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共生世界  作者: 舞平 旭
浄化
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禍々しい図形

菊池は家の外に転がっていた兵士を見て驚いた。腹部と頸部に大きな傷を負っている。しかし彼はまだ生きていて、首の傷を手で押さえながら、こちらを睨みつけ、身体を起こそうともがいていた。

菊池は彼に歩み寄って応急処置をしようとしたが、キネリは彼の肩を引っ張って後ろにどけると、居合いのように素早く剣を抜きながら、そのまま兵士の首を切断した。血液はわずかに噴いただけで、彼女の身体を汚すことはなかった。キネリは刀を振って血液を払い落とすと鞘に収めた。菊池は軽い衝撃を受けた。生まれて初めて目の前で殺人を目撃したのだ。だが、すぐに冷静になると、転がっている頭部を見つめた。まだ若い男の生首は、こちらを恨めしそうに見ていた。


「な、なぜ?」


「だって、困るだろ?こいつが生きてちゃ」


菊池はしばらく生首を見つめていたが、何も返答せずに無言のまま議長宅へ足を向けた。菊池はショックを受けていた。しかし殺人を目撃したということにショックを受けた訳ではなく、自分の異質な感情にショックを受けたのだった。殺人、それも一刀で首を切断する野蛮な行為を目撃したのだ。だが自分が思っていた程、恐怖は表出してこなかった。医師だからか?病気のせいか?それとも・・・。



その時キネリは虫呼の音が周囲に響き渡るのを耳にした。


「始まるわ。あと30分しかない!」


相手が適応者のため、房軍は虫呼に符合をつけていなかった。それに奴らは、キネリが寝返ったことに気づいてはいないのだ。


「え?そんなに早く?」


「ええ。だから、もう何もできない。私達が逃げ出す時間すらギリギリよ」



二人はレイヨの家に走って向かったが、家には誰もいなかった。多分、彼女は母親に付き添って房軍の医療施設にいるのだろう。皮肉だが、今は一番安全な場所だ。もう探している時間はない。彼女がそこにいることを願うしかない。ワツミ議長は議事堂かもしれないが、彼との面談も困難になった。



そして二人は御宮に向かった。御宮の参道を通り抜けるのが、川への最短ルートだからだ。近づいていくと、普段はほとんど明かりのない御宮に僅かな明りが見えた。草木の影に隠れながら光の周囲を観察すると、御宮からやや離れた所で房軍の二人の兵士が何やら話し合っていた。菊池達は低木に紛れてゆっくりと彼らの背後に回っていった。


「貴方はここで見ていて」


そう言ってキネリは剣を左手に持つと、姿勢を低く保ちながら兵士達に背後から突進していった。5メートルほどに近づいた時、彼等は彼女の接近に気付き、振り向くと腰の剣に手をかけた。


「なんだ?」


キネリは右手を地面に着くと、長い足を扇形に振り、手前の兵士に足払いをかけて転倒させ、そのまま身体を捻りながら振り子のように逆の脚を上空に振り上げ、倒れた兵士の顔面に踵を落とした。彼女の踵は鈍い音を立てて鼻骨をへし折った。

残った兵士は腰の剣に手をかけながら唖然としていた。いきなり若い娘が突っ込んできて、タイトスカートから下着を露わにしながら踵落としをしたのだ。飛び起きようとしているキネリを見た兵士は我に帰ると、大声を上げながら剣を抜いて襲いかかった。キネリはしゃがんだ姿勢のまま刃を横に捻ると、襲ってきた兵士の喉元に剣を突き出した。敵の剣は、彼女の右肩をかすめて袖を切り裂きながら大地を刻んだが、下から突き出された格好の彼女の剣は、喉頭から入り頸部を貫いた。兵士の体重も加算された剣は、容易く脊椎を軟骨部で切断して5センチ程後ろにつき抜けた。血液が刃を伝わって首から流れ出した。頚椎の離断は、並走する中枢神経も切断し、四肢の動きだけでなく、呼吸筋を直ちに停止させ、兵士の動きは凍りついたように停止した。眼は見開かれ、震えながら彼女を見つめていた。彼女は動かなくなった兵士の身体を蹴り押しながら、剣を引き抜いた。喉元から潜血が噴き出した。

そして折れた鼻を抑えながらのたうちまわる兵士の肩に右足を乗せて固定すると、彼の左胸に剣を突き刺した。剣は心臓を綺麗に貫き、その拍動を妨げた。兵士は動きを止めていたが、念の為に引き抜いた剣はの刃先を気管に突き刺しておいた。適応者ならば即死の傷だったが、不幸なことに共生者である彼の生命活動はその後も続いた。動くことも話すことも出来ない状態で・・・。彼は後の戦闘による火災で、生きながら焼け死んだ。このような状態に至ることをキネリは十分に理解していたが、彼女は止めを刺そうとはこれっぽっちも考えてはいなかった。彼女の仕事は100%終わったのである。

キネリは肩で息を一回すると、剣の血を払い、菊池の方に向き直った。


「終わったわ」


キネリの右肩は袖が裂け、下から樹状痕が露わになっていた。菊池はその傷痕を見ると眼を奪われた。彼女の白い首から肩にかけて、逆さ向きの樹木がピンク色の繊細なタッチで描かれていた。彼には、この非対称の図形には見憶えがあった。いわゆる『リヒテンベルグ図形(Lichtenberg figure)』というやつにそっくりだった。『リヒテンベルグ図形』は日本語では『絶縁破壊』と呼ばれる。高電圧により絶縁体が破壊されることで、その時の電気が放電した痕のことである。最もよく知られるのは落雷の時に空に見える『雷の形』だ。もし人に落雷した場合、皮下を電流が通った部位が火傷として残り、まるで樹木の刺青のような痕が残ることがある。菊池はその写真を見たことがあった。しかし通電の痕というよりは、皮下を虫が這った痕のような禍々しさも感じた。


「これは?」


「え、なに?・・・ああ、これは樹状痕よ。みんなあるわ」


「渦動師だけ?」


「いいえ、多かれ少なかれ共生者にはみんなある。でも渦動師以外の樹状痕は小さい。渦動を使うとだんだん育ってくるの」


キネリの白く細い腕に描かれたリヒテンベルグ図形は、妖艶さ、神秘さ、そして禍々しさを醸し出し、彼は思わず見とれてしまった。すると彼女は腕を隠すとやや頬を赤らめた。


「余り見ないで・・・。恥ずかしいから」


「ご、ごめん」


菊池は慌てて視線を彼女から外すと導火線をたどって油壺の状態を確認した。油壺は見つからないように草木で隠されていた。気爆薬は普通の黒色火薬のようだ。信管は点火式で、導火線が40~50メートルほど伸びていた。そして火薬の周囲には油の入った壺が複数置かれていた。火薬は3個所に設置され、その導火線は御宮の床下に集められていた。そして御宮の周囲には数列の土嚢が爆風除けに積まれていた。思った通りだ。これなら何とかなる。


「それじゃ、君はここに待機していてくれ。俺は村の人たちを誘導してくる。もし房軍の大軍がきたら、爆破してくれ」


行きかけた菊池の手を掴むと、キネリは引き戻した。


「何いってんの?正気?もうすぐ始まるわよ!外に出たら犬死よ。貴方が死んだら、誰がここを守るの?」


「しかし・・・」


菊池の焦りがキネリに伝わったのか、彼女は菊池の手を握ってきた。彼は、あれ程に勇猛な彼女の指が、予想外に細くてしなやかなのに驚いていた。



微かだが周囲の闇は薄くなり、殺戮の朝が始まろうとしていた。春の朝はまだ肌寒く、矢織はマントを羽織ると天蓋の外に出た。彼はその夜は眠らなかった。戦の前はほとんど睡眠を取らない。今回の幕多羅の浄化は戦とは呼べない、有る意味『虐殺』だったが、彼は戦として扱うこととしたのだ。


「ニミツ!」


「はっ!」


ニミツは直ぐに矢織の元にやってきた。


「準備はどうだ?」


ニミツは片膝で座ると眼を合わさずに答えた。


「滞りなく。しかし菊池が逃亡しました。捜索を出しますか?」


「放っておけ。どうせ一人では遠くには行けまい。奴は目立つ。後で探せばよい」


矢織はマントを翻しながら右手で幕多羅の方角を指差した。


「よし!それでは幕多羅の浄化を予定通り取り行え!」


「は!」


ニミツは一礼してその場を離れると、部下に作戦開始準備の虫呼を吹かせた。朝日が昇り始める中、空を虫呼の音が響いた。もっとも、幕多羅の人々や菊池には聴き取ることができない『悪魔の音』だったが。

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