コンタクト
土砂降りの雨の中、テルネは木々の隙間から湖が僅かに見える所までやってきていた。湖水を雨が激しく打ちつけている。滝のそばにいるかと錯覚するような激しい音が辺りを満たしていた。周囲の草木は疎らになり、数十メートルは視線が通るようになってきていた。木立が多いために死角はまだ沢山あったが、森の中よりは戦い易い。だがもう少し湖に近づいた方がいい。
テルネばずぶ濡れになりながら歩き続けた。皮鎧から覗く衣服は身体にぴったりと貼り付き、彼女の鍛えられた姿体を露わにした。土砂降りの雨に濡れて額に張り付いた髪を後ろに掻き分け、オールバックにすると顔を拭った。
その時、彼女の視界に何かが映った。湖のそばに小さな人影が浮かび上がるように揺らめいていた。良くは見えないが子供のようだ。
「子供?まさか」
彼女が人影に意識をそらした瞬間、背後から何かが独楽のように回転しながら飛んできた。咄嗟に振り返ると、物体は生温かい液体を降り撒きながら、1mほど離れた茂みに墜落した。テルネの顔や衣服に赤い染みがいくつも現れたが、直ぐに雨に洗い流された。それでも赤い染みの正体は明らかだった。
「血!」
横目で見た茂みの中の独楽は、かつて人であった。腰から下がなくなり、首と腕はあらぬ方向に屈曲し、両眼窩は血液で満たされていた。その容貌からは個人の区別はつかなかったが、辛うじて男だとわかる。その独楽はパクパクと口を動かしていた。懸命に雨水を求めているかのように。彼のアエルは、宿主を生かそうと必死に無意味な抵抗をしている。いくら渦動師でも、こんな状態では長くは持たない。ただ苦しむためだけに生かされているのだ。脳を潰して貰えるとよかったのだが、彼女の感知する所ではないし、そんな余裕も無かった。
テルネは一瞬視線を外しただけで、直ぐに独楽が飛んで来た方に注意を向けていた。
「正面?」
正面から強い殺気が伝わってきた。彼女は敵に対応しようとしたが、わずかに躊躇した。なぜなら相手にアエルを感じたからだ。
「味方か?」
低木が揺れたかと思うと、独楽が飛んできた方角から黒い塊が雨を切り裂きながら跳躍してきた。優に20メートルは離れていたが、墮人鬼は雄叫びをあげながら彼女に飛びかかってきた。
「なに!」
獣は人智を超えた跳躍スピードと距離で襲ってきたため、流石の彼女も狼狽えて対応が遅れてしまった。
「しまった!やられる!」
彼女は死を覚悟した。