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共生世界  作者: 舞平 旭
姉弟
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姉弟

「ただいま」


靖は玄関でマスクとコートを脱ぎ、アルコール消毒を行うと、買物袋を玄関に置いたまま、静かに二階の姉の部屋に向かった。


「やすくん、お帰り」


姉はベッドから起き上がり声をかけてくれた。美しいソプラノだが、力がなかった。


「あ、姉さん起こしちゃった?いいから無理しないで寝てて。後でご飯もってくるから」


彼は階下に降りると、キッチンで英語の勉強を始めた。来年は大学入試だ。頑張って良い大学に入るのが姉さんの望みだ。私立は家計の事情から厳しいことは靖も知っていたので、何とか国立大学に進学したいと思っていた。大学入試は来年から再開される予定と聞いた。まだ集団での活動は簡単にはできないので、ネットワーク経由でカリキュラムを受講し、年間の成績と試験で入学の合否を決定するシステムで行われる。試験は単なる客観試験(MCQ: Multiple Choice Question)だけではなく、数学でも論文を書かせたりする。今の世の中の様に、国民総引き籠もりになっている時には有用なシステムだと靖は思った。元々は、海外の学生用に整備してきたシステムである。欧米では20年以上前から導入され、優秀な学生を獲得した実績もあった。このシステムでは、靖のような文系にも理系を目指せるチャンスがある。就職には断然、理系が有利なのだ。少しでも早く一人前になって、姉を安心させたかった。できることなら、姉と同じ大学に行きたいとも考えていた。頑張って勉強しないと。



両親は昨年、例のウィルス感染で死んでしまった。父が初めに発症した時は家族全員が隔離されたが、発症したのは母だけだった。二人は3ヶ月で呆気なく亡くなった。両親の葬儀は、身内だけでこじんまりと行ない、父の実家、福岡のど田舎の墓地に埋葬して貰った。壮大な葬儀をやりたくても、皆が人が集まる場所には出たがらなくなっていたし、世界中が死人で溢れていたので、もう墓地も一杯だった。ネットニュースは、『世界の人口が半分になった』とか、『どこそこの国が内乱で滅んだ』とか、まるで『世界の終わりが始まった』かのように書き立てていたが、靖にはまるで実感はなかった。品揃えが減ったとはいえ、依然商品はコンビニに並んでいたし、価格もそれ程上昇はしていない。少なくとも日本には、まだ人はうじゃうじゃいた。『人類を絶滅させるウィルスが蔓延している』などとはとても思えず、ただ長い夏休みを過ごしているだけのようだった。不思議とその感覚は、両親の死に直面した後も変わらなかった。葬儀で泣きじゃくる姉を慰めながら、彼は『今日の夕飯は誰が作るのだろ』と考えていた。外食は難しいご時世だ。



父は遺産を少し残してくれていた。また姉は働いていて僅かながら収入もあったので、姉弟は何とか生活できていた。姉の桃花ももかは5つ上で大学講師をしていた。肉親ながら、姉は才色兼備の女性であると思う。事実、姉はもてた。大学では両生類の研究を行っていた。活動的で、フィールドワークを好み、地方に行っては1ヶ月以上帰らないことも度々あった。このご時世でも出かけるのだから困ったものだ。一度、彼は姉に注意したことがあった。


「姉さん、ちょっとの間、研究旅行はやめた方がいいんじゃない?」


「なんでよ、やすくん?」


姉は旅行の支度をしながら、顔をこちらに向けもせずに答えた。


「だって、変な病気が流行ってるだろ?危ないじゃないか」


「大丈夫、大丈夫。教授にお願いしてせっかく切符がとれたんだから。それに都会に行くんじゃなくて、人もいないような山奥に行くんだから。逆に安全なぐらいよ」


「で、でも・・・それで父さんも母さんも死んだんだよ?もし姉さんが・・・」


姉はくるりと彼の方を振り返ると、靖に近づき胸に抱いた。彼の頬は、姉の柔らかな胸の感触を得て赤くなった。


「大丈夫よ。心配しないで。私がやすくんを一人にしたり、絶対にしないよ。死んでも貴方を一人にしたりしない。絶対・・・」



彼女は今は自室で寝ていた。1ヶ月ほど前にフィールド・ワークから帰った後から体調を崩しているのだ。始めは例のウィルスかと思い心配だったが、症状が母たちとは違っている。それに最近は、発熱も痒がることもなくなり安定していた。『金色のタンポポ』の夢も見なくなったらしい。

勉強を終えた靖は、コンピュータを閉じると、夕食の準備を始めた。今日もステーキにするか。靖は冷蔵庫のチルド室からビニール袋を取り出した。袋は透明なジッパー付きのビニールのため、外からも赤い液体と肉塊が透けて見えた。


彼は若い。


毎日牛肉を食べても胃がもたれるなんてことはなかった。この肉は姉がお産にくれた肉だった。袋から血が滴る肉ブロックを出すと、器用に切り分けた。肉は、自然解凍で常温に戻した方が美味しい。待つ間、靖は姉の食事を作り始めた。お粥がいいだろう。姉が体調を崩してから、料理は彼の当番になっていた。元々、姉がいない時は1人で作っていたので、料理は慣れていた。


姉の食事を作り終えると、彼は食事を届けに階段を登って行った。姉は布団を頭から被って横になっていた。寝てはいないようだ。彼は彼女の枕元に、お粥を置いた。


「ちゃんと食べなきゃダメだよ。いい?」


「わかったわ。やすくんは怖いから」


姉は湯気のたつお粥を見下ろし(・・・)ながら細く笑った。最近は調子がいいのに、余り食べてくれない。自分の料理が不味いのかと、色々研究もしたが、ダメだった。だめなら、靖が食べさせるしかない。後で見に来ようと思った。

彼はキッチンに戻ると、自分の食事を作り始めた。肉の片面に岩塩と黒胡椒を均一になるようにパラパラと振りかけ、フライパンを加熱した。少し煙が出てきたところで、フライパンに油をしき、余った油を捨てると、強火のまま肉を投入し蓋をした。


「ジュッゥワージジジジー」


と音がして油が踊る。靖の鼻に、香ばしい匂いが漂ってきた。きっかり25秒で弱火に変える。そして30秒したらひっくり返してもう30秒。そしてそのまま盛り付ける。ニンニクは使わない。折角のこの肉の匂いが、飛んでしまっては元も子もない。皿の上にはレアステーキが美味しそうに湯気を立てていた。


「いただきまーす!」


靖は夢中で血の滴るようなレアステーキを頬張った。滴る赤い肉汁が、口腔内に広がる。レア肉は噛む度に舌に吸い付くような弾力があった。


「美味い!」


うまくいった。明日はシチューを作ろう。

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