世界の中心
「大丈夫?」
レイヨは膝枕をして菊池の額を冷やしながら尋ねた。
「ああ。僕が悪かったんだし。自業自得だよ」
日は既に落ちていた。一行は野営の準備をすっかり終え、焚火がメラメラと燃えていた。クナハはレイヨ達のそばに来ると菊池に話しかけた。
「悪かったね。本当に大丈夫かい?」
「ええ。心配しないで下さい」
と菊池は言った。
「しかし、クナハも岩を投げるんじゃからな。信じられんわい。ワシに当たったらどうするつもりだったんじゃ?」
「あんたに当たれば良かったんだよ」
クナハは顔をしかめながらイドリに向けて舌を出した。
食事が終わり片付けが済むと、クナハはレイヨのそばに来た。「それじゃ、頑張るんだよ」
クナハはレイヨの耳元にそう囁くと、ウィンクした。そしておもむろに立ち上がると、シコーとイドリの肩に手をかけた。
「オラオラ、向こうで飲むよ!確か酒が一本だけあったよね?」
「え?なんで?ここで飲めばいいじゃないですか」
「うるさい!四の五の言わずに着いてくるの!」
クナハは2人を引きずりながら離れて行った。
3人がいなくなると、辺りは急に静かになった。やや肌寒い初秋の風が心地よかった。菊池は起き上がると、レイヨの傍に座り直した。
「起きて大丈夫?」
「ああ。ありがとう。君のお陰ですっかり良くなったよ。君はいい看護師になれるね」
「ううん。私なんか」
レイヨは両膝を立てると、胸で抱え、焚火を見つめた。揺らめく炎は、彼女の顔に複雑な陰影を作っていた。
「僕は君に謝らなくちゃならない。謝って済む問題ではないと思うけど・・・、本当に済まない。僕のせいで、君の両親も、幕多羅も・・・」
「やめて、もういいの・・・それに貴方のせいじゃない」
彼女は炎を見つめた眼を動かさなかった。暫しの沈黙が続いた後、彼女はポツリと話始めた。
「お父さんが最後に私に言ったの。『お前はカンのいい娘だ。自分の信じる道を歩め。例えそれが困難でも、人から非難されても、自分が選んだ道をためらってはダメだ』って」
彼女の両眼は瞬きもせずに炎を見つめていた。そしてそこから大粒の涙が、まるで瞳から産み出された透明な卵の様に、彼女の頬に落ちていった。
「だから私はためらわないの。ためらっちゃいけないの」
菊池は焚火に枯れ木を放り込んだ。枯れ木はすぐに燃え始め、パチパチと弾けた。
「・・・僕には昔、と言っても300年以上前になるけど・・・、妻がいたんだ」
彼女は涙に濡れた瞳を菊池に向けた。
「結婚してたの?」
「ああ。たった1日だけだったけど。彼女は沙耶という名前で、とても頭のいい人だった。だが僕と同じ病気で死んでしまった。僕は何も出来ず、ただ病室で結婚式の真似事をしてあげただけ・・・。本当になにもしてあげられなかった。ただ彼女は死ぬ少し前に『私が死んだら貴方の心の一番大切な場所に生まれ変わるから貸して欲しい。貴方がその意味理解した時、私は貴方と一緒になれる』と言っていた。その時は何のことか分からなかったけど、死んだ後にわかったよ・・・。あれは自分を忘れるなという言葉だったんだ。彼女の言葉通り、僕は彼女を忘れるなんてできなかった」
菊池の眼にも涙が溢れてきた。彼は涙隠す様に空を仰ぐと、バンザイをした。
「後はもう破れかぶれ。そしてAELウィルスに感染したら、妙な人体実験に参加してこんな所にいる羽目になった。目覚める前の僕は死んでいたのと同じだった。人工冬眠も、別に目覚めないで死んでも構わなかった。だけど、目が覚めると目の前にレイヨ、君がいたんだ。僕はもう少しで死ぬだろう。なのに君に会ってしまった。初めの頃、会ってくれないって君が騒いだことあったろ?あれはウィルスを感染させたくないと言ったけど、本当は違う。・・・君に惹かれていくのが怖かったんだ。なんだか沙耶のことを忘れてしまいそうで怖かったんだ。だけど、やっぱりどうしようもない。僕は君が好きなんだ。どんどん僕の中で君が、君への愛が育って行くんだ」
レイヨは菊池の話を聴きながら泣いていた。
「今、僕は心から死にたくないと、君と一緒にずうっと暮らしていきたいと思っている。多分、沙耶と同じで、君も幸せにはしてあげられない。それでも愛している、愛しているんだ、レイヨ」
菊池はレイヨを見つめながら抱き寄せた。
「私もあなたが好き。大好き。あなたのことしか考えられない。これが私の選択なの」
二人は抱き合うと口付けをした。レイヨの頬を、再び透明な光の筋が降りて行く。しかし、この涙の意味は違っていた。
彼らは抱き合うと、世界の中心にいた。菊池は真にこの世界の人間となったのだ。
******
クナハは、鼾をかきながら寝入っているイドリに毛布を掛けてあげていた。
「本当、寝てもうるさい親父だよ」
シコーは慣れないアルコールに酔っ払いながら、クナハを見つめていた。彼女はとても美しい。そして相変わらず快活だった。しかし以前の彼女とは明らかに違っていた。シコーの視線に彼女が気がつくと、彼女は彼のすぐ隣に座った。太腿が密着し、彼女の体臭が届いてくる。酒のために頬は桜色に上気し、息は少し荒いようた。彼女は少し小首を傾げながら、自分のグラスを取り、酒を一口飲み込んだ。ゆっくりと喉が上下した。彼女は酒で少し赤くなり、トロンとした眼差しを彼に向けた。シコーは彼女を見つめていた。
「なんだい?あたしとやりたいのかい?」
彼女の口から発せられた彼女らしい直球は、彼の酔いを吹き飛ばした。
「い、いえ、そ、そんな」
「じゃあ、なんだい?ジロジロ見て気持ち悪い」
「い、いや・・・き、綺麗だなと思って・・」
クナハは予想外の言葉に珍しく狼狽えていた。
「な、何言ってるんだか、お坊ちゃんは。お姉さんをからかうもんじゃないよ」
彼女はグラスを一気に飲み干した。
「からかうなんて・・・」
「あたしはね、シコー、あんたが思っているような、綺麗な女じゃないんだ」
「そ、そんな。クナハさんはすごく綺麗ですよ。誰が何と言っても、私が保証します」
「あはは。有難う、ダーリン」
クナハはシコーに口付けをした。シコーは指の先までピンと張って身体を硬直させると、そのまま倒れてしまった。
「本当に格好悪いね」
******
夜は暗闇ではない。季節により空の明るさは異なっている。今日の夜空は、レイヨには昼よりも明るく自分の心を照らしてくれているように感じていた。どうか、どうか明けないで欲しい。今のこの時が永遠に続いて欲しいと心から願っていた。
「タカヨシの眼って少し変わってるね。なんか緑っぽい・・・。とっても綺麗」
菊池の腕に抱かれながら、レイヨは物憂げに話し始めた。
「そう?少し薄いって言われるけど」
「ねえ、タカヨシ。私ね、沙耶さんの気持ち、今なら分かるような気がするんだ」
レイヨは菊池の腕枕の中で話しかけた。
「沙耶の気持ち?」
「私が遺跡を彷徨っていた時、何かが私を貴方に導いてくれたような気がするの。きっと沙耶さんだと思う」
「沙耶が?何故そう思うんだい?」
「沙耶さんは、貴方が幸せになって欲しいと心から思っていたからよ。沙耶さんが言った、『貴方の心の一番大切な場所』ってどこだと思う?」
「・・・『愛を感じる場所』かな?」
「なんだ、分かってるじゃない。そう『愛』よ。貴方は愛する女性を失った。つまり『愛』が無くなっちゃったのよ。だから彼女がそこに生まれ変わると言ったのよ。生まれ変わった彼女はどうなると思う?」
「だから・・・一生忘れないで欲しいと思うんじゃないかな・・・」
菊池はレイヨから眼をそらした。レイヨを抱いた後に沙耶の話をすることが、少し後ろめたい感じがしたからだった。彼女は彼の顔を手で掴むと、強引に自分の方を向かせた。彼女の眼は真剣そのものであった。
「違うよ。なんでワザワザ『生まれ変わる』なんて言う必要があるのよ?彼女は『生まれ変わった』んだから赤ちゃんだよ。彼女は新しい『自分』を、つまり『愛』を育てて欲しかったんだよ、貴方に。やっぱり彼女は寂しかった。だけど貴方にも幸せになって欲しかった。だから、あんな言い方しかできなかったんだよ」
レイヨはそこまで話すと間を開けた。そしてゆっくりとだが、ハッキリとした声で語り続けた。
「沙耶さんのお眼鏡にかなったかは分からないけど、私は沙耶さんを愛しているタカヨシが大好きなの」
彼女は彼に向かって微笑んだ。
無垢の微笑み。
彼女の顔に沙耶の顔が重なって見えた。あの時の沙耶の顔だ。彼はレイヨの胸に顔を埋めると声を出して泣いた。
「ありがとう、沙耶。ありがとう、レイヨ」