カエルの謎
「なるほど・・・」
シコーは冷静さを取り戻した。その顔から汗が引き、口元にわずかな笑みが蓄えられていた。それを見たマシカは、怪訝な顔をしていた。
「なんだよ、何か言いたいのか?」
「私には全て理解できました」
「ほう。なにが理解できたんだ?」
マシカは愉快そうに笑みをのぞかせたが、眼差しは真剣だった。
「あなたの言っていることは全て嘘ですね?」
「全てって、どこが嘘なんだ?」
「言葉通りです。何もかも。一つを除いて」
「お前、失礼な奴だな。折角秘密を打ち明けてやったのに。大体、俺がお前を騙して何の得があるんだ?」
「ありますよ。『イドリさんの命』という得がね」
マシカは何も答えなかったが、シコーにはそれが自分の推理を裏付けている証拠に感じた。
「あなたは、本当は共生者ですよね?そして本当の目的は、イドリさんの脱獄です。違いますか?」
しかしマシカはニヤリと笑うだけで、やはり何も答えなかった。
「違うんですか?あなた達はイドリさんを脱獄させようとしている。そして・・・私を試している」
「なんでそう思うんだ?」
「まず、あなたのさっきの態度ですね。窓を開けたくないのはカエルが嫌いだからでしょ?」
シコーは微笑んだ。
「まあな。気持ち悪いだろ」
マシカは頭をかいた。彼があっさり認めたことに、シコーも驚いた。イドリは考え過ぎた助言を自分にしたのだろうか?
「大体、共生者のフリをして看守として潜り込むなんて、いくら上と顔が効くと言っても難しいでしょう。すぐに他の看守にバレるのがオチですから」
そして言葉を切ると、シコーは階段を向いた。
「次に女主人。そこから上がってきてください。聞いてるんでしょ?」
「ばれてた?」
彼女は照れくさそうに笑いながら二階に上がってくると、マシカの隣に座った。
「あなたは水商売の女性ではない。普通、そんなに爪を切りそろえたりはしません。私はあなたに会ったことがあります。回療室でね。カツラ、ズレてますよ」
女は観念したようにカツラをとった。そこからは、やや赤味がかったセミロングの髪が出てきた。彼女は刑務所の回療室の看護師だった。
「いくら隠そうとしても、身体から消毒薬の匂いが漂っています」
彼女は自分の身体をクンクンとかいでみた。
「そうかな?私くさい?」
シコーは女に構わず話を続けた。
「そして『カエル亭』という名前ですね。誰が付けたか知りませんが、この趣味には問題があります。ご存知の通り、共生者はなぜか両生類や爬虫類を嫌います。貴方がたも辛いでしょう?ここに住んでいるように見せかけてますけど、貴女はこんな所に住める筈はありません。なぜなら看護師さんは刑務所の職員ですから、少なくとも共生者です」
二人は沈黙で賛同を示した。
「ならば、なぜ苦手な場所に私を連れ込んだのか?それも適応者のふりをして」
シコーは言葉を区切った。二人は真剣な眼差しでこちらを見つめていたが、秘密が暴露された時の緊張感は伝わってはこなかった。やはり試されているのだ。
「理由は簡単です。共生者に知られたくない話をしたかった。ここはまず安全でしょう。そして私を仲間に引き込もうとした。私にして欲しいことは、さっきマシカさんが言った通り、イドリさんの処刑を引き延ばすことです。イドリさんの仲間を探すとかなんとか言って、私の反応を確かめようとした。もし信じるならそれが一番いい。真相は知られずにすみますから。もし信じないなら、自分が本当は共生者であることを示して、私がイドリさんの病状をごまかしていることか何かで脅せばいい訳です。よく考えてありますね」
マシカは軽く口笛を吹いた。
「なかなかな洞察力だな。驚いたよ」
彼は笑いながら女主人を手で示した。
「こいつはクナハ」
クナハと紹介された看護師は、右手のひらを胸の前でシコーに示した。シコーは彼女の手のひらに自分の指を添えて挨拶した。
「よろしくね」
「所で、一つ、どうしてもわからないことがあるのですが、あなた方とイドリさんの関係はどうなっているんですか?なぜわざわざ適応者を助けようなんて?あなた達をらしくないと思いますが」
「イドリの親父さんは俺たちの恩人なんだ。あの人のおかげで、俺らは生きてこれたんだよ。別に渦動とかアエルとかなんて、人間の中身になんの関係がある?偉い人は、例えカエルでも偉いんだ!」
マシカの熱情を込めた語り口を聞いていると、満更嘘はついていない様にシコーには思えた。そしてクナハも話に割って入ってきた。
「あら、マシカごときが言うねぇ。でも、私もこいつと同じ気持ちだよ。イドリのスケベジジイを助けてやれるなら何でもするよ」
シコーはもう一つの疑問をぶつけてみることにした。
「あなた達は匙の国の出身なんですね?あちらでは共生者と適応者が共存共栄していると聞きます。それも今回の件と関係ありそうですね」
「いや、俺たちの出身は違うよ・・・。まあいい。それより、まずはお前の口からお前の真意を聞きたい。お前は何のためにここに来た?」
シコーは考えた。そうか、マシカは無理でも、クナハはイドリと多少は接触することができる。彼らは今回の芝居で裏を取ろうとしているのだ。仲間にすべきかどうかの。
「私は菊池さんを助け出したい。手を貸してもらえませんか?」
「何故だ?お前は奴とはまるっきり関係なんかないだろ?失敗すれば多分死刑だ。なんでそんな危険を犯す?見ず知らずの野郎のために」
マシカはシコーの顔を凝視した。しかしシコーは視線をそらすと、マシカの代わりにクナハに話しかけた。
「クナハさん、あなたは彼の医術を見たでしょ?どう思いましたか?」
「どうって・・・。確かに凄かったよ。直ぐに終わっちゃったから良くはわからなかったけど、あれでイドリの親父さんは助かったんだし・・・」
クナハは口元に指先を当てながら考えこんだ。
「凄いなんてもんじゃありません!奇跡です!」
シコーがいきなり両手で卓袱台を叩きながら身体を乗り出してきたために、2人は後ろにつんのめる様な形になった。
「彼の技術と知識は、我々を遥かに越えています。彼の医術、あれが医術ならですが、あれに比べれば、我々の長年やってきたことなんて児戯に等しい。彼は宝です!まさに、我々に神が与えて下さった宝なんです。こんな所で死なせるわけにはいきません!」
シコーの熱弁は、大量の唾液を撒き散らしながら終わった。
「わかった、わかった。汚ねえなあ。所でお前、いくつ?」
マシカは顔を拭きながら尋ねた。
「18です」
「18!」
マシカとクナハは目を見開いて驚くと、腹を抱えて笑い始めた。
「な、なにがおかしいのですか」
シコーは顔を赤らめながら、先程の熱弁はどこへやら、オドオドと聞き返した。
「いや、ゴメンゴメン。悪気はなかったのよ。ねえ、マシカ」
クナハは涙を浮かべながら謝罪した。
「そうそう。いやぁ、お前老けてるね。てっきり30近いのかと思ったよ」
「そうなの。それじゃ、今度、お姉さんの相手をしてくれる?」
クナハはしなをつくりながら、シコーの腕に手をかけた。
「ば、馬鹿にしないで下さい!私の年齢が何か関係あるんですか!私の情熱はあなた方にも決して引けはとっていません!」
「まあ、そんなにとんがるなよ。悪かった。クナハもからかうな。ただな、坊主。俺たちは命を懸けているんだ。子供のお遊びに付き合う暇も度胸もないんだよ」
マシカは真面目な顔でシコーを睨んだ。しかし、シコーもマシカを睨み返した。
「私も命を懸けています。もしあなた方が私を仲間にしないとなると、厄介なことが3つできますよ」
「厄介なこと?」
「ええ。まず、イドリさんの命令に背くことになります。彼は多分この事を見越してでしょうが、私に『ワシが頭を下げて頼んでいた』と伝えろと言われました。本当に賢い方だ。クナハさんが彼に確認すれば直ぐにわかります。恩人が頭を下げて頼んでいるのに無視するのは、それも年齢などという下らないことで、とてもイドリさんが怒るのではありませんか?
次に、イドリさんの詐病を助ける医術師がいなくなることです。彼は既に完治しています。私以外の医術師が山人の彼の味方になるとは思えません。そうなると数日中に彼の刑は執行されるでしょう」
シコーはわざとらしく間合いを取った。
「最後にもう一つ。私はあなた方の正体を知ってしまいました。私を仲間にしないのなら、あなた方は私を殺さなければならない。私はこんな所へ、無防備に一人ではやっては来ません。私に何かがあれば、刑務所長に暴露の手紙が渡るように手配してあります。古い手ですけど、有効でしょ?」
二人は唖然として言葉に詰まっていた。息の詰まるような沈黙が辺りを支配し、シコーの握りしめた手にも汗が溜まってくるのがわかった。突然、マシカが手を叩いて笑い始めた。
「冗談だよ、冗談。お前は仲間だ。仲間。なあ、クナハ?」
「ええ、冗談よ。でも、可愛いから、今夜はうちに泊まっていけば?」
「ははは」
三人は引きつりながら、妙な緊張感のある笑いの中にあった。
夜も更けてきたが、部屋の中の蒸し暑さは一向に改善しなかった。シコーは何度かマシカに窓を開けて良いか頼んだが、彼は決して首を縦には振らなかった。3人はクナハの発案で夕食を摂っていた。有り合わせのものしかない、と言って作ってきた煮物と焼き飯はとても美味く、場の雰囲気を和ませてくれた。3人はしばらく雑談を交わしていたが、シコーは思い切って肝心な話を始めることにした。
「ところで、菊池さんのことですが、彼はなぜ捕まっているんでしょうか?」
「知らないよ。昼間も言ったとおり、奴のことはかなり上しか知らない。奴が来てから警備も増員されているから、かなり重要人物なんだろうがな」
「他に何か知りませんか?例えば、彼がこの後どうなるのかとか」
「知らないな。ヤツについては、所長とシタカって回療師がなにやらやってる。あとはミナタって小僧なら何か知ってるかもな」
「ミナタ?回療師ですか?」
「ああ。一応、シタカと組んで担当してるよ」
「彼らから情報は得られませんか?」
「そんなの俺には無理だよ。あいつら付き合い悪いし、あんまり深入りはな。なんなら、お前聞けよ。同業だろ?」
「そんなこと、できませんよ。他は?」
「もう全然わからん」
マシカは顔の前で手を大袈裟に振った。
「でも一つ情報がある。奴の来る少し前に収監された女が地下にいる。奴の『女』らしい」
「女?」
「ああ。俺も一度会ったが、かなりの上玉だ。残念ながら適応者だがな。噂だと、幕多羅の生き残りらしい」
「幕多羅の・・・本当にいたんですか」
シコーは、この見ず知らずの女性を不憫に思った。この世から抹消された村の生き残り。彼女は多くの人の死を見つめて来たに違いなかった。
「その女性も一緒に助けましょう」
シコーは自らの考えに納得するかのように、何度も頷くと煮物のイモを頬張った。
「え!」
マシカとクナハはほぼ同時に驚きの声を上げたが、シコーの耳には届いてはいなかった。