黎明
この投射武器は『渦動波』と呼ばれる。渦動波はアエルのエネルギーを増幅して敵に発射する、渦動師の基本的な間接攻撃兵器である。触れた物質を組織粒子に変換して削り取っていくが、変換の際には莫大なエネルギーが消費されるため、渦動波は変換に伴いどんどん小さくなり、いずれ消滅する。物質が粒子化される時には熱エネルギーが放出されるため、その熱による焼灼と組織粒子による脈管系の閉塞により、傷口からは殆ど出血がない。
だが墮人鬼は身体にめり込んだような首を奇妙に伸ばして辺りを見渡すと、テルネに視線を合わせ、ゆっくり立ち上がった。
「ちっ!雨か!だが効いてる。私だけで倒せる。やってやる!」
墮人鬼に致命的な損傷を与えられなかった理由にはいくつかあるが、雨も大きく関与していた。獣に到達する前に、土砂降りの雨によって渦動波のエネルギーが削り取られたためだ。
現在、墮人鬼には渦動波の直接攻撃よりも、『渦動転移』が有効であることが知られている。何故ならば、渦動波はあまりに傷口が綺麗な兵器だからだ。墮人鬼は体の一部が消滅しても、そのまま攻撃し続ける。つまり渦動波ではストッピングパワーが弱く、獣が止められない可能性があるのだ。
かたや渦動転移は、アエルのエネルギーを他の物理現象に変換する技である。例えば炎。さすがの墮人鬼でも、火だるまにされては停止せざるをえない。
テルネも渦動転移は知っていたが、対人戦闘が主業務だった彼女に、エネルギー・ロスがある渦動転移は不要で、習得してはいなかった。これは別に彼女が特別なわけではない。墮人鬼が掃討された『貫匈人の反乱』から既に10年が経過し、墮人鬼は絶滅したとされていた。そのため当時、墮人鬼との戦闘経験を持つ兵士は少なくなり、渦動転移を得意とする渦動師も少なくなってきていた。
テルネは自分の渦動波が果たして墮人鬼に有効なのか不安だったが、手応えはあった。急所に当てれば致命傷を負わせることができるだろう。奴のスピードは驚異的だが、敵の動きには妙な癖があった。
獣はテルネを見つめながら、唸り声をあげ、歯を剥き出しにして彼女をにらんでいた。二人は足を止め、睨み合う形となった。
「醜い化物よ。さっきは残念だったな。お前が私を仕留めることができただろう、唯一の機会だったのにな」
テルネは左手で腰の剣を抜いた。すーっと鞘から現れてきた細身の長剣は、雨粒に濡れながらも、怪しい光を帯びていた。流石の獣も、その剣を眼にすると少し怯んだように見えた。
「わかるか、化物。この剣の力を」
この剣には銘があった。
『黎明』
彼女の家に伝わる家宝である。曾祖父が皇帝より賜った名刀で、代々テルネの家、多治比の家督を継いだ渦動師が相続し、現在はテルネが所有していた。
切れ味が鋭く、置いただけ、つまり刀の重さだけで骨肉が切れる、『人要らずの剣』と噂されている名刀である。三代にわたり戦場を駆けまわってきた黎明が、今まで吸ってきた血は数百に上る。
テルネは黎明が好きだった。構えているだけで心が落ち着く。彼女が家督を継いで良かったと思える唯一つのことだった。
代々渦動師や回術師を多数輩出する家系は枢族と呼ばれる。房の国では、国の要職を枢族が務め、絶大な権力を持っていた。多治比家は枢族の家系だったが『剣術家』としても名が通っており、『剣技の追求こそ渦動を追求することである』を信条としていた。
昨年父と兄が急逝し、彼女が若くして家督を継ぐことになった。女性が継ぐのは珍しくはなく、別に後悔はしていない。『家を継ぐ』という行為はとても大切なことだ。自分が生きていくことも容易くなるし、自分の遺伝子が後世に残りやすくなる。
しかしタテガミとは結婚できなくなった。彼は枢族ではなく、彼の遺伝子を受け入れると、渦動師の誕生率に影響がでてしまう。一定以上の渦動師が輩出されなければ、多治比は枢族から外されてしまうのだ。彼もそれが分かっているから身を引いたのだろう。
分かっていた。理解していた。予想していた。でも、でも・・・。
テルネは左手で剣の柄を握りしめた。
黎明は、それら全てを受け止めてくれた。決して誰にも言えない悩みを・・・。
「それではいくぞ!」
テルネは左足を前に出した『半身の構え』をとった。左肩を前に、剣をやや突き出した姿は、まるでフェンシングのようだった。