攻撃の予感
菊池を連れて常世に帰る準備を進めていた矢織は、たった今届いた行動命令書を見て目を疑った。
「これは、何かの間違いではないのか?」
彼は伝令に尋ねた。まるで独り言のような響きもあったが、伝令は意に介さずに返答した。
「いいえ。間違いではありません。内容は知りませんが、私が確かに長官より直接お預かりしたものです」
書類に不備はなく、偽装されたものとも考えられなかった。矢織は命令書を握り潰すと、天を仰いだ。
「塩土どの、すまん。貴様らに運がなかったのだ」
矢織は伝令を下げると、副官のニミツを呼んだ。二人は天蓋から出ると村を見渡すことのできる丘に移動した。歩哨が二人を見て慌てて敬礼をし、彼らも返礼した。矢織は長閑な村の景色を眺めながら、溜息をつくと、ニミツに背を向けて話し始めた。
「いいか、長官から直々に幕多羅浄化の指令が下された」
その含意に、ニミツも少なからず驚いた。
「え、強制疎開ということですか?」
「いや、村民の浄化だ。速やかに指揮を執ってくれ」
副官は敬礼をすると去って行った。その無表情な顔に、わずかながら微笑みが浮かんだことに将軍は気づかなかった。矢織はそのまま村の景色を眺めていたが、彼の脳裏には老人の苦悶の表情が浮かんでいた。幕多羅の村民を皆殺しにしようが八つ裂きにしようが、矢織の心が痛む訳ではない。しかし、『アエルなし』が演じた切腹が心を揺らせていた。
「腹か・・・」
彼は果たしてそれが自分にもできるのだろうかと考えていた。
「ハハハ」
彼は頭を振ると自分の共生者らしからぬ考えを戒めた。こんな気持ちは初めてだった。その時、目の前に1匹のカエルが飛び出してきた。彼は不潔なモノを見るような眼を向けると、わざわざ渦動口を開き、カエルを渦動波で組織粒子化した。カエルは脚の一部を残して消え去った。
ニミツは村から殆どの兵を引き上げると、再編成を命じた。そして自分の計画に従って細かく指示を出していった。包囲殲滅戦は彼の最も得意とする所で、蟻一匹這い出す隙間は与えない自信があった。幸いなことに、前以て十分な兵力が与えられていた。後は、いかに兵力消耗を少なくするかである。幕多羅に兵力は存在しないが、人間の死に物狂いの反撃を何度も見てきた彼には、その怖さを熟知していた。つまり死に物狂いにさせないことが肝要なのだ。そこで彼の『完璧な包囲作戦』には、ワザと『穴』が開けられていた。人間というのは、希望があればそこにすがる。希望にすがっているうちは無謀な賭けは行わないものだ。希望を抱かせながら瞬殺するのだ。彼には自信があった。それに、この作戦には政治的な裏があり、作戦の完璧な成功は、自分の将来にとって必ず有利に働く。
ニミツは修技館を優秀な成績で卒業した。しかし極技館にはいかなかった。渦動力がそれ程強くなかったことも大きいが、農家の出で、家に金が無かった事が最大の理由だった。両親は必死になって修技館の学費を捻出してくれたが、1年目の秋に事故で両親とも死亡した。彼には幼い弟と妹が残され、修技館に在籍することもままならなくなってしまった。その時に眼をかけてくれたのが蔵瀬だった。彼は優秀なニミツが修技館を辞めると決めた時、ポンと学費と生活費を出し、そして弟達の引き取り手も探してくれたのだった。蔵瀬は極技館への進学も勧めてくれたが、彼は辞退し兵役に就いた。蔵瀬への借りを早く返すには、実戦で功績を挙げた方が速いと考えたのだ。優秀だったニミツは、特に戦略立案に秀で、直ぐに参謀本部付きとなり、平坂師団の副官まで登りつめた。そして幕多羅行きが決まる直前に、蔵瀬から初めて呼び出しがかかったのだった。
ニミツは蔵瀬に恩義を感じてはいなかった。どうせ向こうも自分を利用するために種を蒔いたのだ。そして借りは返すが、返すだけではダメなのだ。
ニミツの命令は、まだ常世に帰っていなかったキネリの元にも伝えられた。
「なぜ直ぐに立たなければならないのですか?私は研療院所属の渦動師です。あなた方の命令に従う義務はありません」
すると伝令の兵士が答えた。
「いいえ、これは勅命です。速やかに従わない場合、貴女は反逆罪で処罰されます。いいですね、直ぐに支度をして出立なされるように」
兵士の後ろ姿を見送りながら、キネリの中にはある疑惑が渦巻いていた。
すぐに彼女は菊池の元を訪れた。菊池の見張りはまだ解かれてはいなかったが、張り番の兵に声をかけて中に入ることは問題なかった。相変わらず何もやることのない菊池は、居間で寝転がっていた。
「菊池。少し相談したいことがある。いいか?」
「ああ。なんだい?」
菊池は起き上がるとキネリの正面で胡座をかいた。キネリは彼の前に正座をして座った。
「私に退去命令が出た。至急だ。兵士も引き上げの準備をしている。妙だとは思わないか?」
「確かに妙だな。実は僕も明日、常世に行くことになった」
「なに、お前もか?」
「ああ。何故こんなに慌てているのかな?何だと思う?」
「私は・・・総攻撃だと思う」
キネリは自信なさげに答えた。
「何故?もう幕多羅に反抗できる力は残されていないだろ?」
「それは解らないけど・・・。でも、おかしいでしょ?まだ交代も到着していないのよ?」
キネリは菊池に詰め寄った。彼女の顔がすぐ近くにせまり、菊池はビックリしてわずかに後ずさった。
「た、確かに僕も変だと思うよ。で、どうしたらいいと思う?」
キネリは彼の態度から、自分が近づき過ぎたことに気づき、頬を赤らめると、再び距離をとって座り直した。
「そんなの・・・わからない。だからここに来た」
外は8000の軍勢だ。攻撃されたら幕多羅は一溜まりもないだろう。
「それじゃ、君はこの事を議長に知らせてくれないか。そうしたら、ここを予定通りに離れるんだ」
「え?」
「いいか、君には関係がない。早く離れた方がいい」
「でも・・・あなたは?」
「僕は大丈夫だよ。それに元はと言えば僕のせいなんだ」
「そんな・・・それは違うわ。貴方は悪くなんかない。貴方は・・・」
「とにかく君は逃げるんだ。巻き込まれる前に早く」
キネリは暫く俯いていたが、心を決めたように顔を上げると、
「わかった。行くわ。でも、私は・・・」
彼女は何かを小さく呟くと出て行った。菊池には何を言ったのかわからなかった。
「貴方を必ず守る」
この時、彼女は8000倍の敵と戦うことを決意した。
ワツミはキネリの話を聞いたが、笑って相手にしなかった。議事堂の二階にある会議室には二人しかおらず、ワツミの笑い声は妙に響いていた。
「お嬢さん、まさかそんなことがある訳がないでしょう。幕多羅は苦難を超えて、新たに動き出しているのです。皇帝のための『放生の地』として再生しつつあるのですよ。そんな我々を滅ぼして、なんの得があると言うのです?私は先ほどもニミツさんと会っていましたが、そんな素振りはありませんでしたよ」
キネリは机を叩いた。
「いいか、房軍が妙な動きを見せているのは事実なんだ。例え総攻撃でないにしても、何があるかを考え、民のために必要なことをなすのが議長の役目だろう?まず女子供を安全な所に避難させ、そして房軍に確認すべきではないのか?」
しかしワツミは露骨に不愉快そうな顔をして答えた。
「貴女には関係がないことだ。今、避難などして房軍を刺激してどうなるというのだ?それこそ奴らに口実を与えかねないだろう?それに兵の移動についてはニミツさんから説明は受けているんだ」
「奴はなんと?」
「間も無く行政官が常世からやってくるので、駐留部隊のみ残して常世に帰ると」
「そんな子供騙しを信じたのか?いいか、奴らは先週まで弔旗を掲げていたんだぞ。普通、全軍は撤退行動に移るはずだ。しかし奴らはここに居座った。それは、それ以前から幕多羅が標的にされていた証だ」
キネリはワツミを睨んだ。しかし彼も睨み返すと、
「貴女は帰るように命令が出ていると聞いた。何度も言うが、貴女には関係のないことだ。菊池君もそうだ。彼にも余計なことに首を突っ込まないように伝えてくれ」
「・・・そうか。ならもう言うまい。ただ、注意を怠るな。奴らはやる気だぞ」
キネリはクルリと踵を返すと二階の会議室を出て行った。ワツミは彼女が出て行った扉を暫く見つめていたが、彼もそこから廊下に出た。比較的広い廊下の窓から、少し湿気を帯びた生暖かい風が入ってきていた。最近は天気が悪い日が多く、廊下の窓が締め切られる日が多かった。しかし今日は曇ってはいたものの、朝から雨は降っていないため、全ての窓が大きく開かれていた。ワツミは開かれた窓に向かうと、窓枠に身体をもたれながら外の景色をながめた。木造三階建の議事堂は、村の中心、シンボルとしての役割も担わされていたため、村の中心の小高い丘に建築されていた。この二階の窓から見ると、西の市場と家々を眺望することができた。丘にある噴水と植木越しの景観は美しかったが、彼の心を癒してくれることはなかった。
「そんな訳がない。そんな訳が・・・」
彼は何度も呟いていた。
ニミツは工兵を集めると、幕多羅の周囲に火薬と油壺をセットさせた。また、焼玉発射筒を10機用意し、幕多羅を見下ろせる北の丘に配置させた。焼玉発射筒は炉で加熱しだ弾丸を発射し、目標に火災を起こさせることを目的とした砲である。そのため、砲弾はただの丸い鉄球で、当たっても爆発することはない。しかし高温の鉄球は周囲の可燃物を燃やし尽くすのだ。幕多羅のような木製家屋の多い土地では、炸薬砲よりも効果が大きいだろう。これらの兵器と工兵や砲兵は幕多羅派遣の時に既に編入されていた。ニミツは部隊編成を通達された時、目を疑った。いくら幕多羅が大きな農村とはいえ、包囲するだけなら、こんな兵器は必要ないからだ。直ぐに司令部に確認したが、命令を遵守するように返答があっただけだった。そして蔵瀬から呼び出された。
「準備にはどのぐらいかかる?」
「はい、半日頂ければ。焼玉の移動に少し手間取っています」
部下は凧型の敬礼をしながら答えた。
「それと、菊池のことですが、本当によろしいのでしょうか?」
「ああ、構わん。奴は作戦開始後に殺せ。これは都からの命令だ」
部下が下がると、ニミツは幕多羅を見つめた。綺麗な土地だ。しかし明日は地獄と化すのだ。浄化命令は久しぶりだ。この命令に例外は許されない。ワツミとその家族も例外ではない。
「そうか、あの娘も・・・」
彼はにやりと笑った。その顔はまるで、獲物を前に舌舐めずりしている蛇のそれであった。
物陰に潜んでいたキネリは、音を立てないようにその場を離れた。