ウトク
「おい、起きろ、おい」
クナハは身体を揺り動かされ覚醒した。彼女は泣きながら眠ってしまったようだ。周囲は真っ暗で、まだ夜は明けていないようだった。
「おはよ・・・」
「静かに」
ウトクは彼女が話そうとするのを手で制した。彼の顔には緊張がみなぎっており、クナハは思わず唾を飲んだ。
「敵だ。囲まれている。まず静かに妹を起こせ。そして床下に隠れてじっとしているんだ。何があっても絶対に出てきたり声を上げたりするな。そして騒ぎが始まったら、静かに山に向かって逃げるんだ」
「あなたは?」
「俺は何とかなる。心配するな」
クナハはウトクの前で首を横に大きく振った。
「嫌だよ。みんなで一緒に逃げようよ」
「そうはいかない。いいか、相手はここを包囲しているんだ。間違いなく俺を狙ってだ。君達は関係ない。まだ『芽』のないお前
たちなら大丈夫。クナハ、その歳になっても『芽』を持っていなくて助かったな」
クナハは恥ずかしくなり、少し顔を赤らめた。
「ははは。何があっても絶対に動くなよ、約束できるか?」
クナハは俯いているだけだった。彼は、そんな彼女の頭に優しく手をかざした。
「お姉ちゃんがそんなんでどうする?妹を守れ。それよりもいいか、下手に動けばお前達も探知される。騒ぎが始まるまで待てよ。山に入ったらそのまま山越えをしろ。あの山を越えさえすれば、房軍は手を出せない」
「一緒に行こうよ・・・お願い。貴方しかいないの」
涙を流しながら、彼女はウトクを見上げた。彼の顔は一瞬真顔になったが、すぐに優しい笑みに戻った。そして諭すように再び話し始めた。
「そんな顔をするな。
俺は家族が死んでから、他人のために何かをしたことはない。するつもりも無かった。
だけど君達に会った。私も君の妹を守りたいんだ。そして君も・・・。
こんな気持ちになるなんて、久振りなんだ。
本当に生まれ変わったみたいなんだ」
ウトクの顔は、心から幸せに満ちているようで、クナハには何も言えなかった。
「いいか、どんなことが有っても生きるんだ。それが俺の最期のお願いだ。約束してくれ」
「・・・うん、わかった」
ウトクは楽しそうに大きく頷くと、クナハの頭をグチャグチャとなでてから、部屋を後にした。
クナハはシクラを起こすと、急いで床板を開けて中に下に降りた。床下は真っ暗で湿度が高くジメジメしていたが、隠れるのに高さは十分で、四つん這いならば移動も容易だった。
「ウトクさん・・・無事に戻ってきて・・・」
クナハは暗闇でシクラを抱きながら祈った。
ウトクはこの家で最も広いスペースである居間に入った。居間の正面と右手に大きめの扉があり、立派な調度品が配置されていた。彼は棚を右の扉に寄せて閉鎖すると、他の調度品を端に寄せて更にスペースを広くした。思った以上に空間を確保できた。これならば剣を振るうのに問題はないだろう。
ウトクは部屋の真ん中に胡座をかいて座り、抜き身の剣を眼前の床に突き立てた。外で房軍が焚いている篝火の光が微かに部屋を照らし、剣に鈍い光を加えていた。
相手は感知しているだけで7~8人はいる。多分10人は下るまい。ならば、可能な限り地の利を生かして戦うのだ。やはりここがいい。適度な広さで、入口を正面の扉だけに絞れば、囲まれる心配もない。ここで一戦してから活路を開いて、山と反対側である玄関の方に誘導すればいい。
ウトクは渦動師ではないが、今のところ、外の敵に渦動師がいる感じはしなかった。だが敵が渦動口を開かないと正確には分からない。しかし例え渦動師がいたとしても、渦動波で外から攻撃してくる可能性は低いだろう。渦動波を下手に使えば家ごと崩壊させてしまうかもしれず、ウトクの死亡確認が困難になるし、渦動師は正面戦を尊ぶ。それに何と言っても、相手は圧倒的多数なのだ。
「来たか!」
正面から気配がする。3人か?ウトクはゆっくりと立ち上がると剣に手をかけた。
その時、突如として頭上から刺客が降ってきた。ウトクは危険を感知して左に跳ねた。
「!」
覆面をした刺客の剣は右背部を切り裂き、皮鎧に大きな傷を作ったが、身体には届かなかった。
紙一重だ。
ウトクはそのまま剣を刺客に打ちつけた。しかし、敵は驚くべき身体能力で回避すると、そのまま跳ねるように正面の扉を突き破って部屋から逃亡していった。
「まさか・・・」
先程の騒乱は嘘のように、居間は静寂に包まれた。ウトクは剣を握り直すと、辺りをうかがった。
途轍もない殺気を感じる。
それも何人もの。
しかし共生者の存在は感知できない。
「まさか神人か!」
適応者の暗殺者集団は限られている。それもこれだけの手練れは、房の国では神人しかありえない。
だが何故、適応者の暗殺者集団を戦に介入させたのだ?
仁岐志様の暗殺のためか?
神明帝は狂われたのか?
ウトクは五感を研ぎ澄ませた。六感は使用しても意味がなく、邪魔なだけである。共生者との戦いに慣れた戦士にとって、適応者との戦いは極めて不利だった。しかも神人は渦動師暗殺のプロなのだ。経験が多い分、敵の方が一日の長がある。しかしウトクにも多くの適応者と戦ってきた経験があった。落ち着いてアエルに頼らず五感に従って戦うのだ。
その時、右の扉が本棚ごと吹き飛び、破片が舞った。男が剣を突き出しながら突撃してきた。そしてほぼ同時に、正面から天井から降ってきた刺客が剣を突き出しながら、ウトク目指して突進してきた。
二人の突入はほぼ同時だったが、正面の刺客は僅かに遅れていた。ウトクは右手の男の方に踏み込みながら剣を振った。剣は振るよりも突き方が早く目標に達する。この場合も、刺客の剣は僅かに早く目標に到達した。血潮が噴出し、壁に血液を吹き付けた。二人は交差したまま停止した。ウトクの右脇腹から背中にかけて剣が突き抜けていた。
正面から突入した刺客は、勝負の成り行きがわからず、一瞬部屋の真ん中で立ち止まってしまった。
「ウトク旅団将をやったか?」
その刹那、ウトクの身体はクルリと回転し、長剣をコンパクトに振ると、正面からの刺客を袈裟斬りにした。ウトクが剣を引き抜くと同時に、男達の亡骸は血だまりに沈んだ。ウトクの顔は敵の血にまみれ、修羅の様相を呈していた。
ウトクは右手の男の剣が回避できないと判断すると、剣の侵入コースを一瞬で読み切り、身体を僅かにずらすことで皮鎧の心窩部の銀飾りに当てさせた。そのままでは金具は切断され、鎧も突き抜かれてしまうが、当たった瞬間に身体を捻ることで右腋の下に剣を滑らせていたのだ。
すぐに壊された二つの扉から4人の男達が踏み込んでくると、狭い空間でウトクをとり囲んだ。4人が一斉に攻撃を仕掛ければ、勝機はあったかもしれなかったが、彼らは怯んでしまった。瞬く間に味方が二人も殺害され、血塗れになった英雄を直視したのだから仕方がなかったかもしれない。
ウトクは死んだ敵の剣を拾い上げると両刀で構えた。
二刀流は宮本武蔵の二天一流が有名であるが、一般に利き手に本差を、もう一つに脇差(小刀)を持って戦う。本差の剣はとても重い。片手を脇差にしても困難な二刀流を、本差二本で有効に長時間戦闘ができるとも思えない。ウトクもそれは十分に承知していた。右の剣は威嚇、ようはハッタリだった。
「どうした?俺を殺しに来たのではないのか?俺を『100人殺しのウトク』と知って挑んできたんだろうな?」
ウトクは剣をゆっくり左右に振った。敵はビクリとすると、間合いを開けた。途端、ウトクは左手の剣を一人の喉に突き刺した。
「ぐぶっ」
口から血を噴き出しながら、男は崩れ落ちた。周囲の敵の生唾を飲み込む音が聞こえそうだった。ウトクは左手の剣をそのまま手放すと、右手の剣を両手に握り直した。
「あと3人か?追加が来ない所を見ると、神人はお前らで全滅みたいだな。それじゃ、とっととやろう。まだ外には共生者達がウヨウヨいるんだ。夜が明けてしまう。死にたい奴は前に出ろ!」
ウトクが一歩踏み出すと、敵は後ずさった。この場はウトクが支配しているのは、火を見るよりも明らかだった。共生者なら、これだけ脅せば逃げ出しそうなものだが、この適応者達はそうはしなかった。
意を決したか、敵がウトクに攻撃を仕掛けてきた。しかし、ウトクの相手にはならず、一瞬で二名を殺害すると、尻餅を着いた最後の男の喉元に剣を突き立てていた。
「お前が最後だ」
その時、床下から声が上がった。
「ウトクさん!下よ!」