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共生世界  作者: 舞平 旭
蘇芳刑務所
129/179

対面

 朝から刑務所中が、ピリピリとした緊張に包まれていた。突然、皇帝が菊池の謁見えっけんに訪れたのである。皇帝が刑務所に行幸ぎょうこうするなど前代未聞で、応対役の刑務所長は恐縮して声が裏返っていた。拝謁が行われる部屋は、所長の執務室が当てられた。そこは広く、落ち着いた木目調で統一され、調度品は豪華だった。床には厚手の絨毯が敷かれ、大きく高価なタペストリーが飾られた壁の前には、それに引けを取らない黒檀こくたんの執務机が置かれていた。そして部屋の真ん中には、今回の謁見のために用意された粗末な椅子がポツンと置かれ、菊池はその前に立たされていた。いや、立っていたと言うよりは、両脇の所員に抱えられていた。彼は昨日から発熱が続き、食事が一口も摂取できなくなっていた。ミナタは回術の施行を提案したが、彼は頑なに断り、解熱剤のみ内服していた。しかし効果は乏しく、足に力が入らなかった。ふらつく彼の後ろには、数人の男達が起立していて、玉体が現れるのを今や遅しと待ち構えていた。



「皇帝陛下の御臨場!一同、最敬礼!」


 先に現れた男の号令の後、皇帝は5ー6人の従者と共に入室し、机に着座した。刑務所員全員が胸に凧型を作って頭を下げていたが、菊池はうなだれたまま、濁った眼でその顔を睨んだだけだった。神明帝は小柄な男で、唇が薄く鼻がやや尖っていた。そのせいか、少し鼻にかかったような声で、頭痛に苦しむ菊池には不快極まりない騒音だった。


「うむ。皆の者、ご苦労であった。下がっていい。所長と回術長は残れ」


 所員たちは敬礼をすると、菊池を置いて出て行った。菊池は簡素な椅子に座らされると、所長と回術長と共に、部屋の真ん中に取り残された。所員達がいなくなると、皇帝の側にいた護衛と思われる筋骨たくましい男が菊池の傍に歩み寄り、そこで起立した。そして皇帝はゆっくりと菊池に向かって話し始めた。


「お前が菊池か?」


 菊池はうな垂れたまま何も答えなかった。


「貴様!答えんか!かしこくも陛下から賜われたお言葉である!」


 菊池の傍の男が怒鳴り声を上げ、菊池の髪を握って顔を上げさせたが、皇帝はそれを手で制すると再び下問かもんした。


「お前は何者だ?何の目的でここにいるのだ?」


 項垂れた菊池は皇帝を睨みつけていたが、やはり何も話そうとはしなかった。皇帝は菊池への質問を諦め、菊池の後ろに並んで立っていた回術長に尋ねた。


「この男が共生者というのはまことか?」


「はい。それは確かです。しかし芽は持っておりません」


 回術長は中年の頭髪の後退したやや肥満気味の男で、刑務所専任回術師のトップであり、シタカ達をまとめている。彼の隣には、緊張しながら汗を拭き拭き立っている所長がいた。


「だが、この男はまともに生きているではないか?この年になるまで何故死なずに済んだのだ?」


 皇帝の質問に、回術長は解答に窮してしまった。その時、皇帝の傍に立っていた男が発言した。


「陛下。その質問は酷というものですよ」


 彼は闇のような黒い長髪で、背が高い青年だった。唇は薄くやや神経質な印象がしたが、かなりの美形だった。20代に見える容姿だが、落ち着き払った物腰からは、もっと上にも見えた。瞳は、黒みが強いが複雑な色彩をしていて、その奥には明らかに異質な光が宿っていた。皇帝の傍に影のように控え、それまで気配を全く感じなかったため、菊池はこの時初めてこの男の存在に気がついた。一度この男に意識が向くと、彼は何かが引っかかった。


(この男を知っている?)


 しかし、菊池にはこの男に会った記憶はなかった。


庵羅あんらか。では話せ」


「はい、この者にはアエルはあるのですが、芽を持っていないのは確かです。ですから、正確には『共生者』ではありません」


 庵羅と呼ばれた男は、張りのある声で穏やかに話し始めた。


「研療院からの報告では、突然、幕多羅の遺跡から現れたとのことです。何故この男がそんな所にいたのか、何故この男は生きていられるのか、それは不明です。多分、この男自身も理解できてはいないでしょう」


「あそこはお前の管轄の筈だ。なぜ見落とした?」


 皇帝は庵羅を見ると、罵るように言った。


「我々は見落としなどしてはいません。あそこの遺跡は十分に調査しておりましたが、目ぼしい物は見つかっておりませんでした」


 菊池は少し意外そうに彼の顔を見つめた。組織立って調べれば、菊池に気づかないハズはない。何故嘘をつくのだろうか?それとも本当なのか?庵羅は髪をいじりながら話を続けた。その時、長髪の下から左の頬に大きな傷が見えた。


「ご安心下さい。我々回学院は、この男の血液から不可視生物の痕跡を見つけております。間も無く良い御報告が出来ると思われます」


 彼はゆっくりと菊池に歩み寄っていくと、その背中に立った。


「所で、こいつは死ぬのか?」


 皇帝は机に両肘を置き、手を組みながら訪ねた。


「このままでは長くはないでしょう」


 庵羅が菊池の両肩に軽く手を添えたが、菊池はうな垂れたまま、何の反応も示さなかった。


「うむ、死なれては困る。何とかなるのか?」


「回療学からの逸脱も甚だしいこの男の身体は、とても興味深い資料です。簡単に殺す訳にはいきません。今の所回術は有効ですが、所詮は応急処置でしかありません。そこで『聖餐せいさんの儀』を行ってみようかと思います」


「なるほど。だがこの時期に殉床じゅんしょうはいるのか?」


「はい、ここに幕多羅の女が一人おります。この男と行動を供にしていたので、情報を聞き出すために生かしておきましたが、有益な情報は得られませんでした。この男の殉床には適当でしょう」


 菊池はその言葉を聞くと、弾かれるように顔を上げ、背後の庵羅を振り返った。


「レイヨが、彼女がここにいるのか?」


「ははは。どうした。いきなり反応したな。これは愉快だ。庵羅も粋な計らいを考えるものよ」


 皇帝が甲高い笑い声を上げた。


「ふざけるな!」


 菊池はいきなり立ち上がり、傍らの庵羅の襟を掴んで締め付けた。護衛は急いで菊池を引き離そうとしたが、庵羅はそれを手で制すると、左手で菊池の右手首を掴んだ。


「ぐっ!」


 庵羅の握力は強力だった。菊池の手の色がみるみるうちに赤黒く変わり、顔が苦痛に歪んだ。指から力が抜け、一本、また一本と指か開かれていった。庵羅は菊池の腕をゆっくりと捻ると、菊池は彼の前にひざまづく形になった。彼は菊池の耳元に顔を近づけると、楽しそうに囁きかけた。


「ははは。君は相変わらず短気だな。外科医としては失格じゃないかな?」


 菊池は弾かれたように庵羅の顔を覗き込んだ。


「お、お前は誰だ?」


 菊池は護衛の男に、担がれるように椅子に座らせられた。身体に力が入らず、今にも椅子から転げ落ちそうだった。菊池は震えながら頭を上げると、庵羅を睨んだ。その目は毛細血管が怒張し、真っ赤に染まっていた。


「彼女に危害を加えたら・・・僕が許さん」


「死にかけてる貴様がどうできるというのだ?」


 皇帝の鼻にかかった笑い声が部屋に響いた。


「必ず・・・助けて見せる」


 菊池は皇帝を睨みつけた。そして彼の眼が怪しい光を宿し始めた。その刹那、彼の視界を庵羅が遮った。庵羅は菊池の前にしゃがむと、屈託のない笑顔を見せた。そして菊池の顎を手で掴み、自分の顔の正面に向かせた。


「もう睨むのはやめておいた方がいい。どうせ満足に使えないだろう?これ以上やると死んでしまうぞ」


 その時、庵羅の瞳がわずかにオレンジ色に光ったような気がしたが、すぐに菊池の全身から力が抜けていき、前のめりになりながら床に倒れてしまった。身体の力が抜け、まるで床に投げ出された操り人形のように、動けなくなっていた。


「か、身体が」


 唯一動かすことができた頭を上げると、笑ながら去って行く庵羅の後ろ姿が見え、その首筋には薄っすらと赤い光が浮き上がっていた。

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