老人の力
菊池はレイヨの監房に向かった。
「レイヨ!大丈夫か!」
「タカヨシ!」
檻越しに二人は手を繋いだ。
「待ってろ、すぐに開けてやる」
菊池は牢屋の扉を開けようとしたが、扉は閉ざされ、ガチャガチャと音がするだけだった。
「鍵がかかっている。鍵はどこだ?」
菊池は周囲を見渡したが、瓦礫が見えるだけで鍵を持つ看守は見当たらなかった。彼は懸命に扉を開けようとしたが、鍵がなければ開きそうもなかった。
その時、背後に現れた男がいきなり彼に抱きついてきた。
「菊池さん!良かった、生きてたんですね!」
慌てた菊池は男を振り解こうとしたが、涙を流しながらしがみついている男の顔を見て、驚いて腕を止めた。
「お前はあの時の医術師か?・・・何でこんな所に?」
男は我に帰ると、恥ずかしそうに顔を赤らめた後、菊池から離れてスッと立ち上がった。
「シコーです。詳しいことは後で。鍵はこれです。とにかく逃げましょう」
シコーから鍵を受け取ると、菊池はレイヨの監房を開けた。扉が開くと共に、飛び出してきた彼女は菊池に飛びついた。
「ああ、タカヨシ!会いたかったよー」
「俺もだ。体、大丈夫か?」
「うん。タカヨシは?」
「俺は大丈夫だ。それより、急いで逃げよう」
「菊池さん、私たちと一緒に逃げましょう。ご安心ください。逃げ道も確保してあります。とにかく上に」
シコーの言葉に嘘はないように感じた菊池達は頷きあうと、シコーの後について行った。彼らは奥の扉を開けて運搬機に向かった。上に上がる経路として最も近いからだ。幸い、所員は誰もいなかったが、先程の爆発で電気が落ちており、運搬機を動かすボタンを押しても反応はなかった。シコーは大きく首を横に振った。
「ダメです。これは動きそうもありません。階段に戻るしかないですね」
三人は今入ってきた扉を開けると、真っ暗な廊下を戻っていった。まだ周囲には大量の埃が舞ってあて真っ暗で、視界は余り効かなかった。瓦礫や人が転がっている中を、彼らは階段に向かって注意深く歩いていった。所々でうめき声が聞こえ、所員の中には立ち上がろうとしていた者もいたが、彼らは無視して先に進んだ。
中ほどまで差し掛かった所で、菊池はフラフラと歩いているシタカを見つけた。
「シタカ!大丈夫か?」
菊池はシタカに駆け寄った。
「ああ、菊池ですか。ひどい目にあいました」
彼は頭から血を流していたが、傷は浅いようだ。先程までとはことなり、眼には正常な光を宿しているようだった。
「お前、分かるか?」
「はい、取り乱したようですみません。もう大丈夫です。早く逃げましょう。あなたも傷だらけのようですね。安全な所に行ったら回術をしてあげますよ」
彼ら四人は再び階段に向かって歩き出した。真っ暗な中、足元に転がっている大小の瓦礫を避けながら、なんとか階段室の前にたどりついた。扉の向こうの階段を上がれば外だ。なんとか逃げ切れる。四人の心に希望の光が現れた時、いきなりこうから扉が向開いた。そこには背が高く、肩幅の広い男が立っていた。
「か、神火様!な、なんでここに?」
その男を目にしたシタカは全身で震えていた。男の渦動師の鎧の肩には、赤い炎で描かれた狼のマークが鈍く光っていた。
******
クナハは女性監房の鍵を投げ込み終えていた。すでに蘇芳刑務所の廊下は囚人でごった返しており、階段室から管理棟に通じる扉も破壊されていた。逃げ惑う者、他者を助けようとする者、所員を襲う者。混乱が周囲を満たしていた。そのため、彼女は自分の背後の変化に気がつかなかった。シコー達との集合場所に戻ろうと彼女が振り返ると、眼前に大男が立ち塞がった。
「あ、あんた・・・」
「ははは。クナハ。やっと見つけたぜ。さっきはよくもやってくれたな」
タリハが腕を組んで仁王立ちしていた。彼女は現在の状況を理解できずにぼう然としていた。コイツには半日は寝るに十分な麻酔薬を注射したハズだった。なぜ平気なのだ?
その時、いきなり横から手に棒を持った3人の囚人が現れ、タリハを見るとニヤニヤ笑いながら周囲を囲んだ。手に持った棒は血で鈍く光っていた。
「お、警備主任じゃねーか。いい所で会ったな。仲間の恨み、晴らさせてもらうぜ!」
3人は棒を振り回すと、同時にタリハに襲いかかった。クナハは驚いてその場にしゃがみ込んでしまったが、タリハは意にも返さず、そのまま彼女の方に近づいて来た。
「クナハ、お前・・・」
男達の攻撃はタリハの頭と腹に命中したが、棒は粉々になった。しかし彼は蚊に刺されたかのように平然とし、頸を1、2回、回しただけだった。そして驚いて硬直している男達に顔を向けた。
「がはは。お前達の仲間のことなど憶えてないが、そんなにやりたいなら相手はしてやるよ!」
襲いかかった男達は、自分達の獲物が歯の立つ相手では無いと悟った刹那、タリハの拳によって絶命した。タリハは己の拳に刺さった男達の歯を抜くと、震えてしゃがみ込んでいるクナハの前に座りこんだ。そして彼女の肩を掴んで引き寄せると、耳元で囁いた。
「これはお前らがやったのか?とんでもない奴らだ。悪い子にはお仕置きをしてやらなくちゃな」
「きゃー!」
彼女は蒼白になると彼の腕を振りほどき、尻餅をついたまま後退りした。タリハはゆっくりと立ち上がると、彼女の細い足首を掴んで左手で持ち上げた。
「嫌ー!」
クナハはタリハの目の前で逆さ吊りにされた。髪が逆立ち、ミニスカートの白衣がはだけて下着が露わになったため、彼女は足を閉じて手でスカートを上げて懸命に隠そうとした。
「助けて・・・お願い、うっ」
「ははは。いい眺めだ。ますますお前が欲しくなってきたぜ」
タリハの眼は欲望の光に満ちていた。口角から涎が垂れてきたが拭うことも忘れていた。そして空いている右手で彼女の大腿をなで回した。
「うんうん。確かにいい眺めだ。しばらく見ないうちに、クナハも立派な女になっていたんだな」
タリハのすぐ後ろから、男の声が発せられ、タリハは驚いてそちらを振り返った。そこにはイドリが立っていて、好色そうな眼でクナハの太腿を見つめていた。
「おやじさん!」
苦痛に満ちていたクナハの顔色が希望に明るくなった。
「お前!」
タリハは右手をイドリの方に振り回してたが、イドリは笑いながらヒョイと後ろに飛び退いた。
「久しぶりだな、警備主任。元気そうだが、お前、そんなことやってて大丈夫か?この騒動は全部お前の責任じゃないのか?クビになるだけじゃすまんだろう?」
イドリはつり下げられた彼女の尻をじっくりと眺めながら話した。
「スケベじじい!どこ見てんのよ!早く助けてよ!」
クナハは足を更に強く閉じ、手でスカートを引っぱり上げて股間を隠しながら叫んだ。
「うーん、もう少しクナハの成長を確認して、養育の感動を味わいたいがの」
「ばかあ。後で見せてあげるから、早く助けてよう!」
「本当か!」
イドリは初めてタリハの眼を見ると、スッと手を伸ばしてクナハを掴んでいるタリハの左手首を握った。ミシミシとタリハの骨が軋む音が聞こえ始めた。
「ぐうっ」
タリハは苦痛に顔を歪めると、クナハを離し、間髪を入れずに右拳でイドリに殴りかかった。
「きゃん!」
クナハは真っ逆さまに落っこちたが、彼女が地面に落下する前に、タリハの拳はイドリに命中した。先程、男達を絶命させた一発である。しかしイドリは左手でタリハの拳を受けた。ビシっと鞭を打ったような音が辺りに響いたが、老人の笑みは消えなかった。
「おお、中々いいパンチだな。クナハ、後ろにお行き」
クナハは急いで起き上がると、イドリの背後に逃げていった。二人は手を離すと、少し距離を空けた。肩を回しながら老人はタリハの前に立ち塞がった。
「おい、爺さん。俺と戦うってのか?」
彼は薄笑いを浮かべ、イドリを睨んだ。二人が並んで立つと、大人と子供ぐらいの身長差があった。しかし老人は微笑み続けていた。
「女に刺されて鍵を奪われるような間抜けは、老いぼれ一人で十分だろ」
「この老いぼれが!」
タリハは顔を真っ赤にして激怒すると、左ストレートをイドリに振るった。拳は風を切る音を立てながらイドリに向かったが、彼はアッサリと右にサイドステップして躱すと、逆に右ストレートをタリハの左顔面に叩き込んだ。タリハは奥歯が砕け、身体ごと吹っ飛んでいった。尻餅をついたタリハは唖然としていた。
「こ、この死に損ないが!」
口角の血を拭いながら立ち上がると、叫び声をあげながらイドリに向かって突進してきた。イドリは見た目からは想像ができない軽やかなステップで、タリハの突撃をかわした。あたかも狂牛を相手にする闘牛士のように。そして背後に回り込むと、大きな背中に飛びついた。両足でタリハの脇の下から胴を絞め付け、右腕を頸に回し、左腕を後頸部に回して絞め始めた。頸部を前後から挟み込んで絞める裸絞め《バックチョーク》である。
「グググ」
タリハはイドリを背中に担いだまま、背中から壁に体当りしてイドリを引き剥がそうとしたが、老人のバックチョークは外れることはなく、数秒でタリハの意識を落とした。タリハは床に崩れ落ちたが、老人はそのまま絞め続け、簡単にその頸骨をへし折ってしまった。鈍い音が当りに響いた。不思議とその音は、喧騒の中でもクナハの耳にしっかりと届いていた。