死の静寂
空を厚い雲が覆い始めていた。まだ昼前のはずだが、日は雲に閉ざされ、周囲は急速に薄闇のベールに包まれはじめた。
30分以上かかって、テルネは遭遇地点にたどり着いた。
静かだった。
人の声どころか、生物の気配もしなかった。虫呼も竹ボラも、あれ以来聞こえてはいない。
死の静寂。
彼女は慎重に近づいていった。
近づくにつれ、静寂の意味を理解することができた。
そこには沢山の人間の屍体があったが、まともな屍体は一つもなかった。身体は腹部で分断されたり、切り裂かれたりしたものが多く、周囲の葉や幹には血液が赤黒く付着していた。
渦動師の姿はない。
戦闘の気配もなかった。
本隊はどこにいったのだ?
彼女は湿度が上昇し始めた森の中で、全身が凍りつくような感覚に取り憑かれていた。周囲に危険が、それも致死的な危険がいまだ残存しており、迂闊な行動を控えるよう繰り返し警告していた。
彼女は姿勢を低くし、『六感』をフル動員して周囲の把握に務めた。
何も感じない。
虫呼を吹くか?
その時、指揮官からの虫呼が鳴った。安否確認を求めていた。
虫呼が返信されていく。
「2、4、5・・・7・・・」
自分を含めて8人から返信された。4人行方不明になっている。右翼と中央の囮部隊を指揮していた渦動師で、その中にトヒセが含まれていた。囮部隊は左翼が残っていることになる。
コウラは残った囮部隊にそのままの位置を維持させ、テルネら本隊の渦動師に、残った左翼に向かうように指示してきた。
「ちっ。さっきの場所に逆戻りか」
テルネは舌打ちをした。
囮部隊と本隊は南北に平行に向かい合って並んでいた。テルネは元々本隊の右翼、つまり北端にいたが、前の命令で囮部隊の右翼、つまり南端に移動させられたのだった。
やっと南端に辿り着いたら、今度は北端に向かわされる。
コウラは素人のためか、割と細かく指示してくる。これは少し対策を練った方が良さそうだ。
彼女の近くには本隊付きだった渦動師が一人いる。
スリクだ。
奴なら信頼できる。彼とは何度か作戦を伴にしてきた。冷静で持久力が高い。
テルネは俊敏だが持久力には難が合った。それに彼は『渦動障壁』の使い手だ。渦動転移の一種だが、何者も犯せない聖域を作ることができる。彼女とは渦動の相性がいい。
テルネは虫呼でスリクに合流を呼びかけた。単独では危険だと判断したのだ。指揮官は合流してはいけないとは言っていない。わずか30分で、新米とはいえ訓練された渦動師を4人も血祭りに上げたのだ。それに、ここには少なくとも5-6人分は勢子の屍体があった。竹ボラが吹かれないところをみると、勢子の3分の2は全滅したのだ。とてつもない殺戮能力である。こんな化物と遭遇戦になったら、テルネでも厄介だ。
すぐにスリクからの返信があった。テルネが目的地から最も離れた場所にいるため、スリクには合流まで待機してもらうことにした。合流場所には早足で5分もあれば着くだろう。
虫呼が再び聞こえた。
トヒセだ。
それ程遠くはない。
「トヒセは無事か。良かった。化物め。調子に乗りやがって」
テルネは死臭の漂う地から離れて行った。