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共生世界  作者: 舞平 旭
逃避行
151/179

胡蝶之夢

「私が行こう」


 神火は菊池達の追っ手を志願した。


「いえ、それには及びません。たかが脱走犯の追跡などに、神火様の御手を煩わせるわけには参りません」


 刑務所長代理となった副所長が言った。騒乱と火災は蘇芳刑務所に甚大な被害をもたらした。監房棟は半ば崩壊し、職員だけでも20名近くの行方がわからなくなっていた。囚人の被害となると皆目見当がつかない有様だ。また所長も行方不明で、まだ生死は不明だったが、絶望的だった。


「私では役不足かな?」


「いえいえ、滅相もございません。ただ私は・・・」


「もう良い。人手を用意しろ!直ぐに出るぞ!」


 逃亡したのは、菊池とイドリという山人の老人と、レイヨという幕多羅の生き残りの女である。菊池とレイヨは神火が地下で生きていることを確認していた。彼らには男が一人付き添っていたようだが、そのことは誰にも言わなかった。神火は蘇芳の官吏ではない。聞かれないことに答える必要性は感じていなかったからだ。菊池らの逃亡計画は既に判明していた。神火のアドバイスで、事件の時に蘇芳にいた商人や御者の生き残り全員が捕縛され、拷問されたからだ。そのうちの一人が、腕を一本失った後に全てを吐いた。

 彼らは北の毛の国に向かっている。

 これは問題だった。下手に大軍を動かせば戦争になりかねない。神火は、彼自身が少数の部隊で行き、早期にこの問題を解決するのが得策であると考えた。それに今回の蘇芳での騒乱には妙な因縁を感じていたし、菊池という男に会った時の『あの感覚』を、再度確認したいという欲求があったのだった。



 ******


 翌日も一行は黙々とペースを崩さずに歩き続け、少し早めに野営の準備に入った。クナハとレイヨは二人で料理の準備をし、イドリとシコーは天幕を張ることになったが、手の不自由な菊池はやることが無かった。


「俺も何か手伝いを」


「それじゃ、タカヨシは焚火を集めてきて。よく乾燥したやつじゃないとダメだよ」


 レイヨに命じられ、菊池は一人山に入った。辺りをぶらついていると、5分ほどで川に出た。周囲を緑に囲まれた川は、腰丈ほどの水量で、緩やかに弧を描きながら流れていた。菊池は狭い川原に降りると、岩に座って川を眺めた。まだ日はやや傾いた程度で、木々の間から川面に光を注いでいた。どこかで鳥の鳴き声がする。山中も心地は悪くなかったが、菊池には少し土の匂いがきつかった。水を手ですくい、顔を洗った。


「生き返るな」


 水辺は爽やかで気持ちが良く、彼の火照った身体を癒してくれた。菊池は時々発熱していたが、シコーが用意してくれた解熱剤でなんとかしのいでいた。しかし完全に熱が下がることはなく、全身がだるかった。これは骨折など蘇芳刑務所で負った外傷だけのせいではなく、確実にAELウィルス感染症が進行していることを示していた。だが既に感染してから4ヶ月以上が経過している。菊池の受持ち症例の多くは3ヶ月程度でADL(activities of daily living。日常生活動作)が低下していき死亡していった。彼がまだ動き回れるのは、ウェットスリープやこの異世界の影響がAELウィルスに出ているとしか考えられなかった。だが自分は間も無く死ぬことに変わりはないだろう。まだ死にたくはなかった。レイヨには身寄りはない。自分が彼女を助けてあげたかった。何とか死を回避する方法がないだろうか。刑務所で『聖餐の儀』を行うと言っていたが、一体なんのことなのだろうか。それにレイヨはどう関係しているのだろうか。彼には分からないことが多すぎた。特にこのアエルについては。

 菊池は潰された左手を見た。腫れはほとんど引いて、痛みもなかった。身体中にあった火傷や打撲も殆ど治っていた。菊池は自身の傷の治りが早いのに驚いていた。


「これも『アエル』様のおかげということか」


 AELウィルス。『アエル』だ。


「なんでローマ字読みなんだよ」


『AEL』は英語読みでは『イル』に近いため、初めて耳で聞いた時はその関連に気がつかなかった。

 菊池は複雑な気持ちだった。自分から人生の全てを奪い取った『アエル』は、彼の命を救おうとしている。結局は『アエル』が彼を殺すのにだ。生殺与奪せいさつよだつは所有者次第ということだ。まるで『アエル』に自分が所有されているようにすら思えてしまう。


「ご主人様以外は手を出すなと言うことか」


 彼は苦笑するしかなかった。大きく頭を振ると、止めどもなく垂れ流されてくる思考を止めた。そしてガラス玉を割ったように緩やかに輝く川面を見つめた。段々と川や森が彼を優しく包んでくれているような錯覚を覚えた。自然の抱擁はなんと心地よいのだろう。疲れていた菊池はウトウトし始め、ついには岩に座ったまま眠りこんでしまった。



 ******


 彼は夢を見た。


 菊池は広大な川の真ん中に佇んでいた。流れがあるので多分川なのだろう。両岸は見える範囲にはないので自信はない。水は膝までしかなかった。辺りは夕暮れなのか真赤で、足元を流れる川の水も、まるで血のように赤かった。

 辺りをキョロキョロと見渡していると、川の中からせり出してくるように、青年が現れてきた。水から出てきたのに、髪の毛一本すら濡れてはおらず、眼は開けたままの状態で水から出てきた。菊池は唖然とその光景を見ていたが、青年の顔には見覚えがあった。蘇芳刑務所で皇帝に面会した時にいた長髪の男に似ていたが、顔に傷がなく、かなり若い。青年は薄笑いを浮かべながら語り始めた。


「貴方は私、私は貴方なんです」


 そのすぐ横からシコーが、やはり真っ直ぐに水面から出てくると、


「貴方は大量殺戮者だ」


 と、こちらを指差して語りかけてきた。すると菊池を囲む様に何百、何千という人々が次々と水中からせり上がって来て、別々に何かを話し始めた。言葉は重なり合い、菊池には聞き分けることはできなかったが、徐々に一つの言葉に集約されてきた。何千人の言葉は周囲を圧する圧力のように菊池に降りかかってきた。


「大量殺戮者!大量殺戮者!」


 菊池の頭が割れるように痛んだ。水嵩みずかさが急に増え、水はいつの間にか深紅の血に変わっていた。彼は血中に没した。


 息苦しい。


 もがく彼に手が差し伸べられた。

 若い女性のしなやかな手が。

 真っ白なドレスを着た女には、背中に大きな白い翼が生えていた。

 眩しい後光が指しているため、顔は判別できなかった。

 彼は必死に掴んだ。

 しかしその腕は掴むと同時に根元から抜け、白い蛇のようなものに変化した。



 ******



 菊池は跳ね起きるように覚醒した。汗を大量にかいていた。彼は額の汗を拭うと、大きなため息をついた。最近はよく悪夢にうなされる。夢の中すら安住の地ではないのか。


「?」


 その時、川の音に混じって人の声がした。菊池よりやや下流からのようだ。川は少し湾曲して流れ、岸辺には森や崖が迫っているので、この位置からは声の主を特定することはできなかった。彼は川の中を通って服を濡らすのを嫌い、森の方から声のする場所に移動した。声が近づいてきた。それはクナハの声だった。


「やっぱ、冷たいね。でも気持ちいいよ。あんたもおいでよ。ほら、恥ずかしがってないでさ。あんまり汚いと、菊池に抱いてもらえないよ」


 菊池は葉陰から覗くと、レイヨがゆっくりと服を脱いでいた。


「!!」


 彼は狼狽えたが、眼を逸らすことができなかった。


「・・・綺麗だ」


 レイヨの裸体は美しかった。大きな胸は柔らかみをおびて弾み、身体全体が、全く無駄のない、しなやかなカーブを描いていた。クナハの妖艶な、つくところにしっかりとついた姿体とは、明らかに一線を画しているように感じた。

 二人は川の中程まで入って行くと、身体を洗い始めた。極めの細かい肌に水が流れて行く。水はしなやかな凹凸の隙間を、まるで舐めるように滴った。


「監獄生活の割りに痩せてないねえ」


 クナハはレイヨの裸体をしげしげと眺めた。


「大きなお世話です」


 レイヨは身体をひねって、胸や下半身を彼女の視線から隠した。


「いや、あんたの身体、とっても綺麗だよ。女のあたしでも抱きしめたくなっちゃう!」


 というと、クナハはレイヨに抱きついた。


「わ、や、やだ。やめて」


 二人は川の中でじゃれあっていた。



 暫くすると、二人は川岸の岩に並んで座った。クナハは、自分が野外にいることなど忘れているような大胆な格好だった。


「あんたさ、菊池とどこまでいったの?」


「な、なにを・・・」


 レイヨは真っ赤になった。


「そりゃ、男と女のあれよ、あ・れ」


「そんなこと・・・全然」


「へー、そうなんだ」


 クナハはセミロングの髪を両手でかきあげた。豊かな乳房が揺れる。


「それじゃ、私、もらっちゃおうかな?彼、格好いいし」


 クナハはレイヨに向けてウィンクした。


「だ、だめ!ダメ!」


 レイヨは眼をつぶりながら両手を前に突き出してイヤイヤのポーズをした。


「ははは。冗談よ、冗談。・・・でも、想いを伝えるなら早くした方がいいよ。だって私達は、いつ何があるかわかったもんじゃないんだ。後で後悔しないためにもね」


「・・・はい」


 レイヨは俯いてしまった。



「おお、いい眺めじゃ」


 菊池はふと横を向くと、そこには鼻の穴を広げたイドリと鼻血を出しているシコーがいた。


「うわ!」


 驚いた菊池は、思わず声をあげた。


「ば、バカ!」


「きゃー!」


 レイヨは直ぐに胸元を隠すと川に座り込んで身体を隠した。


「なに覗いてるんだ、変態ども!」


 クナハの投げた石、いや、岩だ、が、イドリめがけて飛んできた。しかし老人がヒョイと避けたため、隣にいた菊池の顔面に命中した。


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