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共生世界  作者: 舞平 旭
西暦世界
25/179

沙耶

 10月の街は、既に凍えるような寒さだった。菊池は駅に向かうと電車の到着を待った。ポケットから非装着型のMTを出した。腕に着けるタイプは袖をまくらないと使えないため、冬は使い難い。多くの人は両方のタイプを併用していたし、MTはセットで売られているものが多かった。菊池も両方を利用していたが、時計型は手術中は使えないため非装着型を頻用していた。

 端末のモニターを広げ、プッシュされてきたメールとニュースを読んだ。スパムはAIがほぼ100%ブロックしてくれている。しかしこれも危うい。最近はAIを回避してくるスパムの話題で、ネットは持ちきりだ。昔からのイタチごっこは、今も続いていた。

 彼の端末にはAIが選んだニュースが配信されていた。


『新種の感染症が急性好酸球性白血病の原因か?ロイター: 米国ペンシルバニア大感染症学のリッドマン教授は、中央アジアに多い風土病と考えられていた急性好酸球性白血病が、ウィルスが原因では・・・』


『超低体温療法が実用化。MedScape: 現在行われているヨーロッパ救急医療学会にて、超低体温療法についての実用化の目処が立ち、来春より臨床試験が開始されると報告された。内容は同学会のepubに収載されるが、研究を行った・・・』


『新規抗がん剤が来年保険収載』


『腹腔鏡にイノベーション!新たな単孔式・・』


 菊池は端末を閉じた。そしてポケットの中の小箱を握りながら、今日、彼女に言うべき事を何度も何度も頭の中で反芻した。



 沙耶とは1年前に、ヨーロッパの学会に行った時の機内で知り合った。

 彼女は輸入雑貨を取り扱う会社を経営している女社長である。『輸入品雑貨卸業及び小売』というやつだ。従業員は数名で、彼女自身が直接仕入れに現地に行く場合が多い。ネット販売もしているが、メインはインテリアコーディネーターやフラワーアレンジメント教室などのお得意様に雑貨を卸している。その時もパリまで買い付けに向かっていた。


 バッテリーの改良は、地上からガソリン車を駆逐した。そして飛行機も電気化され、e-Planeと呼ばれる電気飛行機が国内線を中心に運行され、運賃は低価格化した。しかし国内線と異なり、e-Plane化されていない国際線の運賃はまだ高い。沙耶はビジネスにしか乗らないが、菊池のような大学務めの貧乏勤務医は、エコノミーしか乗れない。

 二人は会うはずがなかったのだが、菊池の予約にブッキングミスがあったために、幸運なことにエコノミーからビジネスに変更してもらえたのだ。その時、通路を挟んだ隣の席が彼女だった。


 菊池は初めてのビジネスシートに興奮していた。広いスペース、ゆったりとした、座り心地の良いシート。ウェアラブル端末も最新式だった。機内食もちゃんと食器に乗っており、エコノミーのようなプラスチック製ではない。ナイフとフォークも金属製だ。食事をとりながら、ガチャガチャとあちこちをいじり回し、


「やっぱ、世の中金だよなー」


 と呟くと、通路を挟んで隣の席にいた女性がクスリと笑った。


「あ、ごめんなさい。悪気はなかったの。なんか、楽しそうだなと思って」


 菊池は彼女を見た。彼女は茶色に染めた長い髪の毛を後ろにまとめ、眼鏡をかけていた。肌が透き通るように白く、グレーのスーツが良く似合っていた。菊池は思わず赤面した。


「いや、お恥ずかしい。初めてビジネスに乗ったもんですから・・・。お仕事ですか?」


 彼女は眼鏡を外しながら言った。


「ええ。あなたは?」


「私も仕事です。パレ・デ・コングレ・ド・パリで学会があります」


「じゃあ17区ですね。私もあの辺りで買い付けの仕事があって」


「パリは詳しいようですね。お恥ずかしい話、僕はパリには初めて行きます。学会でもない限り海外なんて行かれないので・・・」


「お医者さまなんですか?」


「まあ・・・。外科医です」


 といった途端、皿からポテトがコロコロと彼女の足元まで転がった。


「ナイフとフォークを扱うのは下手ですが・・・」


 と言って頭をかいた。彼女はお腹を抱えて笑い出した。ツボにはまったらしい。

 飛行機を降りた後、MTのIDを交換し、翌日の夜に二人はパリで夕食を共にした。そして彼女との付き合いが始まった。彼女も菊池も忙しく、月に2、3回しか会えなかったが、彼女にどんどん惹かれていった。



 今日、2030年10月12日、菊池はプロポーズをするために、沙耶の待つ元町・中華街駅に向かった。


 ****


 僕はなんでこんな所に閉じ込められているんだ?


 彼はパニックに陥った。手で正面の壁を叩く。ドンドンと響く音がしたがビクともしない。


 誰か、誰か助けてくれ。

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