虐殺
菊池達は村を出ると川を目指して東に歩いていった。周囲を木々に囲まれた道はかなりしつかりとした道幅があったが、行手を阻む丸太のように多数の遺体が転がっていたため、彼等はジグザグに避けながら進まなければならなかった。殆どの遺体は煤で真っ黒になっていて、酷い火傷を負っていた。中にはほぼ炭化している遺体もあり、一体どのようにここまで来たのか不思議だった。地獄のような光景に、菊池とレイヨは嘔気を覚えてすくみ上がったが、キネリは気にも止めずに先に進んでいった。しばらく歩いていると、道を封鎖している兵士達が見えた。
「仕方がない。川岸へ向かうぞ」
キネリは姿勢を低く取るように指示しながら、脇道へルートを変えた。川岸は足場が悪いが、川に沿って下れば船着場にたどり着く。岸には丈の高い草も繁っているので、隠れるにも都合が良い。
「みんな無事かな・・・」
レイヨは菊池に尋ねた。先ほどから遺体は眼にするが、生きている村人には出会ってはいなかった。さっきの兵達も捕虜はいなかったようだ。
「大丈夫。みんな川岸から南下したんだよ。それより、赤ちゃん代わろうか?」
菊池は彼女の肩を軽くたたいて安心させた。胸の中の赤ちゃんはスヤスヤと寝ていた。かなり肝の据わった赤ちゃんだ。
「ううん。よく寝てるから。私は大丈夫」
レイヨは赤ちゃんの髪を愛おしそうに撫でた。彼女の不安は尤もだった。数百人ではくだらない村人が逃げているにしては静かだった。それに、道に無造作に捨て置かれた遺体も気になった。だが行くしかない。他に道はないのだ。
5分程歩くと周囲に鬱蒼と草が茂った高い堤防が見えてきた。川はすぐ先にあるはずだが、ここからは堤防が邪魔をして川岸を見ることはできなかった。菊池は一度ここには来たことがあった。多摩川だと思うが、知っているよりも川幅はかなり広く、流れが速かった。堤防のすぐそばまで水がきていて、足場がかなり悪かったことを覚えている。常世から舟で来た黄持たちも、幕多羅には接岸できず、下流から半日歩かされたとぼやいていた。ここまでくれば、火に追われることもないし、房軍の大軍に囲まれることもない。下流には沢山の漁村があるため、匿ってくれるところもあるだろう。
しかし堤防に近づくと、キネリは突然に手で二人を制し、その場にしゃがみ込むように指示した。
「菊池、わかる?」
彼女は菊池に囁いた。
「いや?何かあるのか?」
「渦動師よ。それに共生者も大勢。多分中隊規模だから100人以上はいる」
「何?だって、ここに兵隊が100人も集まる場所なんかなかっただろ?」
「そんなこと言ったって、事実は事実よ」
「まずい!村のみんなは?」
菊池が立ち上がろうとするのをキネリは制した。
「とにかく、落ち着きなさい。ゆっくり近づくの。いい菊池、私が探知できているということは、あちらも然り。わかる?でも、どうもあちらは一仕事しているらしい。探知されないためには、冷静にいること。あなたも共生者なんだから、大丈夫ね?恐怖や殺意は一番探知されやすい。くれぐれも何を見ても冷静にして。分かるわね?」
菊池はキネリの目を見ながら大きく頷いた。
レイヨを残して、キネリと菊池はゆっくりと堤防に近づいて行き、耳を澄ませた。確かに前方から人々の悲鳴や金属のこすれる音、馬の嘶きが聞こえてきた。
「馬?まさか馬までいるのか?」
菊池とキネリは姿勢を低くしながら雑草が深く生えた堤防を登った。その時、僅かな無風の後に、風向きが向かい風に変わった。火災の中に長くいたために効かなくなっていた鼻も、これだけ強い匂いが満たされていれば嫌でも反応した。
生臭い。血の匂いだ。
堤防の上部に登り、雑草の影から下を覗いた菊池は、その光景に戦慄し、身体が硬直した。
「な、なんてことを・・・」
そこに川はなく、サッカー場程もある木の床が川を覆っていた。その上には溢れんばかりの人々がおり、工場のベルトコンベアさながらの流れ作業が営まれていた。コンベアの出口には、死体が山の様に積まれ、乗り切らなくなったものから川に投棄されていた。大量の血液が川を赤く染めあげ、様々な格好で川に浮かぶ遺体が列を作りながら、ゆっくりと川下に流れていった。
房軍は川に浮島を作り上げていたのだ。両岸に沢山のロープを渡し、それに平底舟を多数並べて繋ぎ、その上に板を置いて巨大な屠殺場は作られていた。簡素な作りだが、中隊が殺戮を行うには十分だった。まだ100人程の村人が囚われていたが、老若男女問わず片っ端から殺されていた。
「子供だけは!お願い!」
叫びながら兵士にすがりつく母親に目が止まった。胸には2歳ぐらいの幼児を抱えている。菊池は立ち上がろうとしたが、キネリは彼の腕を掴んで制すると、首をユックリと横に振った。すがりつく母親に蹴りを入れた兵士は、不気味な笑いを浮かべると、胸に抱いた子供ごと槍で串刺しにした。兵士達は皆、血と殺戮に酔っていた。
「なんで、こんな・・・」
菊池には理解できなかった。彼ら共生者は、平時には理性的で、やや冷たいながらも穏やかな物腰の人が多い。しかしいざ戦いとなると、必要ならば老若男女問わず殺害しまくり、その行為に対して罪の意識は皆無で、敵を殺すことに愉悦すら感じる者が多かった。何故これほどまでの二面性を持っているのだろうか。隣にいるキネリも、戦う時は冷徹であり、殺人に対し咎は感じてはいないようだった。
「まずい。川はダメだ。道も完全に塞がれている」
キネリは川下の方に眼を向けていた。川下には多くの兵士が配置され、どう逃げようともこの屠殺場に追い込まれてしまうだろう。しかし菊池には彼女の言葉や自分の置かれている状況など、考える余裕はなかった。まるでゲームを楽しむように人を殺している。
「ここまでするなんて・・・」
菊池は川岸の地獄から眼を離すことができず、思わず嘔吐した。
「まずい!菊池、離れないと!」
キネリは嘔吐している菊池の腕を掴んで堤防の下に引っ張った。しかし兵士の一人がこちらを睨んでいた。
「ばれた!」
兵士はこちらを指差すと、大声で叫んだ。
「おい!そこの!どこの部隊だ?」
その時、村の方で大きな爆発音が響いた。今までで一番大きな爆発音は辺りの空気を揺らし、地が震え、堤防を駆け下りていた菊池は、堤防から転がり降りることになった。浮橋の上は、それ程揺れなかったが、菊池達に疑念を抱いていた兵士は、村に上がる巨大な黒煙に眼を奪われていた。
「今よ!急いで!」
キネリは二人をせかしながら、来た道を戻っていった。黒煙が立ち昇る幕多羅への道。焼け死ぬか、切り殺されるか・・・。3人に他の選択枝はなかったのだ。
御宮の裏を抜ける道には3人の兵がいた。生存者の捜索を行っているようだ。キネリ達はその場で腰を落として隠れた。まだ少し距離があったが、これ以上近づくと探知される危険があったからだ。彼女は周囲に多数の渦動師の気配を感じていた。奴らは村の南東に、つまり川に向けて生存者追い立てているのだろう。
「囲まれているわ」
キネリは菊池達に向き直った。
「いい、房軍は明らかに川に追い立てようとしてる。私達は奴らにハメられたのよ」
「ま、まさか欲擒姑縦・・・」
菊池は欲擒姑縦という言葉が孫子の兵法、36計の16計にあるのを思い出した。欲擒、つまり捕らえようと欲するならば、しばらく(姑く)放て(縦て)、つまり逃げ道を与えて安心した時に一網打尽にした方が良いと言うことだ。追い詰めて『窮鼠猫を噛む』ような死に物狂いの反撃を受けないようにして、被害を最小限に食い止めよということである。川の惨状を目の当たりにしてなければ、俄かには信じられない事実だった。
「どうしたら?」
菊池はキネリに頼るしかなかった。
「わからない。でも川は駄目なのはわかるでしょ?このまま村を抜けて行くしかないわ」
敵がこちらに気づいて包囲する前に、炎に包まれた村を突破しなければならない。果たして通り抜けることができるのかどうかは、行ってみるしかなかった。幸い共生者が多いので、探知される心配は少ない。だがそれも、菊池が冷静でいられるかにかかっていた。
「奴らは、村は火災からは誰も生きては出入りできないと思ってる。だから村から逃げた人々を追い込むように川に向けて移動している。村に入ってしまえば隙間だらけよ。さっきみたいにレイヨが誘導してくれれば、炎の中でも抜けられる可能性は十分ある。でも貴方が探知されたら逃げられないわ」
「僕が探知?」
「ええ。さっきみたいに恐怖に怯えて嘔吐するような感情は、すぐに探知される。殺気とかもね。だから、貴方が常に冷静である必要があるの。できる?」
彼女は、眼鏡越しにしては大きくみえる瞳を菊池の正面に向け、彼の瞳を覗き込んだ。
「ああ。大丈夫。もう取り乱したりはしない」
「良い子ね」
そう言うと、キネリは姿勢を低くしながら兵士達に向けて突進し、瞬く間に3人を葬った。
「良いわよ、出てきて・・・」
剣を鞘に納めながら、キネリは近くに強い気配を感じて体を硬直させた。
「な・・・。で、でかいのがいる」
強力な渦動師だ。渦動口を開いた感じはしないのに、これ程の気を放出している。避けなければならない。
「こっちよ!急いで!」
キネリはみんなを先導して、渦動師の気配から離れるように方向を変えた。道を外れて低木の間を隠れながら村に向かって逃げたが、間もなくやや開けた広場に出た。
「ここは・・・」
菊池には訪れたくはない場所だった。広場には2人の兵士がいたが、暗がりで何かを見ながら話し合っていたため、こちらに気がついてはいなかった。キネリは躊躇せず攻撃をしかけ、一人のど仏に剣を突き刺した。残った一人は彼女に剣を首から引き抜く間を与えず攻撃をしてきた。キネリは剣を諦めて柄から手を離すと、奇麗な後方倒立回転で攻撃を回避した。両上下肢を真っ直ぐに伸ばして姿勢良く回転する姿は、まるで新体操選手のようだった。そして彼女は回転中に流れるような動作でガーターベルトに仕込んだナイフを抜くと、敵のコメカミを狙って投げつけた。ナイフは1ミリの狂いなくコメカミに吸い込まれ、男は静かに崩れ落ちた。
その時強い風が吹いた。
ギーギーッギュッギーギーギュッ
広場の暗がりからロープが軋むような音が聞こえた。広場の隅に、殺された兵士達が見物していたものが、風鈴のように風に揺れていた。炎に照らされ、二つのシルエットが浮かび上がっていた。
死のシンボル
ロープが軋む音が再び鳴った。まるで菊池達を誘っているかのように。彼は恐怖に鼓動が一瞬止まったのではないかと感じた。
「早くここから逃げないと」
その時、傍から強大な気配がしたかと思うと、2メートルはある大男が現れた。男は厳つい顔に笑顔を蓄えており、探していた友人と出会う事ができた時のような安堵感も感じられた。その瞬間、大男の気が一瞬消えた感じがして、キネリは違和感を感じた。
「おお、君が研療院のお嬢ちゃんだな?そして菊池か。やっと会えたな。なかなかの腕前じゃないか」
「将軍!」
矢織であった。彼は小隊が全滅したとの報告を聞き、直接現場に降りてきていたのだ。
「君かね?私の小隊を全滅させたのは。流石に極技館出は違うな」
矢織の後ろから数十人の兵士がゾロゾロと現れ、菊池達を取り囲んだ。
「しまった、囲まれた!」
キネリは矢織に注意を向けながらも、周囲全体の動きを見張った。
「その後に援護に向った2小隊も帰って来ないが、まさか、お嬢ちゃん一人で3小隊を全滅させたなんて言わないだろうな。だが何故裏切るのだ?仏押の命令か?」
「違う!仏押様は関係ない!全ては私の一存でしたこと!責任は自分でとる!」
そう言うと、キネリは攻性変換を行いながら矢織に前傾姿勢で突撃した。こうなっては、大将首を取るしかない。
その時突然、カトラスが回転しながら彼女に向かって飛んできた。