幽霊の理由
居間で戦闘が始まると、床下のクナハとシクラは震えながらゆっくりと移動を開始した。床がドンドンとつかれる度に、彼女達は恐怖で悲鳴を上げそうになったが、口を押さえながらかろうじて耐えていた。床下は真っ暗で、手探りで進んでいくしかなかった。少し先に、こちらに向かってくる人の気配がした。クナハは妹の手を取ると、ゆっくりと柱の陰に隠れた。敵だ。床下にも敵がいるのだ。それも共生者ではないことはクナハにもわかった。ウトクに知らせなければ。
敵をやり過ごすと、クナハはシクラに囁いた。
「いい、あんたはこのまま山に逃げなさい。お姉ちゃんはウトクさんに、あいつのことを知らせに行ってくるから」
「嫌だ。一緒に行く。一人じゃ嫌」
「大丈夫。心配しないで。ウトクさんは強いのよ。ウトクさんと一緒に必ず迎えに行くから、先に待ってて」
クナハは嫌がるシクラを無理矢理逃げさせると、居間の方に戻っていった。
床下では、先程の男が剣を抜いて構えているのが微かに見えた。下から襲おうとしているのだ。
クナハは叫んだ。
「ウトクさん!下よ!」
ウトクはクナハの声を聞くと、大きく左へ跳躍した。その瞬間に床板から剣が突き出てきた。ウトクは着地と同時に床板の隙間に剣を突き刺した。
手応えがあった。
素早く剣をテコがわりにして床板を剥がしたが、そこには敵の姿は無かった。
「クナハ、逃げろ!」
真っ黒な床下の空間に向かってウトクが叫んだ時、後ろの床板が吹き飛ぶと同時に剣が振り下ろされてきた。ウトクは転びながら辛うじて剣を受けると、直ぐに立ち上がって敵に向き直った。そして少し離れた背後の床板が飛び上がると、クナハを人質にした敵が上がってきた。後ろから彼女の頸に白刃が添えられていた。
「迂闊だった。まだ2人も残っていたのか」
ウトクはクナハを人質にした男の方に向き直った。前後からの挟撃を嫌った彼は、右手に移動しようとしたが、背後の敵が移動してそれを阻止した。
「動くな。この娘がどうなってもいいのか?」
クナハの白く長い首筋に当てられた刃に力が込められた。
「ウトクさん・・・ごめんなさい」
彼女の声は震え、涙がこぼれていた。
「クナハ、怪我はないか?」
「うん」
「よかった。心配するな。俺が・・・」
その時、背後の敵がウトクの背中に剣を突き刺した。
「ぐっ!」
「きゃー!ウトクさん!」
ウトクはクナハから視線を逸らさず、背後の激痛を噛みしめるように顔をしかめた。
「へへへ。ウトクをやったぜ!」
後ろからウトクを刺した男が、引きつった声で笑った。
「痛えな!」
ウトクはそうは言ったが、後ろを振り返りもせず、自分の剣を逆手に握り直し、剣を腰の鞘に納めるかの様な動作で、背後の敵の腹に剣を見舞った。
「ぐぶう」
男は剣を離して倒れた。ウトクは男から剣を抜くと、己の背中には剣を刺したまま、ゆっくりと、そして一歩一歩、クナハの方に近づいていった。
「ち、近寄るな!この娘を殺していいのか!」
男はヒステリックに叫んだが、ウトクは歩みを止めようとはしなかった。重い脚を引きずるように、敵の血に塗れた己の剣を引きずるように。
「ウトクさん!」
「大丈夫だ、クナハ。安心しろ。今すぐ助けてやる」
「畜生!死に損ないが!」
男はクナハを突き飛ばすと、獣のような雄叫びを上げてウトクを攻撃してきた。
ウトクは冷静に、そして素早く剣を使い、男の右腕を薙ぎ払った。切断された腕は、その場にドサリと落ちた。
「ぐがぁぁぁ!」
男は悲鳴を上げたが、ウトクは直ぐに男の首を切り落とした。
血の噴水を背景に、クナハはウトクに駆け寄った。
「ウトクさん!大丈夫?」
ウトクの傷は深く、顔面は蒼白になっていた。
「ああ。大丈夫だよ、大丈夫。毒もないみたいだし。このぐらいじゃ死にはしない」
クナハはウトクの指示に従って背中の剣を引き抜くと、布で圧迫止血をした。しかし当て布は直ぐに血液に満たされ、大量出血が続いているのは一目瞭然だった。アエルによりじきに止血はされるだろうが、大量出血後では動くこともままならなくなるだろう。出血死か敵に刺殺されるかの違いでしかない。それならば、動けるうちに少女達を逃さなければならない。
「ありがとう。それじゃ、今直ぐに妹の後を追うんだ。ここにいちゃいけない」
「嫌よ!一緒ににげよう!」
「駄目だ。俺とじゃ逃げられん。奴らは俺が死ぬまで追ってくる」
ウトクはクナハの両肩を握ると彼女を大きく揺さぶった。
「妹が死んでもいいのか?頼むから逃げてくれ」
「・・・わかった」
クナハは涙に濡れた眼をウトクに向け、抱きついた。
「絶対、ぜーったい死なないでね!」
「いたた」
「あ、ごめんなさい!」
「ははは」
「ふふふ」
二人は最後の微笑みを満喫した。
「いいか、俺はこのまま玄関から打って出る。お前は裏口から逃げるんだ」
「うん・・・死なないでね。私、待ってるから。ずーっと山で待ってるから」
「ああ。心配するな。俺は強いんだぜ。それじゃ早く行け!」
ウトクはクナハと別れると、玄関に向かった。大勢の共生者が包囲しているのは感じたが、流石に正確な人数まではわからなかった。10~15人ぐらいか。
ウトクは玄関に着くと、立ち止まらずに玄関扉を開けた。
まるで、
「行ってきます」
と朝出かけるように。
辺りには篝火が焚かれ、5~6人の兵士が見えた。突然の標的の出現に、一同は慌てて身構えた。
「ウトクだ!囲め!」
房軍の小揮(西暦世界の少尉相当)が叫んだ。小揮が率いているなら30人程度、小隊規模だ。しかし対峙している共生者は、その半数にも満たない。連戦で向こうもキツイのだろう。まだ勝機はある。
ウトクは高々と両手を上げた。
「おい、小揮。名は?」
「・・・ユダツ」
「ユダツ、お前は何のために戦っている?自分のためか?共生者だからな」
ウトクはゆっくりとユダツに歩み寄ってきた。
「だが、小隊といえども部下を率いれば分かるはずだ。我々は何のために戦っているのかを」
「な、何を言っている」
「お前はまだ内なるものの支配を理解していないのか?いや、お前は分かる筈だ。内なる支配者を」
ユダツはたじろんでいた。このような議論をしたこともないし、考えたこともなかった。この男は何を語っているのか?
「ユダツ、仁岐志様はなぜ兵を挙げたのか理解しようとしたか?」
「理解・・・?私のような下士官には理解など不要です。ただ命令に従えば・・・」
「何故従う?」
「軍属として、命令に従うのは当たり前です」
「そうか?我ら共生者は極端な利己主義者だと聞いたことがある。そいつと話すまで、自分達が利己主義者だと考えたことなど一度もなかったが、言われてみれば、明らかに適応者とは違うと理解できた」
「適応者と自分をお比べになるのですか?あんな者どもと?」
「俺もそう思って生きてきた。だがな、あいつらがおかしいのか、俺たちがおかしいのか、お前は分かるのか?俺たちが優っているのは数だけだ」
「そんなことはありません。適応者など脆弱な輩ではありませんか」
「そうか?奴らがいなければ、俺たちは存在できないんだ。そんなに弱い生物が感情を持って生きられる筈がない。だから俺たちはおかしいんだよ。俺たちは犬畜生より劣るんだよ。俺は畜生にはなりたくない」
ウトクはゆっくりとユダツに向かって歩いていった。
「もう沢山だ。これ以上話しても仕方ありません。どうか、降伏してください。私は貴方をこの手で殺したくはない」
「いいや、それはできない。俺が降伏すれば、各地で戦う部下も降伏し始める。それに神人を雇ったぐらいだ。どうせ神明帝は助けてはくれんだろ。どうせ死ぬならば、人間として死ねる今がいい」
「貴方が死にたがっている理由はこいつらですね?」
ユダツは部下に合図をした。すると、後ろからクナハとシクラが引き立てられてきた。
「ウトクさん!」
二人はウトクに向かって走ろうとしたが、背後から押さえられて身動きができなかった。
「こいつらのために死ぬことが、貴方の言う人間らしさなのですか?私にはわからない。ならば、こいつらを殺すだけです」
「やめろ!わかった。降伏する。だから彼女達は離してやってくれ。頼む」
ウトクは剣を捨てると、その場に座り込んだ。
「ウトクさん!」
クナハは彼女を押さえていた兵士の指に噛みついた。
「いてて!」
クナハは束縛から逃れると、ウトクに向かって駆け出した。
「ウトクさん!」
「こいつ!」
その時、噛まれた兵士は抜刀すると、クナハの背中を斜めに切り割いた。彼女は背中から血を流しながら、ウトクに向けて腕を伸ばした。
「ウト・・・」
そして、大地に倒れた。
「クナハ!」
ウトクは重症者とは思えない速さでクナハに近寄ると、身体を抱えた。
「おねぇちゃん!」
シクラは唖然として状況を見ていた兵士の腰から短刀を抜くと、腹に突き刺した。
「ぐぁ!」
シクラを押さえつけていた兵士が腹を押さえて呻いた。シクラは血に濡れた短刀を持ったまま、兵士達の間を縫うように、クナハに向かって駆け出した。
「シ・・・クラ、に・・・ダメ」
ユダツは無表情に、居合いのように素早く抜刀しながらシクラに斬りつけた。
シクラの動きが急に止まった。
唖然とした顔に涙を浮かべ、姉に両腕を伸ばした。
「おねぇ・・・ゴボッ」
シクラの口から血が吐き出されると、首が前にゆっくりと落ちていった。身体から『首の皮一枚』残して切られていたため、首は胸の前にぶら下がり、彼女は自分の首を愛おしそうに胸に抱える形になりながら前のめりに倒れ、切断面から血が噴水のように噴き出した。
クナハは悲鳴を上げた。
ウトクは腰から娘の形見の服を出し、クナハの頭に枕代りに敷くと、
「クナハ、いいか、生きろ。
何があっても。
シクラや俺の分も。
頼んだぞ」
と、クナハの額を優しく愛撫しながら話しかけ、敵に突進していった。
この時、彼女の心は壊れた。
笑いが止まらず、自分の見ているもの、境遇全てが消えてしまった。
共生者は一般に精神的なストレスに強いと言われている。しかし成人前の彼女にとって、両親の死、知人・友人達の死、そして目の前で起きた二人の死は彼女の精神を崩壊させるのには十分だった。
クナハには、その後のことは覚えてはいない。ただ、殺されかけた時にイドリ達山人に助けられたことは後で知った。
そして廃人のようになっていた彼女を救ってくれたのは、イドリと今は亡きイドリの妻、アシネ、そしてマシカだった。アシネは母のようにクナハを介抱し、育ててくれた。イドリも、スケベだが、父だと思っている。そしてマシカもクナハと同じ境遇だったが、励ましてくれた。
彼女は徐々に回復し、やっと5年前に匙の国に行き、看護師の勉強を始めることができた。匙の国は共生者と適応者が平等に暮らしており、山人の組織もあったからだ。
クナハが看護師になったのは、共生者ながらアエルを操れない彼女が人の命を救う手助けが出来る職業だったからだ。
「私の命はシクラとウトクさんが死んじゃった時に終わっちゃったの。だったら幽霊が人助けをするのも悪かないじゃない?」
マシカになぜ看護師になりたいか聞かれた時に答えた言葉だ。
妹とウトクの仇、ユダツを忘れたことはない。