吊り橋上の選択
イドリの後はレイヨが橋を渡る番だった。
「気をつけて」
菊池はレイヨの肩を軽く叩いた。
「私よりタカヨシの方が心配よ。本当に渡れるの?」
「大丈夫だよ。もう手も痛くないし、昔からアスレチックは得意だったからね」
菊池は右腕を曲げて力こぶを作ってみせた。
「アスレチック?」
レイヨはやや小首を傾げたが、菊池の話に分からない言葉があるのは日常になっているため、質問することはなかった。
そして彼女はヒョイと吊り橋の主索に飛び移ると、軽々と進んで行った。四人の中で一番早い。レイヨは1/4ほど渡ると、菊池の方に振り向いて手を振り始めた。
「タカヨシー!」
「ふざけてると危ないぞ!」
「大丈夫。OKキツネだよ」
そんな彼女を、菊池は微笑ましく見ていたが、突然、背後に何か気配を感じた。
「なんだ?」
彼は背後に広がる木々を見た。彼らが通ってきた山路の周囲は森になっており、雑木が林立していたので視界は大きく制限されていた。しかし確かに感じていた。菊池の全身に、強い力を持った人の気配が伝わってきた。
「誰だ!出てこい!」
菊池は身構えた。
「ははは、見つかったか。君は共生者ですらないと聞いていたが、よく探知できたな」
森の中から声が発せられ、ゆっくりと鎧を着た長身の男が出てきた。菊池はその男に見覚えがあった。あの地下で、化物と戦っていた渦動師、確か神火といった。そして神火の後から7~8人の男達がパラパラと菊池を囲むように姿を表した。
「久しぶりだな。確か菊池と言ったかな?」
「お前達が追手か?」
「ああ。だが抵抗しなければ危害は加えない。大人しくした方が身のためだ」
神火が合図すると、部下達は吊り橋に向かって走った。
「動くな!」
菊池は男達を回り込むように素早く橋の前に移動すると、両手を広げて彼らの行く手を遮断した。
「動くな!それ以上動くと僕は崖から飛び降りて自殺する!」
「タカヨシ!大丈夫!」
レイヨは菊池の異変に気がつくと、こちらに戻ろうとしていた。菊池は神火達の動きに気をつけながら、レイヨに向かって叫んだ。
「レイヨ!止まるな!進め!僕のことは気にせず、早く行け!」
まさに戻ろうとしていた彼女は、彼の言葉にビクンと反応すると、その場から動けなくなってしまった。
「タカヨシ!」
菊池はレイヨの叫びには答えず、神火達に向き直った。
「動くな!俺は本気だぞ」
「おいおい、冗談はよせ。そんな全く無意味な行為」
神火は呆れたように首を振った。
「冗談だと思うのか?俺は死を恐れてはいない。どうせもうすぐ死ぬんだから、友達のために死ねるなら本望だ。俺が死んだら困るだろ?」
「ああ、困る。だが、他の奴らを見逃すのも困るがね。本当に適応者の考えるこもは分からん」
吊り橋からレイヨの叫び声が聞こえた。
「タカヨシ!逃げて!タカヨシ!」
「レイヨ、いいから早く行け!」
神火は腕を組んでその様子をみていたが、レイヨに向かって話しかけた。
「おーい、君、レイヨといったかな?彼を助けたかったら、今すぐこちら側に戻るんだ。そうすれば、こいつの命と、渡り切った奴らは見逃してあげよう。どうする?」
シコー達は向こう岸から様子をうかがっていた。
「どうしましょう?」
シコーは不安そうにイドリを見た。
「どうしようもない。菊池にまかせるしかあるまい。奴らが渡るなら、この橋は落とすしかない」
「だって、レイヨさんがまだ・・・」
イドリは険しい目つきでシコーを睨んだ。
「そんなこたあ分かってるんだ、若造!分かってるんだよ。当然、菊池もお嬢さんもな」
菊池の必死の説得も虚しく、レイヨは神火の申し出に従って菊池の所に戻ってきた。
「何故?なんで戻ってきた!」
「だ、だって、あなたを一人になんてできない!」
神火は笑いながら二人に寄ってきた。
「まあまあ。痴話喧嘩なら後でやるんだな。だが君、彼女の判断は適応者としては正しい。もし彼女が私の申し出を無視して吊り橋を渡れば、少なくとも2つの問題が起きる。それも難問がね」
「二つ?」
「まず第一に、必ず部下は彼女の後を追うだろう。女の足では渡り切る前に捕まるよ。そうなると、吊り橋の奴らには苦難の選択が待っている。彼女を犠牲にして綱を切るか、部下と戦うか。どちらにしても仲間には苦悩の選択となる」
神火は穏やかに、まるで友人を説得するかのように話していた。しかしこの一つ目の話には嘘が混じっていた。ここは房の国と毛の国の国境に近く、対岸は毛の国の領土に入っていた。だから神火は深追いはしなかったし、元々少人数の兵しか連れてはこれなかったのだった。もし神火なり房の国の兵が毛の国の国境付近でいざこざを起こせば戦争になりかねない。シコー達は安全地帯に逃げ込んでいたのだ。例えレイヨが吊り橋を渡ったとしても、神火達が追いかけない可能性が高い。たかが脱獄囚と戦争を天秤にかけることはできない。
神火は続けた。
「次に、もし君を見捨てれば彼女の心に傷が残る。もしこの場を上手く逃げおうせても、この手の傷は適応者では癒すのは大変だ。だから彼女を責めるな。間違いなく、彼女の選択は適応者として正しいのだ」
菊池は不思議そうに神火を見た。彼はなぜ菊池を慰めるようなことを言うのだろうか。
「約束通り、仲間は見逃してくれるんだろうな?」
「ああ、奴らに縄を切らせるんだ。そうすれば追えないからな。こっちも言い訳になる」