公表
翌日の昼前に、吉島は朝夕新聞九州支社に行き、受付嬢に科学部の毒島を呼び出してもらった。信用してもらうため、自分と毒島の名刺を差し出した。流石、ネット全盛の中でも生き残った大手の新聞社である。支社とはいえ大きなロビーだった。冬なら底冷えするかもしれないが、5月の太陽は柔らかな日差しをロビー全体に与え、ソファに座って待っていた吉島に眠気をもたらした。
「よお吉島、久しぶり。1年ぶりぐらいになる?」
吉島はビクッとして声の主を振り返った。彼の前に現れた男は、やや長めの茶髪にスクエアのセルフレーム眼鏡をかけ、派手色のシャツを着た若い感じの男だった。対する吉島は、ノーネクタイの背広姿で、疲れた中年そのものだった。とても同級生には見えなかった。毒島は昔から軽い男で、やや信用におけないところがあった。大丈夫だろうか?だが他に報道関係に知り合いはいない。
「ああ。早速だが、実はお前に頼みがあってきた。スクープは欲しくないか?」
毒島は、吉島の前のソファに踏ん反り返って座りながら、
「スクープ?そりゃあ欲しいよ。でも俺は科学部だぜ?家庭部に次いでスクープと縁がない部署だからな」
耳を掻きながらヘラヘラと笑っていた。
「場所を変えないか?ここじゃ話せない。どこか静かな所を知らないか?」
訝しむ表情を露骨に表した毒島だったが、それ以上は追求せず、吉島を誘って新聞社そばの喫茶店に移った。歩いて数分の薄暗い雑居ビルの1階には、小さな路上看板が置かれ、『来夢』とゴシック体で書かれていた。その先には古風な作りの扉があった。扉を開けると、
「カランカラン」
と呼び子がなった。白髪頭をオールバックにして、白い口髭を蓄えたマスターが、
「いらっしゃい」
と静かに挨拶してきた。典型的な古き良き昭和式喫茶店だった。当然、中は英国式を真似た日本式である。薄暗い店内には、まだ午前中のためか他に客はいなかった。
「マスター、ブレンド二つね。奥、いい?」
毒島はマスターに、奥のこじんまりとした席を要求した。マスターも慣れたもので、軽い会釈で許可を表した。この席は、店内と入口を見張る事ができる。席に座るとため息をついた後、毒島が口を開いた。
「どうだい、ここ?よく使うんだ。落ち着くだろ?」
吉島は、辺りをキョロキョロしながら頷いた。珈琲がくると彼は一口啜った。飲む前に鼻腔を据えた珈琲の匂いがくすぐり、口に含むと、珈琲の酸味が舌を刺激する。美味い珈琲だ。リラックスできる。二人の間に会話はなく、たた珈琲を飲む音だけがしていた。
吉島はまだ迷っていた。本当に勝手に公にして良いのだろうか。政府がこの件には絡んでいる。大丈夫だとは思うが、最悪、刑務所行きだ。それに院長達はただ慎重になっているだけなのかも知れない。しかし院長と刑部の態度を思い出した。嫌、彼らは人命など考えてはいない。そんな奴らではないんだ。このままでは人命はドンドン失われていくんだ。彼はゆっくりと口を開いた。
「実は、AELウィルスのことだ」
「まあ、そうだろうな。お前、回療院に勤めてるんだろ?」
「ああ。前はな。今は出向で国立病院の部長になったよ」
「そりゃあ、おめでとう。栄転じゃない」
「・・・俺・・・AELウィルスの治療法を見つけた・・・」
「え?マジ?」
毒島は珈琲を吹き出しながら、年齢の分かる言葉を発した。今時の若者は使わない言葉だ。吉島は資料を見せながら、かいつまんで内容を説明した。毒島の顔は見る見るうちに興奮で上気し始めた。
「・・・というわけだ。間違いなくAELウィルス感染症は寛解することが出来る」
「おい、おい、おい、マジかよ?すげえな。寄生虫でウィルスの治療するなんて聞いたことない。本当に凄い発見じゃないか。なんでこんなとこに持ってきてるんだ?早く学会に発表しろよ」
毒島は、耳の穴に指を突っ込んで搔き始めた。悩んだ時にする、学生時代からの彼の癖だ。
「それができるなら、こんな所に来ないよ。院長に資料を没収されて公表を禁止されているんだ」
「え?なんでだよ?だってこれって世界がひっくり返る内容だぜ?そんな名誉なことを何故禁止するんだ?」
「そんなこと知らないよ。でも俺は国立病院の部長さまだぜ。これって口止め料だよな」
「なるほど。金かな?もし治療法を独占出来れば、莫大な富を生むからな。だがかなりリスキーだ・・・。西九大の回療院の院長って確か吉良だろ?そんな感じじゃないけどな」
「リスキー?」
「そりゃそうさ。だって何億人って人間の命を救う治療法を個人や企業が独占出来るはず無いだろ?当然国かその機関に売るんだよ。うまくやらないと人生を棒に振るぜ」
「確かに。でも吉良院長は政治家って感じはあるけど、金儲けにのためにそこまで危険を犯すとも思えない。それに厚労省も絡んでいるらしいんだ」
吉島は刑部を思い出した。あの男を以前に役所で見たことがあった。確かに厚労省の人間だ。
「何?それ確かか?」
「ああ。確かだよ。院長は国と結託しているんだ。そしてこの治療法を謀略の道具にしようとしているんだ」
「まあ、普通はそれが真相だな。個人が金儲けにのためにやるより説得力がある。だけど国の為になるなら、それもありじゃないか?」
「だがな、毒島。少し下火にはなってきたとは言っても、世界中で毎日何万人も死んでるんだぜ?それに、今までのパンデミックの例でもわかるように、間違いなく揺り返しがくる。また死人が増えるんだ。それなのに、いかに国策と言えど、治療法を隠すなんで、こんな事許されていいのか?」
二人は口をつぐんだ。毒島が珈琲をすする音が響く。ソーサーにカップを置くと、真剣な眼差しで吉島を見つめた。
「それで・・・お前はこれをどうしたいんだ?」
吉島は毒島を真っ正面から見つめた。その眼は腹を決めていた。
「お前の所で公表してくれないか?やはりこいつはすぐに発表した方がいい。そして世界中の研究者が協力して、AELウィルスを撲滅するんだ。そうすれば多くの人々を助けることができるに違いない。お前もそう思わないか?」
「ああ、そうだな。こりゃ一大事だぞ。すぐにデスクに相談しなくちゃ・・・任せとけ。俺が必ず世間に公表してみせる!」
毒島は資料と伝票を掴むと、吉島を残して走って出て行った。それを見ていた吉島は目の前のカップを掴んだ。カチャカチャとカップが鳴った。手が震えているのだ。彼は右手を添えて震えを押さえ込むと、冷えた珈琲を飲み込んだ。
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毒島は社会部の沢登デスクに相談をした。沢登はこの道40年の大ベテランで、今までも多くのスクープをものにしてきた傑物だった。角刈りの猪顔で、大工かヤクザにしか見えない。毒島は何故かこのヤクザが好きで、相手もよく相談に乗ってくれた。
毒島は沢登を呼び出し、会議室で内容を話した。彼は途中で「うう」とか「ぐう」とか意味不明なことを言っていたが、毒島の話を最後まで聞いてくれた。
「おい、この報告の信憑性はどうなんだ?科学のことは疎くてわからんが、大丈夫なんだろうな?」
「ええ。持ち込んだのは回療院の主任だった男です。私も中のデーターは確認しましたが、よくまとまっています。十分専門家を説得できますよ」
沢登は頭をかいた。
「よし、社長に直談判して、明日配信の一面に載せるぞ。お前、記事を書け。いいか、見出しは『AELウィルスの治療法発見か?』、リードは『回療院が発見を隠匿?』でいけ!」