俺の女
菊池は突然、唇に痺れを感じた。そして指先と足先が痺れはじめた。
「た、助けてくれ!き、気分らわるい」
呂律が回らなくなってきて、続いて手足、特に足が痺れてきた。まるで足に重りでも着けているような感覚だ。
「毒・・・まさか、こ・・・」
看守は菊池が一言つぶやいた後に倒れて動かなくなるのを見て、大声で助けを求めた。叫び声を聞きつけたミナタとシタカが菊池の監房に入ると、菊池は白目を向いて倒れていた。
「菊池!大丈夫ですか!」
しかし呼吸は弱く、呼びかけに反応はなく、四肢は僅かだが痙攣していた。シタカは防性変換を行い、直ぐに回術を開始した。彼の右肩から青白い光が発し、スルスルと前胸部を超えて左肩まで伸びた。そして両手を菊池の胸に当てがうと、光が菊池の胸を貫いた。彼の身体は海老反りになって跳ね上がった。しかし菊池の呼吸はゆっくり浅くなっていき、何度かの回術による心肺蘇生の後、心停止となった。
シタカは聴診と頸動脈の触診を行った。心肺停止と反射の消失を確認し、
「0時15分死亡確認です」
と死亡宣告をした。二人は真っ青になり、菊池の遺体を見下ろしていた。ミナタには何が何だかわからなかった。シタカはこの事態がどう推移し、この後はどうすべきか深慮していた。
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「おい、なんとか言えよ」
タリハはクナハの上にまたがると、片手で彼女の両手首を掴んで頭の上に押さえつけた。そして空いた手で彼女の顎を掴むと、顔を彼の方に向けさせた。
「あの注射には何が入っていた?お前は何をしようとした?」
「ご、誤解よ」
彼は彼女の腹の上で軽く跳ねた。いきなり彼女の腹に彼の体重がかかった。
「うっ」
腹部の強い圧迫で、横隔膜が押され息ができなくなった。更に彼は女の白く長い頸を掴むと締め付け始めた。
「う、ぐぅ」
クナハは呻いた。彼女は膝で男を打とうと、必死に足をばたつかせたが、太腿が当たるだけでビクリともしなかった。長くてしなやかな足は、ミニの白衣から根元まで露わになり、美しい顔が充血してきた。
「お前は本当にいい女だよ。だが、俺をはめようなんて許されることじゃない。しっかりお仕置きしないとな」
クナハの口から舌が飛び出し、顔面は赤紫に変化した。彼女の意識がゆっくりと落ちていく。
ああ、ダメ・・・
彼女が死を感じた時、不意にタリハの腕の力が抜け、一気に血液の鬱滞と酸素欠乏が解消していった。
「ははは。どうだ?苦しいか?まだまだ気絶するのは早いぞ。お楽しみはこれからだ」
酷い咽せこみが暫く続き、落ち着いた後、涙を溜めたクナハが懇願するような眼でタリハを見つめた。
「タ・・・リハさん・・・本当に・・・誤解よ。お願い。なんでもするから、ら、乱暴はしないで」
彼女の涙に濡れた眼は、舌舐めずりしている凶暴なオスを眼にしていた。
ロッカーに押し込められたシコーは、中で成り行きを見守っていた。いきなりロッカーにクナハが押し付けられ、ロッカーが大きく揺れた。それからの二人の行為に、彼は顔を真っ赤にしながらも、眼をロッカーの隙間から片時も離すことができなかった。だが雲行きが怪しくなってくると、シコーの顔は蒼白になった。まずい。クナハさんを助けないと。幸い、麻酔を詰めた注射器は、まだ数本、シコーのロッカーにあった。シコーは注射器を手にとり、隙間から漏れた光でマジマジと見つめ、大きく唾をのんだ。そしてロッカーを開けると、ゆっくり怪物に近づいていった。
タリハは口角から泡を飛ばしながらクナハの胸ぐらを掴み、白衣を引きちぎった。彼女の下着が露わになった。
「いや!」
クナハは顔を背けた。すると、ロッカーから出てきたシコーが男の背後に見えた。手には注射器を握りしめていた。そうだ彼がいた。彼女は希望が湧いてくるのを感じた。彼女がやらねばならないのは、シコーがこの獣に気づかれないように、もっと自分に集中させることだ。
「いや・・・助けて」
クナハは敢えて妖艶に身体をよじり、胸を半ば露出させた。タリハは露骨に反応した。
「くはは!面白くなってきた。何も話さなくていい。もし話したくなったら言ってくれ。それまではお前を玩具にしてやる」
タリハは下着の上から、両手でクナハの乳房を掴んだ。柔らかな脂肪に男の指が埋まった。
「あっ・・・お願い、か、堪忍、堪忍して」
クナハはイヤイヤをする振りをしてシコーを見た。彼は注射器を構えながら、ゆっくりとタリハの背に忍び寄っていた。タリハはクナハの上に覆いかぶさると、首に舌をはわせた。
「お、お願い・・・助けて」
シコーは注射器を握りしめながら、焦る気持ちを制し、ゆっくり近づいていった。眼の前では男女の痴態が繰り広げられていたが、緊張で何も感じなかった。タリハの真後ろに来ると、シコーは注射器を振りかぶった。
タリハは再び彼女の頸を掴むと、ゆっくり絞め始めた。
「うっぐっ」
クナハは身体をよじって手を外そうともがいたが叶わなかった。再び顔面がうっ血し始めた。
「ぐへへ。いい眺めだ。うまそうだな、クナハ」
その時、タリハは背中に軽い痛みを感じたが、興奮していたため、薬液が注入され始めるまで、異常には気がつかなかった。シコーが注射器を刺したのである。
「痛!」
タリハは反射的に身体を捻って、左肘をシコーの顔面に叩き込んだ。シコーは壁ち叩きつけられ、注射器は注入半ばで床に四散した。タリハはクナハから離れると、壁際でのびているシコーに近づいた。
「なんだお前は?どこの班だ?・・・お前、医術師じゃないか?」
タリハは床に倒れているシコーの首をつかむと片手で彼の身体を持ち上げた。シコーの爪先は床を離れた。彼は頸にかかる体重を少しでも軽減しようと、頸を締めているタリハの太い腕に必死にしがみついた。
「おら、小僧!お前、何をした?何を俺の背中に刺しやがった?なんで制服を着てる?」
シコーはタリハを睨み返した。
「お前こそ・・・何をやっているんだ?クナハは・・・俺の・・・俺の女だ!俺の女に手をだすな!」
「お前の女だと?ふざけるな、小僧!クナハは俺の女だ!ぶっ殺してやる!」
タリハはシコーの首を更に強く締め始めた。シコーの両頸動脈が圧迫され、顔面はうっ血により赤紫になってきた。シコーは手足をバタつかせて死に者狂いで抵抗したが、徐々に脳血流が欠乏し始め、意識が遠のいてきた。彼はクナハを見た。彼女は床に座り込んで放心したようにこちらを見つめていた。彼の視界が徐々に黒く狭まり、クナハの姿が見えなくなってきた。
ああ、僕は死ぬのか・・・
シコーの意識は消えて行った。
クナハは恐怖に身体がすくみ、机の上に起き上がったまま何もできなくなっていた。シコーが首をひねり上げられているのを、黙って見ているしかなかった。そしてシコーの意識の薄れ始めた眼が、彼女を見つめた。
「いや!」
その時、クナハには妹のシクラとウトクの死の情景が脳裏にフラッシュバックした。今まで封印していたはずの記憶が、一気に彼女を包み込んでいった。・・・狂気の感情と共に。