新種
桃花から採取された組織検体は、西九州大学医動物学教室に送られた。講師の村上は病理学教室で固定してくれたプレパラートを見て驚いた。虫は1ミリメートルほどで薄い嚢を持ち、シワだらけで、嚢から不定形の『芽』が周囲の組織に侵入していた。
「芽殖孤虫だ!」
芽殖孤虫(Sparganum proliferum)は、ヒトに寄生する条虫網擬葉目裂頭条虫科に属する寄生虫である。成虫は同定されておらず、慣例に従い『孤虫』の名が付けられている。信頼のおける報告では世界で16症例が報告され、そのうち7例が日本で報告されている。DNA鑑定の結果、マンソン裂頭条虫に近縁であることがわかっているが別の種であり、網擬葉目とされている。生活史は不明で、中間宿主、最終宿主ともに不明であり、そのため感染経路も不明である。
ヒトに感染した場合、周囲に『芽』や『枝』を縦横に伸ばして増殖し、大量のプレロセルコイドを産み出していく。皮下組織に浸潤した後、骨を含むあらゆる内臓に住み着く。分子生物学的方法で鑑別は可能てある。治療法は外科的切除しか無く、ほぼ全例死亡している。
「しかし、少し変だな」
確かに芽殖孤虫同様、組織内で類似の増殖性を示す幼生ではあるが、その枝や芽は綺麗に左右対称である。それに芽殖孤虫にしては臨床症状が早くて激烈だった。今迄の報告例は経過が長く、25年も患った患者の報告もあるぐらいだ。村上は清水教授に相談に行った。清水教授は学会でも重鎮だが、自分で寄生虫を腹に飼っているとの噂もある変わり者だ。髪はボサボサで無精髭を生やし、ヘビースモーカーのため、教授室はいつも白煙に包まれていた。
清水教授は顕微鏡をのぞきながら、ボサボサの頭をかきむしった。
「こりゃあ芽殖孤虫だな。だが芽の浸潤が左右対称に近いな。こりゃ新種じゃねえか?・・・しかし・・・美しい」
清水は顕微鏡の対物レンズを動かし倍率を上げていった。顕微鏡に映っていた虫はシワだらけの身体から両側に『芽』を伸ばしており、まるで天使が羽を伸ばしているようだった。
村上はドイツのハンブルグにあるベルンナルド・ナハト研究所のレファレンスセンター(Bernhard Nocht Institute, Hamburg)に問い合わせた遺伝子コードに基づき、PCR法にて検体のミトコンドリア チトクロームCオキシダーゼ サブユニット1(mitochondrial cytochrome C oxidase subunit 1:COX1)とミトコンドリアNADHデヒドロゲナーゼ サブユニット3( mitochondrial NADH dehydrogenase subunit 3:NADH3)を指定のプライマーで増幅し、核シークエンスの相似を確認した。相似性は高いが(COX1 93%、NADH 90%)同じではなく、形態学的検査からこの寄生虫は『芽殖孤虫』の亜種であると確定した。『熊本芽殖孤虫 Sparganum proliferum Kumamotoae』の誕生である。