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共生世界  作者: 舞平 旭
蘇芳刑務所
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マシカ

 以前も話した通り、この世界の医療は回療と呼ばれていた。回療は、大きく医術と回術に分けられる。回術はアエルを利用した回療であり、それ以外は医術と呼ばれる。つまり、アエルを持たない適応者には医術しか回療のすべはないのである。医術は内科を示す薬術と、外科を示す除術に分けられた。この世界では薬術はかなり進歩していたが、除術はかなり遅れており、外傷の縫合やオデキの切開、抜歯など体表の疾患の治療を行うことしかできなかった。

 しかし先に菊池が見せた『外科』という徐術は、シコーを含め、その場にいた人々を驚愕させた。人間の体の中に手を入れ、悪い所を取り除いて治療する。こんなことがあり得るとは思わなかったし、信じられなかった。腹に痛い所が出る度に取り除いていたら、そのうち腹は空っぽになってしまうではないか。しかし患者の術後経過は良好だった。今、医術への革命が行われたのだとシコーは感動していた。医術師達はこれまで、人の臓器は複雑怪奇であり、一つとして無駄なものなどあるはずはない、と考えていた。それがたかが一人の囚人によってあっさりと覆されたのだ。つまり、医術は研究が足りなかったのだ。回術師の顔色ばかり伺い、その補助としての立場ばかりに気を向けていたため、大切なことを見逃していたのだ。シコーは菊池の罪状など全くわからなかったが、彼を助けなければならないという使命を感じていた。


 シコーは専任医術師と以前から親しかったため、イドリの診察を担当することで、なんとか蘇芳刑務所に潜り込むことができた。イドリは死刑を宣告されている山人の長である。どうせ死ぬ身の山人などと、専任医術師は関わりたくはなかったのだろう。老人は急速に快方に向かい、約10日で抜糸されて治癒となった。しかし、シコーは治療と称して、その後も毎日老人の所に診察に行った。


「お身体の具合はいかがですか?」


 シコーはイドリの診察をしながら訪ねた。


「ああ、どこも痛くないぞ。所で、あの医術師のことはわかったのか?」


 シコーはイドリに菊池のことを調べるように依頼されていた。


「いいえ。残念ながら」


 シコーは声を潜めながら話た。


「どうも、かなり上からの命令で隔離されているようです。私の力ではどうにもなりません」


「それでは、看守のマシカに相談してみろ。奴はワシに恩がある。よくしてくれるだろう。奴に頼む時には、『ワシが頭を下げて頼んでいた』と言うんだぞ。それと、ワシは病気が治れば死刑になる。何とかもう少し時間を稼いでくれ」


 シコーは元来善人で、権力に逆らうなど出来るような性格ではなかった。しかし菊池の手術を見てからというもの、明けても暮れても彼のことを夢に見ていた。彼から医術を学びたい。そのためなら何でもする覚悟だった。



 マシカはとても穏やかな風貌の持ち主だった。シコーは事務所で彼を呼び出したが、彼は嫌そうな顔もせずに会ってくれた。


「何か?」


「少し内密にお話ししたいことがあります。どこか静かな場所はありますか?」


 マシカは少し考えると、シコーを連れて事務所から出た所にあるベンチに誘った。蘇芳刑務所は全体がL字型の建物で、L字の縦棒が管理棟、横棒が監房棟となっている。敷地は高い壁に囲まれ、管理棟の先には大きな両開きの門が鎮座していた。獄舎から出るには、必ず管理棟を通過しなければならない造りになっていた。両棟に挟まれるように運動場があり、周囲は金網に覆われていた。二人が座ったベンチは管理棟から出たところにあり、かなり広い広場に面していた。広場には数台の馬車が止まっており、御者達が集まってワイワイと賭けに講じていた。ここが刑務所でなければ、のどかな風景だ。


「ここならいいでしょう。誰かくれば直ぐにわかります」


 マシカはシコーにベンチを勧め、二人は並んで座った。


「実は回療棟にいる菊池という囚人のことについてなんですが」


 シコーは早速本題に入った。


「菊池?ああ、特別室にいる。でも僕は何も知らないな」


「ここの所員のあなたが、何も知らない訳は無いでしょう?」


「本当に知らないんですよ。それになぜそんなことを知りたいの?あなた、確か医術師さんだよね?」


「はい。あなたのことは、イドリさんから聞いて来ました。あなたに頼めばよくしていただけると」


 マシカは、シコーの言葉を聞くと、その穏やかだった顔を一瞬歪めた。


「そう。親父さんからね・・・。本当に困った人だ。親父さんは元気?」


 マシカは先程と同様穏やかに返答してきたが、関係を否定しなかったことにシコーは少し面食らっていた。看守が山人と知り合いであるなど、下手をすれば粛清の対象となるのだ。


「は、はい、元気です。あなたは一体・・・」


「僕のことより、聞きたいことがあるんでしょ?ああ、菊池のことだったね?本当に彼のことはよくはわからないんだよ。トップシークレットって奴でね」


 マシカは片目をつぶってウィンクした。


「貴方は英語を使うんですか?それでは匙の・・・」


「あ、それ以上はやめません?今晩時間とれますか?夜に町で会いましょう。町の北の外れに『カエル亭』という店があります。そこで待っていて下さい」


 そういうと、マシカは丁寧にお辞儀をして去って行った。


「町の北・・・『カエル亭』?」


 シコーは胸の奥に妙なわだかまりを覚えた。何かがおかしい。



 ここ蘇芳は刑務所と炭鉱の町である。町は東西に街道に沿って伸びており、町の東の外れに刑務所、北に炭鉱があった。炭鉱労働者は適応者や流れ者が多く、北は治安の悪い場所だった。シコーはこの町に住み着いてまだ日が浅く、蘇芳の中心部に住んでいるため、北には行ったことがなかった。

 夕暮れの迫る中、シコーは北部の繁華街を歩いていた。炭鉱労働者相手の店が多く、この時間は飲み屋が繁盛していた。店内の喧騒が道を歩く彼にも伝わり、溢れた者達が飲み屋の前でくだを巻いていた。彼は可能な限り距離を取り、眼を合わせないように歩いていった。

 シコーが見つけた『カエル亭』は、町外れにひっそりと立っていた。古い木造の建物で、二階建てである。周囲にまともな建物はなく、裏には木々が鬱蒼と茂り、沢山のカエルの鳴き声が響き渡っていた。人通りはほとんどなく、先程までの喧騒が、まるで夢であったかのようだった。道には『カエル亭』と書かれた木の板が立てかけられていたが、指定されなければ、とても一人で入れる雰囲気の店ではなかった。


「カエル亭か・・・」


 なぜマシカがこんな店を指定してきたのだろうか。彼の趣味・・ではないはずだが。



 シコーは心を決めると、ギシギシと音がする引き戸を開けて中に足を踏み入れた。店内は薄暗く、カウンターとテーブルが二つあるだけの小さな店だった。カウンター内には女が1人立っていたが、客らしき人影はなかった。シコーが入ると女はこちらを見もせずに、カウンターを指差した。座れということらしい。シコーは言われるがままに座ると、発泡水を注文した。女主人は乱れた黒い長髪が顔にかかっていて、表情がよく見えなかった。彼女はコップに泡立つ液体をなみなみと注ぐと、シコーの前にぶっきら棒に差し出した。その時シコーは何とも言えない違和感を感じた。女主人の爪は水商売にしては短く切り揃えられており、一瞬だが何かよく慣れ親しんだ匂いがした。彼女は客の相手もせず、再びカウンターの端で作業を始めた。何かを組み立てているようだ。何をやっているのか覗こうとすると、彼女は露骨に手元を覆い隠した。問いかけても無視され、シコーは手持ちぶたさだった。彼女は何が楽しいのか、時々クスクスと笑い声をたてるため、かなり不気味だった。



 暫くすると、扉が開いてマシカが入ってきた。彼は昼間の格好とは打って変わって、その辺のヤクザのような格好をしていた。


「待たせたな。姉さん、上を借りるぜ」


 マシカに促されながら、シコーは彼の後から奥の狭い階段を上がっていった。階段を登りながら女主人の方を振り返ると、彼女はこちらに見られないように、作業場所を隠した。彼女の首筋には黒い髪に混じり少し赤味がかった毛が見えていた。

 急な階段を上ると二階には狭い部屋が二つあり、二人は階段手前の部屋に入った。そこは四畳半程の部屋で、小さな茶ダンスと卓袱台ちゃぶだいがあるだけだった。部屋の隅には女性物の下着が干してあり、赤い子供用の着物が綺麗にかけられていた。子供がいるのだろうか?それにしては真ん中に赤黒いシミがあり、薄汚れていた。二人は卓袱台に向かい合って座ると、マシカが話し始めた。


「ここは心配はいらない。姉さんは仲間だ」


 マシカは顔をしかめて手で扇ぐような仕草をしながら話した。確かに部屋は湿度が高く不快だったが、シコーには少しオーバー過ぎるような気がした。


「もしかしたら気づいたかもしれないが・・・俺は共生者じゃない」


「ええ?!だ、だって、あなたは」


 シコーは驚いて目を見開いてマシカを見つめた。


「ああ。看守をやってる。まあ、裏があるんだよ」


 中央から離れた場所にある蘇芳とはいえ、研療院のおかかえの公共施設である。そこに適応者が紛れ込むことなどできるとは思えなかった。しかしカエル亭、マシカの行動など、そう考えると合致する。


「あなたは一体・・・」


「俺の目的は、イドリの仲間を捕まえることだ」


「え?だって、あなたも仲間でしょ?」


「は?なんで俺が山人なんかの仲間になるんだよ?お前、奴らが何をしてきたか知らないのか?」


 当然彼は知っていた。山人は個別の団体を指す名称ではなく、山間部で農村などを襲う野党の総称である。多くは小集団を形成し、村々を襲っては強奪、殺人、強姦など残虐非道を繰り返していた。


「イドリは山人の長と呼ばれてる。多くの集団を力でまとめ上げたんだ。だから奴を崇拝する輩は多いんだよ。今、奴を助けるために仲間が刑務所に潜伏しているとの情報があったんだ。俺はそいつらをあぶり出すためにイドリに近づいているんだよ。奴らは共生者は信用しない。だから、俺が房軍に雇われて潜り込まされたんだ。幕多羅の神人って知ってるか?俺はその生き残りだ」


「幕多羅!」


 シコーも幕多羅のことは知っていた。叛逆の罪で粛清されたと噂されている。しかし幕多羅の話をするのはタブーとなっており、歴史から抹殺されるのは間違いない。その生き残りがいたのか。


「だからお前にも手伝って欲しい」


 シコーは混乱していた。マシカはイドリの仲間ではなかった。


「僕に何をやれと?」


「簡単なことだ。もう奴は治ってるんだろ?」


 シコーは再び驚いた。


「・・・はい」


「それをなるべく引き延ばして欲しい。もうすぐ、奴らがあいつとコンタクトを取ってくるから、それまででいい」


 シコーは懸命に考えた。何か引っかかったが、それが何なのかは分からなかった。


「でも、協力して、私にはどんな得があるんですか?」


「菊池のこと、助けたいんだろ?手伝ってやるよ」


「助けるって、具体的にどうするんですか?」


「そりゃ、逃す手伝いをしてやるってことだよ」


「それじゃ、脱獄ってことになりますよ。そんなことできるんですか?」


「大丈夫。俺に任せておけ。俺は上に顔が効くんだ」


 シコーは『菊池の脱獄』という言葉を聞いて、頭に血液が集まり、思考がうっ滞していくのがわかった。死罪を免れない犯罪に手を貸すことに、高揚感と恐怖感が入り混じった複雑な感情が彼を満たし始めていた。体中の汗腺から大量の汗が溢れ始め、服が汗で湿った。顔を流れる汗のいく粒かは、服の隙間を抜けて腹まで達し、気持ち悪かった。四畳半の空気は更に深く淀み、息苦しく、ハアハアと口呼吸になり始めていた。


「すみません。窓を開けてもいいですか?」


 彼は寄りかかるように、すぐ後ろにある窓に手を伸ばした。するとマシカは慌てて立ち上がってシコーを制すると、


「ま、待て、開けるな!」


 と声を荒らげた。


「え?」


 その瞬間、頭の中のモヤがかき消され、ここに来てからの違和感が氷解した。マシカの態度、奇妙な女、そして『カエル亭』・・・。


 彼には全てが理解できた。

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