もったいない
「ほほう。面白い構えをするね。彼女は強いのかい?」
コウラは、遠方からだったが、乗り出すようにテルネを見つめた。
「ええ。テルネの生家は代々、剣術使いで、死亡した父親は軍の剣術師範でした。彼女の戦果も多くが剣技で上げたものです。彼女と剣で互角に戦えるのは、空武様ぐらいでしょう」
「ほう。そりゃ強いな。是非頑張って欲しいものだ」
「コウラ様はあの女を応援なさるのですか?」
シンクは不快そうに尋ねた。元々怒鳴りつける以外に感情を表さない女性だったが、この時は少し違っていた。
「そりゃね。見た目も美しいしな。それに普通じゃ勝てないからね」
コウラたち二人は、ゆっくりと戦いの場に近づいていった。まるで特等席を探す観客のように。
暫し見つめ合うように動きを止めていたが、墮人鬼の方からテルネに襲いかかった。身体全体で体当りをするかのような勢いで前方に飛び上がると、鎌を彼女めがけて振り降ろしてきた。しかし彼女は軽々とそれをかわした。それは、とてもあっさりとした動きだった。
『半身の構え』の目的は、敵との距離を少しでも縮めることと、相手からの攻撃に曝す面積を、少しでも少なくすることだ。構え自体は、ヒトの身体構造に合ってはいないので、慣れないと動きにくい。しかし彼女はこの構えを自然な動きを妨げないレベルまで昇華させていた。剣に体重をかけにくいため、必然的に突きが多用されるが、斬りつけることもある。特にテルネは斬りを多用するのだが、その時に必要不可欠なのが『黎明』の切れ味だった。
空振りでスキができた獣に向けて、彼女は剣を斬りつけた。『黎明』は細身の刀身を軽くしならせながら墮人鬼の右肩から左側腹部にかけて、大きな斜め傷を作った。真赤な血液が噴き出す。
「ぶぐぎゃぁあら!」
テルネは返す剣で獣の首を狙った。テルネの左手首のスナップは、強力かつ高速に『黎明』を操作し、『黎明』にしなりを加えていた。剣のしなりは、剣の破壊力を数倍に増加させるのだ。そして、しなりの復元力も加算された『黎明』は、正確に敵の急所に向かっていった。
「決まった!」
しかし獣は素早く右手の鎌で防御してきた。獣の鎌と名刀『黎明』が交錯する。鎌も十分に硬く鋭かったが、『黎明』に叶うべくもなく、真ん中辺りで切断された。だがその犠牲により、『黎明』は獣の首を僅かに傷つけただけで、切断するには至らなかった。獣は雄叫びを上げながら、直ぐに間合いをとった。テルネは剣を軽く左右に振りながら、再び半身の構えに入った。獣の動きは、彼女の反応速度を優に超えていた。
しかし攻撃や防御に入るタイミングが少し遅い。
最初の一撃のズレといい・・・。
雨粒が彼女の額から流れて来るのを感じ、彼女はある可能性を確信した。
「・・・なるほどな。面白い。雨のお陰か?それとも奴らはみんなそうなのか?」
彼女は半身の構えのまま剣先をクルクルと動かした。まるでトンボの眼を回そうとしている子供のように。
「おい、お前の動きは見切ったぞ。確かに動きは素早いが、その視力では私には勝てない。そろそろケリをつけさせてもらう」
テルネの右肩が再び発光し、右手のひらには渦動波が蓄えられ始めた。今度は彼女の方から攻撃に入った。ぐうんと鞭が延びるように放たれた『黎明』の刃を、獣はなんとかかわしたかに見えた。
「まだ!」
彼女が左手首を捻ると、剣先がまるで生き物のごとく伸び、獣の胸の皮膚を切り裂いた。獣は胸を押さえて苦しみ、距離を取ろうと背後に跳躍した。
「チャンスだ!」
テルネは足を止め、渦動口を着地したばかりの墮人鬼に向け、隙だらけの獣の頭部に狙いを定めた。
どんなに奴が素早く動けるとしても、着地の瞬間はどうしようもない。
特に視力の悪いこいつには避けようがないはずだ。
「とどめだ、化け物!」
この距離は外さない。必中の範囲だ。
「さすが、テルネはやるね」
コウラは軽く口笛を吹いた。
「はい。あの若さでは数少ない逸材です。今回の作戦では一番の障害だと思います」
「そうか・・・。もったいなかったかな」
コウラは仮面の裏から微かに微笑んだ。
その時に何があったのか、テルネには永遠に理解できなかった。