応急処置
シコーは手術道具の準備を始めた。彼の医術所には彼しかいないので、全てを一人でやらなければならなかった。以前は看護師がいたが、今はもういない。
「いつ頃に受傷したんですか?」
「30分程前だ」
少年の傷口を圧迫しながら、男の方が答えた。男は革製の仮面を付けていたため、表情が分からない。声もこもって聞こえるため抑揚の変化も掴みづらかった。
「応急処置はしたが、上腕動脈が損傷しているらしく、止血できない」
男の言葉は専門的で、シコーは思わず男を振り向いた。
「回術師ですか?」
しかし男は少年を見つめたままで、シコーの質問は無視した。
「この先の森でイザコザがあり、巻き込まれてしまった」
「森で?何でこんな怪我をしたんですか?森主ですか?」
男は一瞬考えた後、一緒に来た女に目配せをすると、女は外に出て行った。間も無く、彼女は大きな熊のような動物の死体を引きずりながらやってきて、それを床に放り投げた。流石に重かったようで、女は肩で息をしていた。
「墮人鬼・・・」
シコーは昔、こいつに殺されかけたことがあった。また、助けたことも・・・。つくづく自分と因縁のある化物だ。
「こいつの爪で切り裂かれた」
女は唾を吐くように話していた。栗色の長髪をアップにした、背の高い美しい女性だったが、言葉や動作に粗野な感じがした。鎧から露わになっている右肩の樹状痕はかなり発達している。若いがかなりの渦動師なのだろう。
シコーは再び少年のバイタルを確認した。血圧は相変わらず低いが、輸液の効果で心臓の拍動は少ししっかりしてきていた。
次に彼は処置の邪魔になる少年の上衣を剪刀で切り裂いていっが、服の下から現れた胸部を見て、彼の手は一瞬動きを止めてしまった。胸の真ん中には大きな縦の傷があった。傷は周囲の皮膚を巻き込んでかなり引きつっており、ピンク色にのたうっていた。まるで大きな虫が胸にへばりついているようだった。
この時シコーは気がつかなかったが、この傷痕は10年以上前にシコーが係わった手術の痕だった。傷痕がその後の感染症の影響でかなり変形していたことと、イワレがまだ小さかった頃の手術だったため、彼の記憶に結びつかなかったのだ。
シコーは清潔な布を少年の体にかけると仮面の男に圧迫をやめさせ、包帯を外し始めた。包帯は血液を吸ってかなり重くなっていた。包帯を取り除き、傷口を覆っていたガーゼを取ると、患部が露わになった。
傷口は上腕を斜めに5〜6センチほど切り裂いており、皮膚がめくれ上がって下の黄色の脂肪組織や筋肉がのぞていた。そしてすぐに真っ赤な血液がダラダラと流れ始めた。深さは骨まで達しているようだ。シコーはガーゼで患部を再び覆うと、患部を強く圧迫し直した。やはり動脈が破れている。このままでは出血多量で死んでしまう。手術するしかない。しかし麻酔は血圧を落とすので使えない。局所麻酔だけでは痛みの管理は難しいだろう。痛みのためにショック死する可能性も否定できなかった。しかしまずは止血しなければ。シコーは用意しておいた手術道具から鉗子と木の棒を取り出した。
「舌を噛まないように、これを噛ませて下さい。そして体を抑えて!」
そういうと、彼は木の棒を仮面の男に渡して少年の口に差し込ませた。そして血液を十分吸ったガーゼを外すと、白い粉を大量に振りかけた。彼が持っている唯一の局所麻酔である。白い粉は一瞬で血液に洗い流されていった。シコーは鉗子を傷口深くに突っ込むと、出血源らしき所を大雑把に挟んだ。
「ぐあ!」
少年はいきなり眼を見開くと、叫び声をあげ、身体を持ち上げようとし始めたため、仮面の男が少年を押さえ込んだ。少年は口に加えた木の棒をギリギリと噛み、口角からは泡を吹き出した。シコーが2本目の鉗子で傷口を挟むと、少年の体は突然ガクッと震えだし、意識を失った。




