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共生世界  作者: 舞平 旭
変貌
165/179

輪廻の始まり

******

注意)

残酷な描写があります。苦手な方、15歳未満の方はお読みにならないようにお願いします。

******



毛布の中を見た菊池は嘔吐した。胃や腸が絞られながら口から出てくるようだった。


「レ、レイ・・・」


毛布の中には身体中に包帯を巻いた人間がいた。両手足は身体から10センチほどで切断されており、切断面の包帯には血が滲んでいた。手足をくねるように動かし闇をまさぐる姿は、まるで芋虫のようだ。身体を包む包帯は血液と膿汁にまみれ、悪臭が鼻を突いた。所々包帯の隙間から見える皮膚は赤黒く、皮下で何かが蠢いていた。

顔はほとんどが包帯で隠れ、全体が浮腫んでいるため、昔の面影は金色の髪ぐらいしかなかった。包帯を巻かれた体からのぞく金髪は、まるで金色のタンポポの種を想像させた。


「レイヨ・・・」


菊池は庵羅に向き直ると胸倉をつかみ、


「彼女に何をした!」


と叫んだ。


「貴方もわかってはいたんでしょう?これが殉床じゅんしょうです。だが彼女のお陰で、貴方は共生者なかまになれたのです。感謝して下さい」


菊池の視線が空を彷徨さまよい始め、頭に様々な思いがよぎった。


気付いていた。


俺は知っていたのだ。



『いいや。お前達のせいではない。わしら大人のせいだ』


塩土しおつちの苦渋に満ちた顔


揺れる二つのモニュメント


幕多羅まくたらの人々の顔


ササラの舞


『それは、税が安いからですよ』


村若むらわか


生口せいこうちぎり


『・・・おきてなの。18歳までは男の人とお付き合いしちゃいけないの・・・』


レイヨの寂しそうな顔



「レイヨぅ」


菊池は庵羅を掴んでいた手を離すと、その場に崩れ落ちてしまった。そして床に両手を付くと泣き始めた。

菊池の眼から直接涙が彼の手の甲に落ちていく。涙が溜まると視界がボヤけ、落ちると視界が戻る・・・。

揺れる視界の中にレイヨの笑顔が重なる・・・。


『愛してる・・・あなたしかいないの・・・他は嫌なの・・・』



その時、『レイヨ』はモゾモゾと動き始めた。そして上腕だけになった腕を菊池の方に向けると、くぐもった声で呻いた。

こちらを見つめる、包帯の隙間から辛うじてのぞいている左眼は、まるで顔に穿うがかれた穴ように真っ黒だった。彼女のくぐもった声が何かを語り始めた。


「タカヨ・サン・・ワ・シ・タベ・・・」


菊池の耳には確かに聞き取れた。


「タカヨシさん、私を食べて」


******


適応者に寄生した虫の幼生は、殉床の全身に幼生を大量に産む。そして宿主の脳を操り、寄生生物にとって最適な行動を宿主に行わせる。

このような寄生虫による宿主の行動制御は、リチャード・ドーキンスにより『延長された表現型: Extend Phenotype』の代表例として示され、自然界では決して珍しいものではない。


有名なハリガネムシ(類線形虫類)は、コオロギやカマキリなどの腹部に寄生し、最終的には自分の繁殖のために、宿主を水に身投げさせる。

ロイコクロリディウムは、カタツムリ(オカモノアラガイ)に虫卵を食べられると、体内で被嚢幼虫メタセルカリア)となって触覚、多くは左の触覚を選んでに寄生する。メタセルカリアの入った袋は、かなり大きくて横縞があるために、触覚は肥大化し、外敵から目立つようになる。

更に本来のカタツムリとは逆に、光に対して正の走行性を示すようになり、明るい所で芋虫と間違えられやすい動きを取らせ、最終宿主である鳥に捕食されやすくするのだ。

ロイコクロリディウムは自分の繁殖のために、カタツムリを機械的に自殺させているのだ。しかし彼らはカタツムリをただ殺すだけではなく、カタツムリの殻を厚く頑丈にさせて、他の捕食者から宿主を保護しようともするのである。


このような利己的な、非情とも思える寄生は虫だけに寄生するわけではない。

カニなどに寄生するフクロムシは、カニの雄に寄生した場合、雄性腺を破壊し寄生去勢を行い、なんと雄を雌化する。雌化した雄は、まるでフクロムシを自分の卵の様に大切に扱うようになり、フクロムシの掃除をしたり、幼生の放出を手伝ったりするようになる。


人でもいくつか報告がある。ギニアワーム(メジナ虫)は、成虫になると人間の下肢や腕の皮下に寄生し、患部に発熱や激痛を引き起こす。患者は患部を冷やそうと河川などに足を入れる。そして破れやすくなった皮膚を食い破って、成虫は水に戻ることができるのである。

またチェコの進化生物学者ヤロスラフ・フレグル(Jaroslav Flegr)は、トキソプラズマにより、人間の反応時間の低下、無気力、恐怖心の低下などが引き起こされることを報告している。トキソプラズマは通常はネズミを媒介にしてネコへ感染するため、ネズミが捕食されやすくする能力が人間にも現れたものと考えられる。


殉床の肉は『聖餐の儀』に供され、寄生虫が摂食した共生者の子供に感染する。これは『芽』と呼ばれ、人類がAEL感染症と共生するための手段として利用されていた。

西暦世界の日本で発見・発展した治療法で、当時は『寄生移植』とか『共生処置』などと呼ばれていたが、要は『共食い』である。『共食い』には、一定のリスクが付きまとっている。特に問題となるのは感染症である。


共生者は感染症には強かったが、皇室は『汚れ』を極端に恐れ、皇室専用に『生口の契り』を結んだ適応者のドナーには、18歳未満の処女を求めた。同様の理由で、『聖餐の儀』による摂食部位は、汚れがないという理由から脳を選んだ。

パプアニューギニアのフォレ(Fore)族に蔓延したクールー病(Kuru)は、伝染性海綿状脳症の一つで、プリオン病の一種である。彼らには葬儀で遺体を食べる風習があったことから、ヒト-ヒト感染を起こしたのだ。

幕多羅浄化の原因となった螺向らむきの死の原因は、このような特権意識から感染したプリオン病の一種のクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)であった。

幕多羅は牛を尊び、内臓や脳脊髄も代々食してきた。牛海綿状脳症(bovine spongiform encephalopathy;BSE、いわゆる狂牛病)に感染した牛の脳脊髄の経口摂取から、彼らはBSEに感染しており、これがCJDの感染経路だった。これは分類としては、獲得性プリオン病の変異型CJDと呼ばれる。

感染経路は経口摂取なのだから、幕多羅を滅ぼす必要はなかったはずだ。ただ殉床として利用しなければいいだけだったのだ。

しかし庵羅はこのことを知りつつも、あえて浄化を決行した。これは庵羅の御前会議における矛盾として現れており、黄持はその矛盾に違和感を感じてはいたが、その病態まで理解できなかったために、庵羅を追求することはできなかった。その結果、庵羅の回学院の勢力を増長させてしまったのだった。


皮肉なことに、螺向たち3名の感染はほぼ同時期に起こっていることから、罹患期間を考えると、死亡するおよそ2年前の殉床、つまり当時の幕多羅の村若人、塩土の孫娘のラシアから感染した可能性が高い。


非科学的な特権意識からCJDに感染して死亡した皇子たち。


ラシアを、掟に逆らえず見殺しにしたことを悔いて、皇帝に叛逆を試みた塩土。


ラシアの感染を契機に皆殺しにされた幕多羅の村民。


人々の思いは大いなる歴史のうねりの中に飲み込まれ、すでに泡沫すらこの世には残されてはいなかった。


******


涙で歪んだ視界が晴れた時、菊池は充血した眼をレイヨに向けた。


「わかったよ、レイヨ。君をそいつらから解放してあげるよ・・・」


菊池は右の手のひらを大きく広げると、レイヨの方に向けた。


「うあああああああーっ!」


「ははは!遂にはじめた!ははは!」


狂喜に悶える庵羅には、菊池の全身が淡く光るように見えた。叫び声が大きくなるにつれ、光が強くなっていく。そして彼の身体に向かって空気が動き始めた。徐々に強くなりながら、風が菊池の身体に吸い込まれて行く。


「うおー!」


次の瞬間、大きなオレンジ色の光が牢内を満たした。轟音と地響きが発生し、周囲の物を飲み込んだ。


******


「いたた」


庵羅は痛む左肩を押さえながら起き上がると、体についたホコリや瓦礫を払った。


「何も見えないな」


辺りは真っ白な煙に包まれ、一寸先も見えなかった。鼓膜がまだ爆音に疼いていて、甲高い耳鳴りが続いていた。

彼は軽く咳き込むと、菊池を探した。


「う、うっ、う」


耳鳴りが収まるにつれ、どこからか、すすり泣く声が聞こえ始めた。


「菊池」


そばには菊池が座り込み泣いているのが見えた。彼は菊池の元に近づいていった。

その時一陣の風が吹き、周囲のホコリをかき消した。


「すごい・・・」


庵羅は周囲の状況を見て唖然とした。レイヨがいた所を中心に、監房の奥半分が消滅していた。切断面は綺麗な球面で、天井や壁は滑らかに切り取られ、地下の大地が露出し、天井からは空も見えていた。

レイヨはベッドの足だけを残して跡形もなく消えていた。

ガラガラと重さに耐えられなくなった一部が崩れ、また埃が舞いだした。


「空間転移!」


庵羅の眼は大きく見開かれ、口元から唾液を垂らしながら叫んでいた。


「やった!遂にやったな!これで輪廻は始まる!貴方はようやく私の、世界の仇になったんだ!ははは!そうでなくては!ははは!貴方の力と私の力は二つで一つなんですから!」


しかし菊池には庵羅の叫びは耳に届かなかった。ただレイヨのいた場所を、焦点の合わない眼で見つめていた。


『私はOKキツネだよ』


レイヨの笑顔がはっきり菊池の脳裏に浮かんだ。もうこれで彼女を忘れることはなくなったのだ。


「さようなら、レイヨ」


菊池はふと自分の右の手のひらを見た。

そこには赤黒く濡れているように見える大きな穴が、まるで全てを飲み込むブラックホールのように、底無しの闇を蓄えて存在していた。


彼はこの瞬間に、人類史上最大の大量殺人者となった。

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