エピローグ
インドの太陽神話によると、『太陽神スリャは、日中は恋人の初々しい暁の女神ウシャス姫を抱き、熱愛のあまり光熱を発する。そして夕方に燃え尽きて暗闇となってしまう。だが翌朝になると太陽は生まれ変わり、再び東の空に昇る』とされている。太陽は毎日生まれ変わるとされ、輪廻転生の象徴であった。
またヒンドゥー教の前進であるバラモン教には五火説があり、魂と天、肉体と大地を関係させている。遺体を火葬して立ち昇る煙が天と大地を結ぶ。煙は雨に混じって大地に降り注ぎ、その雨で育った農作物を食べた人から次世代の人になって生まれ変わる。ここにも輪廻転生の考えが認められ、天、つまり太陽と大地を結ぶ事が、生まれ変わるために重要なファクターとなっている。
日本ではどうだろうか。渦巻紋は縄文土器に認められる独特な紋様であり、観る者の心を躍動感溢れる太古の世界に誘ってくれる。この渦は太陽を示しており、縄文人にとっても太陽は復活の象徴、輪廻転生を表していた。この紋を日常的に描いていた縄文人は輪廻転生を理解しており、その哲学を人生においてすでに実践していたと考えられている。
つまり日本人は、古代から『渦巻-太陽-輪廻転生』と人間の関わりに注視していたのである。その精神は埋葬法にも表れている。彼らは愛すべき肉親や妻、我が子が、母なる大地からもう一度生まれ変わると信じ、母の胎内と同じ屈葬側臥の形で埋葬したのだ。
この世界での渦動は輪廻の象徴となりえる力であるが、人々は輪廻を信じてはいなかった。それは共生者があまりにも合理的な考え方をするためもあるが、無意識のうちに、この世の真実を感じているのかもしれない。
輪廻とは死生の連続を車輪の回る様に見立てたものである。時間は永遠に平坦で直線的に続いていると考えられた上での教義とも言える。しかし時間は本当に永遠に直線的に続いているのだろうか。
アインシュタイン方程式の厳密解の一つにゲーデル解がある。クルト・ゲーデルが1949年に発表したものだが、時空が回転している場合、中心からはるかに離れ相対的に光速を超える場所では、時間の輪が生じ過去と未来が周期的に繰り返されるという。これはタイム・トラベルの可能性を示唆した理論として必ず挙げられる。
タイム・トラベルが可能な時空構造としてカー・ブラックホールでの閉じた時間線(Closed Timeline Curve: CTC)が有名だが、スティーブン・ホーキング博士は場のエネルギー密度が無限大となり存在できないという『時間順序保護仮説』で否定している。しかし時間自体が輪廻していないと誰が証明できるだろうか。
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イワレは驚くべき速さで治癒していった。まだ手術から1週間しかたたないが、傷はほぼ完治していた。しかし上腕に引き攣れた様な傷痕は一生残るだろう。シコーは包帯を巻き直しながら尋ねた。
「腕は動くかい?」
「はい。大丈夫です」
イワレは左手を開いたり閉じたりしながら答えた。彼がコウラに担ぎ込まれてきた時の事を思い出した。上腕動脈が切断され、出血多量で死にかけていたが、よくぞここまで回復したものだ。
「今日は包帯で覆っておくけど、明日になったら外していいよ。凄いよ。もう完治だ」
「そしたら、狩りに行ってもいいですか?」
「ああ。ただ、かなり筋力は落ちただろうから、いきなりはダメだ。暫くは鍛錬が必要だよ。だけど、まずは、お母さんの所に帰りなさい。一応、連絡は頼んでおいたけど、心配してるよ。確か、お姉さんもいたっけ?」
「はい。ところで、コウラさんはどこでしょうか?お礼を言わないと」
キョロキョロしているイワレに、シコーは両手を軽く上げた。
「さあ。どこにいるのやら。心配しなくても、多分、向こうから現れるよ。君の能力をかなり買っていたようだからね」
「そんな、能力なんて・・・」
イワレは照れ笑いをした。
「あ、そうだ。彼がこれを置いて行ったよ。君に使ってあげて欲しいそうだ」
そう言うと、シコーはコウラから預かった細身の長剣を少年に渡した。少年は鞘から剣を抜くと息を飲んだ。その細身の長剣、『黎明』は、幾多の血を吸ってきただろう怪しい輝きを蓄えていた。
人生の転機は誰にでも訪れるが、立ち止まって後ろを振り向いた結果、初めて分かることである。歩んでいる間は、あったことすら気がつかないものだ。それは、後ろを見ながら走れないことに似ている。歩みを止めるのは、時として歩みを速めるよりも困難な作業であり、経験という名のブレーキが必要である。
彼は運命の大きな転機を迎えていたが、これに気づくために歩みを止めるには、まだ十分に若すぎた。
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真の暗闇を見ることなどできはしない。唯一感じることができるだけだ。
コツコツと靴が床を鳴らし、暗黒の静寂を踏み荒らした。音は周囲の石壁に反響し、男の一歩一歩に重厚さを作り出していた。そう。確かにこの細い地下通路を進む彼の一歩は、確実にこの世界を破滅に近づける一歩に違いなかった。
昔は足音に反応するように、通路の奥のほうから動物の呻き声が発せられたが、今は静寂が全てを包んでいた。ここに来るのは久しぶりだが、彼は視覚に頼らずに目的の場所まで容易にたどり着くことができた。
暗闇に包まれた檻。
鉄柵は冷たく、辺りは獣臭に満ち満ちていたが、主人のいない檻はポッカリと空間に開かれた穴のようだった。
「君がいなくなって寂しいよ。でも、お陰で大いなる力を得ることができた。君をこんなにした奴らにも、もう少しで復讐してあげられるよ」
彼は穴に向かって話しかけていた。
彼女は何千ものヒトを食べてきた。
生きるために。
自分はそれを与えてきた。
生かすために。
しかし、それも限界だった。
全てには終わりがあるのだ。
共生者になってからも、自分の行動で反省することは多々あったが、ありがたいことに、後悔することはなくなった。笑ったり怒ったりはするが、哀れむことはなくなった。
そして涙を流すことも。
共生者には罪悪感が欠如している。これはこの世界で人が生き延びる為に必要不可欠な資質である。人が人を喰らって生きていかなければならない世界で、支配者がもたらした贈物なのだ。ましてや愛した人を喰らったコウラが生きていくためには、無くてはならない技能であった。聖餐の儀では子供たちには聖餐の内容が隠されるが、それは贈物のない子供たちを守るためである。
人類は、命と引き換えに隷属を受け入れ、支配者は涙と引き換えに生き延びる術を与えた。
コウラは檻にもたれかかると、そのまま床に座り込んだ。
キネリは限界だった。体内の虫はとっくに産卵の時期を迎えていたのだ。もう彼には彼女を助ける術はなかった。そこで奇跡を信じて修技館の若者の虫を天生させた。確か名はタテガミと言った。修行の命令を受けて、彼がコウラの前にやって来た時のことを思い出した。背が高く、ハキハキと答える将来有望な青年だった。彼には実験について説明し、同意を求めたが理解してはもらえなかった。やや強引ではあったが、彼の、いや彼らの死は有意義なものだ。天生による渦動力には眼を見張るものがあった。特にテルネに使った『渦動反転』は、自分の覇道の大きな武器になる。この世界を滅ぼすために、力が必要だった。だがキネリも、レイヨも戻ってはこない。
「レイヨ・・・」
不思議なもので、共生者になる前の記憶は時として後悔や憐憫を湧き立たせた。
仮面の下から一筋の涙が流れてきた。驚いたコウラは仮面を外し、涙を指先で拭うとそれをしげしげと見つめた。
「ご主人様の調教前ということかな」
彼は涙を流しながら、大声で笑った。ヘーゼルの瞳が怪しく光っていた。
菊池高良
今回も、彼は復讐のためだけに何十万人ものヒトを自覚しながらに殺し、何百億人のヒトを無自覚に殺害する、人類史上、唯一無二の殺戮者となる予定である。
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庵羅は報告書を読み終わると、机に顔を伏せ、書類を握り潰しながら笑い始めた。
「くくく。はははは。ついにここまで来ましたね。これで一安心です。今回は、貴方が弱いのでどうなるかと思いましたよ。起こすのが遅かったのかな」
突然、彼は顔を上げた。そのヘーゼルの瞳には狂気の光が宿っていた。
「そうです。そうじゃなくては!
兄さんは僕と姉の、いや人類の憎っくき仇なんですから!
菊池!それともスプンタと呼んだ方がいいのかな?
ははは。
今回の方がよりエキサイティングになってきましたよ!
貴方なしでは生きられない!
やめられない!
やめられないよ!」
椅子に座りながら仰け反ると、髪を掻き毟って狂笑していた。
王国歴238年
この世界は共生世界
二人を中心に閉じた時間軸
それが現実である。
〈了〉