくると読んでいるのだ。今までの獣の痕跡を辿ると、確かに湖の東岸へ向かっているようだ。
部隊は二分され、本隊はテルネら渦動師6名と指揮官、副官が当たり、囮部隊は渦動師6名と勢子として参加させられた約50名の適応者で構成されていた。成功の鍵は囮部隊にかかっていた。囮に食いついて貰わねばならないが、獣の潜む森は広く、囮部隊は経験不足の渦動師ばかりである。
「勢子に警戒して、逃げ出したりしないのですか?」
テルネは、作戦説明の折にコウラに尋ねた。
「君はテルネだね?枢族出身だって?優秀だと聞いているよ。君は『コブ取り爺さん』の話を知らないのかい?鬼って奴は、人が騒いでいると釣られて出てくるものさ」
「何の話を・・・?」
「うん?知らない?そうか、例えが間違ったな。それは失礼」
コウラは笑っているようだが、仮面越しでくぐもった響きがするだけで、かえって不気味だった。しかし彼女は食い下がった。
「それに、囮部隊の構成に問題があります」
「若く未経験な者が多いと?それは可哀想だよ。彼らは十分な力を持っている。そういう者が選ばれたんだ。大丈夫だよ、これで。全てはこれでいいんだ」
「私を舐めているのか?この何処が・・・」
すると、副官が厳しい口調で、
「テルネ!お前らは指揮官の命令に従えばそれでいい。兵隊は余計な事に頭を使う必要はない!」
と彼女の話を遮った。
コウラの副官は女だった。確かシンクといったか。気に食わない女だ。妙に派手な軍服も気に触る。しかし彼女はそれ以上は追求しなかった。
シンクの言っていることの方が正しいのだ。
テルネはやっと配置場所に到着した。
別働隊の最右翼、北端にあたる。総勢8名の別働隊は、渦動師2人と指揮官、副官の4人が中央に配置され、彼女を含め三期以上の樹状痕を持つ渦動師4人は単独で左右に分散配置されていた。
さっきは『喰余り』が見つかったために、一番現場に近かったテルネが検分に向わされたのだった。
そこは鬱蒼とした森の中で、苔生した大きな岩が3つ、互いに接するように並んでいた。一番大きな岩は彼女の背丈を優に超え、大人4~5人でも抱えられない程の胴回りがあった。小さな岩も彼女腰高は越えていた。
「お父さん岩ってとこね」
ヒョイっと手をついて軽くジャンプすると、彼女は『お父さん岩』の上に登っていた。そして岩の上に座ると、立てた両膝を抱えた。眼を閉じる。
森から流れてくる音が、まるで音楽のように彼女の鼓膜を震わせ、皮膚、鼻腔、毛髪、芽など有りと有らゆる感覚を刺激した。
まるで作戦中だというのが嘘のようだった。
私は一体ここで何をしているのだろう?
そうだ。昔、タテガミと森で遊んだっけ。迷子になって大変だったな。
そうそう、あいつ、川に落ちてずぶ濡れになったんだっけ。
腹いせに私にも水をかけたから、下着までびしょびしょ。
彼女は思い出し笑いをしたが、直ぐに神妙な顔つきに変化した。
タテガミ・・・貴方はどこにいるの?