喰余り
「酷いな・・・」
テルネはその残骸を見ると、思わず口を覆った。彼女は死体には慣れていたが、『共生者』といえども生理的に甘受できる限界がある。これは、それを余裕で超えていた。
奴らは内臓が好みで、獲物の自由を奪ったあとに、そこから喰らう。獲物は自分の内臓が、眼前で旨そうに咀嚼されている様を見つめるしかない。
内臓の後は太腿。そして二の腕、首・・・。
現場は崖の中腹に空いた、奥が浅い洞穴であった。
被害者は奥の壁にもたれかかり、出口から差し込む午前の柔らかな日差しが斜めに足元を照らしていた。
薄明かりの中、テルネはあらためて被害者の顔を確認した。その『喰余り』は、生前は14~15歳の娘であったと思われた。顔は比較的原型を留めていたが、その他の部位は腹部を中心に半壊していた。手足は投げ足されるように傍に地に落ち、頸は半ば食べられて白い頚椎が露出していた。口から大量の血が流れているのは、舌を噛み千切られたのだろう。角膜は濁ってはおらず、瞳孔が散大した瞳は驚愕に見開かれ、頬を伝わった涙の跡が哀憐をさそった。
「共生者だったのか」
少女は『共生者』だった。辛い思いを長時間味わったに違いない。
テルネは自分の手のひらを少女の頬に当ててみた。かなり冷えている。彼女からは何の反応もない。
「仕方ない」
テルネはため息をつくと、少女の腹に、正確には残った腑に、人差指を突き刺した。頬とは異なりまだ生温かく、少し体温が残っていた。血液の凝固もまだ完全ではない。指先から『アエル』の残滓を感じた。かなり弱い。バラバラにされているので、体温低下が早い事を考慮すると、死後1時間も経っていないだろう。
奴は近い。
テルネは自慢のブルネットの髪を右手で掻き分けた。髪がフワリと後ろに流れる。彼女の細く長い頸からノースリーブの右肩にかけて、まるで複雑に枝分かれした樹木の地下茎、それとも稲妻か、のようにも見える、やや赤身を帯びた痕が見てとれた。頸の痕はわずかな間に再び髪で隠されてしまったが、それは入れ墨のようにも見え、美しい彼女には不釣り合いの禍々しさが感じられた。
そして彼女は『喰余り』のあった洞穴からでると、眼下に広がる森を見つめた。森は朝の太陽を浴びて活動を開始していた。木々は風に合わせて葉を鳴らし、更に日光の照射を要求しているかのようだった。まるで餌を求めて水面で口をパクつかせる魚群のように。
テルネは報告のために、細身の銀の笛を取り出して空に向かって吹いた。しかし空気が吹き込まれる音以外、特に音は鳴らない。これは虫呼と呼ばれる笛の一種で、共生者以外には聞き取れない周波数の音を出すことができる。
否。
虫呼は聞こえるのではなく感じるのだ。身体の奥から反応し、ざわついた感じがする。脇に開けられた穴や吹き方、微妙な間隔の違いやピッチで、短文を伝えることができた。更に『符号』を合わせておくことで暗号化も可能で、軍用にも利用されていた。電気無線は開発されていたが、まだ不安定で雑音が多く使い物にならないため、軍用の連絡手段としてはまだ有線か虫呼が主流であった。可聴範囲は5キロとも言われるが、1キロ以内が確実である。今回のような広範囲に渡る作戦では、中継を設ける場合が多い。
暫くしてから、遠くで中継からの返信が聞こえた。
彼女は虫呼をしまうと、任務に戻るために森に向かって斜面を駆け下りた。