死亡宣告
決行当日、菊池はシタカから受け取った紙包みを開いた。中にはきっかり3gの毒が入っているはずだった。3gの粉薬はかなりの量に見えた。純白よりはやや透明に見える粒が多く、一部不透明な茶色い粒が混じっていた。
これから毒を飲む。
それも日本人には馴染みが深いながらも、最も恐れられているフグ毒を。
菊池は生唾を飲み込んだ。
本当に大丈夫だろうか?
しかしやるしかない。レイヨを助けるんだ。
0時。時間だ。
菊池は包み紙ごと水の中に入れると、よくかき混ぜて一気に飲み干した。無味無臭。
少し舌がピリピリするような感じもあったが特別何も感じなかった。
数分で唇に痺れが出始め、徐々に指先と足先が痺れはじめた。
息苦しい。
危ないと感じた菊池は看守を呼んだ。
「た、助けてくれ!き、気分らわるい」
呂律が回らなくなってきて、続いて手足、特に足が痺れてきた。まるで足に重しでもつけているような感覚だ。
看守は菊池が一言つぶやいた後に倒れ、動かなくなるのを見て、大声で助けを求めた。
今夜の当直回術師はミナタだった。
「今晩は」
シタカが管理棟2階の当直室に顔を出すと、ミナタは驚いて暫く返事もできなかった。シタカがこんな時間に当直室に顔を出すなんて初めてのことだったからだ。
「シ、シタカさん、どうされたんですか?」
ミナタの返事はかなりぎこちなかった。驚いたこともあるが、最近、シタカとの関係が妙な具合にギクシャクしていたことも関係していた。自分が蒔いた種とはいえ、彼から叱責があって然るべきなのに何も言ってこないのが、かえっておかしな具合にさせていた。今まで、取るに足らないことで小言を言ってきていた彼とは、まるで別人の対応だったからだ。
「いや、少し調べ物がありましてね。何か変わりはないですか?」
「ええ、大丈夫です」
シタカとミナタはたわいもない雑談をした。ミナタは、いつ菊池のことを追求されるのかと、雑談中も緊張していたが、シタカはまるで意に介していないような素振りだった。
いつまでも下らない話をしているシタカに、ミナタは逆に疑問を抱くようになっていた。
「・・・シタカさん、この間はすみませんでした」
ミナタは思い切って疑問をぶつけてみることにした。
「何がですか?」
「菊池のことです。本当はシタカさんにご報告しようと思ったんですが、菊池が・・・」
「ああ、その件ですか。別に気にしていません。以後気をつけて貰えば構いません。貴方も忘れて下さい」
シタカはやや引きつった笑を返してきた。
「あ・・・え?それだけですか?」
「それだけ?他に何かあるんですか?」
「いえ。ただいつものシタカさんと違うなと・・・」
すると、シタカはいきなり狼狽えはじめた。
「べ、別にいつもと変わりませんよ。そんなことより・・・」
その時、二人の会話を妨げるように、どこからか助けを求める叫び声が聞こえてきた。
「なんだ!?」
二人は慌てて回療室から駆け出した。
「下だ!」
この時シタカが真っ直ぐに菊池の監房に駆けていくのを見て、ミナタはかすかな違和感を覚えたが、この時はそれどころではなかったた。しかしこの小さな綻びは、後に大きな災として菊池を脅かすことになった。
彼らが菊池の監房に入ると菊池が白目を向いて仰向けに倒れていた。シタカは菊池に駆け寄ると、身体を揺さぶった。
「菊池!大丈夫ですか!」
しかし呼吸は辛うじてみとめられたが弱く、呼びかけに反応はなかった。そして四肢は僅かだが痙攣していた。シタカは、ミナタが駆け寄ろうとするのを制し、
「防性変換!」
と叫んだ。彼の右肩から青白い光が浮き出ると、スルスルと前胸部を超えて左肩まで伸びた。そして両手を菊池の胸に当てると青い光が菊池の胸を貫いた。
「いけ!」
菊池の身体が軽く弓反りになる。しかし効果はなかった。
「もう一度!」
再び菊池の身体が痙攣したが反応は現われなかった。そして菊池の呼吸は浅く少なくなっていき、ついには止まってしまった。シタカは聴診と頸動脈の触診を行い、
「0時15分死亡確認です」
と宣告した。
菊池はその様子を、まるで外から眺めているような、不思議な感覚で見つめていた。幽体離脱というのはこういう感じなのかもしれないと思った。身体は全く動かないが、疼痛がある訳でもない。周りの人たちの動きがスローモーションに見えた。
ミナタと看守は呆然としていたが、シタカはテキパキと指示を出していった。
「直ぐに所長に連絡しなさい!所長はいつ頃来られますか?」
「え、い、今からなら、15分以内にはいらっしゃるでしょう」
しかし所長は、着の身着のままで10分もかからずに到着した。
「な、何があった!どうするんだ!陛下になんて申し開きをすればいい?お前の責任だ!タリハはどうした?奴は何やってるんだ!」
眼を充血させ、唾を飛ばしながら所長は誰彼となく怒鳴り散らした。頭をかきむしりながら、落ち着きなく歩き回っている所長に、シタカは恐る恐る尋ねた。
「遺体を安置所まで運びますが、いいですね?」
「勝手にしろ!・・・ああ、どうすれば・・・」
所長は頭を抱えて座り込んでしまった。彼は自分の保身の方法を考えるのに精一杯だったのだ。
菊池の遺体を移動寝台に乗せると、シタカは遺体と共に監房を出て行った。所長同様、シタカも自分のことて精一杯だった。そのためミナタが不振の眼でそれを見送っているのには気がつかなかった。
シタカは管理棟からL字になっている建物の中央にある階段室を抜けて監房棟に向かった。階段室の扉を叩くと小窓が開き、中から当番の所員がシタカを見た。
「シタカ様、どうされました?」
「君は知らないのか?菊池が死んだのを?これが遺体だ。下に運ぶ」
「え?菊池が死んだ?」
そう言うと、階段室の重い扉が開かれ中から当番がでてきた。当番は菊池の顔を見ると驚き、移動寝台をシタカと共に押しながら、急いで監房棟側の扉を開けてくれた。シタカは当番の所員に軽く例を言うと、真っ暗な長い廊下を、軋む移動寝台を押しながら進んでいった。彼は建物の端にある昇降機に向かった。
地下に寝台を降ろす唯一の手段である。数少ない電気式の昇降機に乗るには、守衛室に入る必要があった。そこで人や物は検査され、問題のない場合のみ昇降機での移動や、寝台がやっと通る程の小さな裏口からの退出が可能となっている。昇降機は各階に止まることが可能だが、通常は2階、3階の監房階は止まらないように設定されているので、地下に向かう専用となっていた。
シタカはインターホンで、守衛室に入る両開きの扉を開けてもらい、中に入った。中は何もない小部屋で、入ってきた扉以外に3つの扉があった。一つの扉は柵のみで、昇降機の扉だと直ぐにわかった。守衛室を通過するには、通常、正式な書類が必要だったが、ここの所員達は先程の騒ぎを知っていて、菊池の遺体を見せると急いで下の階に連絡して昇降機の鍵を開けてくれた。シタカは所員と共に運搬機に乗り、地下3階に向った。昇降機はゆっくりと下降していった。眼前の壁が、柵越しに上に流れていく。唸るような低いモーター音がこもり、時々引っかかるように上下に揺れた。シタカの顔色は悪く、昇降機が揺れる度にビクビクしていたが、同伴した所員は別に詰問する訳でもなかった。
地下3階に到着すると、所員は手動で柵を上げた。そこには別の所員が待っており、菊池の乗ったストレッチャーが昇降機から出されると、守衛室の所員は昇降機に乗って戻っていった。
地下の所員は黙って奥の扉を開けた。扉の直ぐ傍の部屋が安置所、奥の扉はレイヨがいる地下牢に繋がっていた。
シタカは安置所への扉を開けて菊池の遺体を運び入れた。シタカは急いでいた。早く回術をしなければ菊池が死亡してしまうかもしれない。邪魔が入る前に。