生体装甲
どうして接近に気づかなかったのか?渦動波が直撃したのに無傷なのか?
キネリは自問していた。
矢織の渦動口は閉じていた。開いていたら、この手の奇襲は成立しない。しかし例え閉じていたとしても、共生者の存在を彼女に感知できないはずはないのだ。このために矢織は三段のトリックを使っていた。まず戦闘前から強大な殺気を彼女に受け続けさせたことで、彼女の殺気に対する感覚を麻痺させていた。そして渦動波が命中した瞬間に殺気を可能な限り消すことで、彼女に矢織は死んだと思い込ませ、探知能力を低下させた。また周囲に多くの共生者がおり、将軍の死によりパニックになっていたため、カモフラージュの役割を果たしたのだった。だが、渦動波が効かなかったのはなぜだろうか。リツモ達神人が襲撃した際にも、眼前で自爆されたのも関わらず、矢織は無事だった。彼の背中には、渦動波の衝突した跡は残っていたが、殆ど無傷だった。
彼は彼女の首を締めながら、自分の顔の真正面まで彼女の顔を持ち上げた。
「ははは。惜しかったな、お嬢ちゃん。貴様の渦動波など俺には効かんよ。お前みたいなすばしっこいだけの輩には、こんな方法が一番だな」
「く、直撃だった・・・」
「ああ。あれにはちょっと驚いたが、俺には効かない。お前は『生体装甲』を知っているか?」
キネリは、ハッとした。生体装甲だと?あれの生き残りがいたのか?
生体装甲とは、体内障壁とも呼ばれ、10数年前に盛んに研究された渦動技術だった。体内に渦動障壁を造ることで、あらゆる攻撃から身を守ることができる。通常の障壁とは異なり、自身は武器を持って闘うことができる。更に体内に渦動を使う場合は変換状態の切り替えの必要がなく、いつでもロスタイムなく生体装甲は発現することができるのである。攻性・防性変換の切り替えは、渦動エネルギーの増幅装置を切り替える行為と考えることができる。攻性変換はアンプを使用せず、そのまま渦動エネルギーを放出するが、防性変換はアンプを利用して渦動エネルギーを増幅してから使用する。そのため回術はエネルギー消費が少なく、長時間、何度も使用できるが、開始までに時間がかかってしまうのである。しかし回術を自分自身に行う時と同様、体内に使用する場合は増幅装置は必要ないので即時障壁をはることが可能になる。
先ほど戦ったコツミは、変換の切り替え速度が異常に早かったが、防性変換から攻性変換への切り替えに比べ、逆は少し遅かった。キネリは気づいてはいなかったが、裂針発射後にわずかにタイムラグが生じ、障壁が消失する時間が数秒存在していた。そのために彼は、例え渦動エネルギーを消費しようとも、裂針の無数の針のように、必ず相手にダメージを与えられる技を使用する必要があった。そうでなければ、渦動障壁を再度作成するまでに攻撃を受ける可能性があったからだ。
しかしキネリの言葉でわかる通り、生体装甲はとうの昔に技術開発を中止されていた。何故なら問題点が多い渦動技術であるからだ。まずエネルギー消費の問題が上げられる。先程説明した通り、生体装甲は変換状態が必要ない。つまり増幅装置がいらない、逆に言えば使えないのだ。そのためかなりのアエルを消費する。攻性変換もできるが、アエルの消費が更に増加するのだから同時には使いにくい。これは後で説明する『装甲釘』によるエネルギーロスの抑制で改善されてはいるが、防性変換技である渦動障壁の方が長続きするし、渦動師が単独で闘う機会は少ないので、ワザワザ攻撃と障壁の両方を同時に行なえるようにする利点は少ない。更に生体装甲には致命的な欠点があった。
「さて捕まえたぞ、ドブガエルめ。どう料理するかな」
矢織はキネリをフラフラと振りながら高笑いをしていた。
「キネリを離せ!」
菊池は矢織に飛びかかろうとしたが、横振りした矢織の腕に顔面を打たれ、身体ごと吹っ飛ばされた。
「邪魔をするな。お前は余計な事はせず、そこで傍観していろ」
キネリの顔が赤く充血し始めた。彼女は左手で矢織の手首を掴み、何とかこじ開けようとした。また足で彼の胸や腹部を蹴りつけた。しかし彼には全く効果はなかった。
「ゔゔぅ」
彼女の意識が落ち始めていた。
生体装甲・・・。何か弱点がある筈だ。
その時キネリはあることに気がついた。裸になった矢織。傷・・・。神人に夜襲をかけられた時の姿。
そうだ、確かに弱点がある。
彼女はストッキングに隠してあるナイフに必死で左手を伸ばした。手が上手く動かない。
「苦しいか?まあ、殺しはしないから、安心しろ」
彼女の指先がナイフに触れた。指先で挟んでナイフを引き抜くと、クルリと回転させて握り直し、矢織の脇腹に突き立てた。ナイフはストッと、音もなく刺さった。
「ぐぅっ」
矢織は少し眉をひそめると、自分の脇腹を見つめた。キネリは頸静脈を締められて充血で赤くなった顔で、不敵な笑みを作った。
生体装甲の最大の弱点は、身体全体は覆えないことである。少なくとも四肢は無防備で、多くは背部または前胸部のみだった。
生体装甲は効果器として筋肉を利用する。生体装甲発動時の消費渦動エネルギー量の計算は、係数を省くと以下のようになる。
消費渦動エネルギー量=装甲強度×筋肉量×装甲面積×継続時間
つまり筋肉量にエネルギー消費量が比例するのだ。ヒトは臀部から大腿の筋肉量がもっとも多いので、余り防御の必要のない部位にエネルギーが偏重し、継続時間や強度に影響を与えてしまう。更に筋肉が抵抗となり、四肢末梢まで装甲を行き渡らせるには、大量のエネルギーが必要となる。そこで、その調整をしなければならないが、これが至難の技だった。身体の部位により装甲を使い分けることは、理論的には可能とされたが、技術的には不可能だった。そこで渦動技師は、障壁選択補助物質の開発を進めた。それが装甲釘である。装甲釘は、骨に移植する直径2センチメートル、長さ3センチメートルほどのずんぐりとした釘だ。これを身体の各部位に移植する。渦動エネルギーは装甲釘により伝達を妨げられるため、障壁範囲をコントロールすることができた。実際に十数人に移植が行われた。しかし殆どの被験者は死亡した。装甲釘の調整が困難だったためである。装甲釘にエネルギーが蓄積することで釘止めされた筋肉が骨ごと爆発したり、釘からエネルギーが常に放出されてしまい、エネルギーロスが過大になった結果、短期間で樹状痕が育ってしまったりした。そして前述の通り、成功しても戦技としての優位性に乏しいと判断され開発は中止された。以後、生体装甲の情報は封印された。
キネリは矢織の身体の傷を見て、側腹部の傷が少ないことに気がついた。生体装甲は皮膚には働かないので、攻撃を受ければ皮膚には傷が付く。側腹部に少ないのは、攻撃を受けづらいか弱点のために防御しているかである。そして神人に奇襲された時、矢織は確かに腹部に怪我をしていた。そしてキネリは側腹部が弱点であると確信し、ナイフを突き刺したのだった。
「これは恐れいったぞ。確か名はキネリだったな。俺が誤っていた。お前のような素晴らしい敵には、相応しい力で対応するべきだった」
そう言うと、彼の右肩の樹状痕が淡く光った。光の帯がキネリを捕まえている腕に向かっていく。
「渦動共振!」
キネリの頸を掴む彼の手が光ったかと思うと、突然、何かが弾ける音と共に、彼女の服が四散した。髪が逆立ち、キネリの身体から大量の血液が飛び散って周囲を赤く染めた。菊池とレイヨの身体にも血飛沫が降りかかってきた。
「キネリ!」
キネリの四肢がダラリと下がった。白い裸体が血液に浸されたように真っ赤になり、爪先から血液がポトポトと流れだした。矢織が手を離すと、まるで人形のように地面に崩れ落ちた。
「キネリ!」
菊池とレイヨは彼女に駆け寄った。彼女のきめ細かい肌は至る所が裂け、全身血塗れになっていた。体表の無数の静脈が破裂していた。
「キネリ!しっかりしろ!キネリ!」
彼女は白眼を向いていて、揺らしても反応はなかったが、脈はかろうじて触れた。
「生きている」
菊池は彼女の頚動脈に触れながら安堵のため息を漏らすと、すぐ傍に立つ血塗れの矢織を振り仰いだ。
「早く、早く手当てを!」
「その女は大丈夫だ。それぐらいでは死ぬ女じゃない。脳みそも揺れているから、目が覚めるのに時間はかかるがな。さて、菊池。お前はこれからどうする?頼みの綱のキネリは倒れたぞ?お前は殺さずに連れて来いと命令を受けている。キネリは探索組の詮議が必要だから、殺す訳にはいかない。だが、この娘はどうする?俺は『幕多羅を浄化しろ』と命令されたんだがな」
レイヨを指差す巨漢の血まみれな顔から白い歯が覗いていた。菊池は上着を脱いでキネリにかけると立ち上がり、矢織の前に立った。巨大な矢織の前では、まるで子供だった。
「僕はどうなってもいい。この娘は助けてやってくれ」
矢織は部下が持ってきたタオルで顔の血を拭いながら答えた。
「何故この娘を助けねばならん?」
「この娘はワツミの娘だ。ワツミに彼と家族の保護を約束したはずだ。彼は房の国の役職も受けていた。彼女は房の国の臣民だ。幕多羅の住人じゃない。それに・・・」
菊池は一度言葉を切ってから続けた。
「それに、この娘は僕の女だ。生かしておけば、何かと役に立つだろう?」
「ほう。俺はてっきりキネリがお前の女だと思っていたがな、色男。共生者のお前が適応者に惚れたと言っても、にわかには信じがたいな」
「僕達を結びつけてくれたのは・・・塩土だ。お前は彼の死に様を見て、戦士として何とも思わなかったのか?」
矢織の眉がピクリと動いた。彼は暫く考えた後、マントを肩にかけた。
「こいつらは殺さずに連行しろ。渦動師の女には回術を施しておけ。いいか、決して殺すなよ」
そう言うと、彼は振り返ることなく立ち去っていった。
幕多羅の浄化作業は、2000名を超える村民をほぼ全滅させて終了した。しかし房軍にも150名以上の死者や行方不明者を出す結果となった。特にニミツの死は、ここ10年で初めての軍高官の作戦時死亡であった。矢織将軍は責任を取らされる形となり、平坂師団司令官の職を辞することになった。