幕多羅浄化命令
翌日、緊急御前会議が招集された。葬儀からまだ7日である。この時期での招集に、会議の面々は異様な緊張を感取せずにはいられなかった。
房の国は立憲君主制であり、建前は、皇帝の命令も会議の承認を得なければ実行することはできない。しかし国会と君主の権力差は明らかで、実情は絶対君主制に近かった。それでも代々の皇帝は、憲法の習律は可能な限り侵さないようにする事を潔しとしていたので、議会は審議の場として重要な位置を占めていた。
議会場は宮廷に隣接していて、かなり広く豪華な建物だった。建物には大小合わせて100に上る部屋があり、房の国の中枢が集まっていた。本会議室は建物の中央に位置し、屋上までぶち抜きの高い天井と広い面積、そして華美な装飾に飾られ、会議室よりは劇場に近い造作だった。中央にかなり長い机があり、数段高くなった上座には、玉座が鎮座していた。
3分の2ほどの席が埋まると、合図とともに皇帝が入室した。一同は起立し、凧型を胸に組んで傅いた。会議の始まりにあたり皇帝は、皇子の冥福に祈りを捧げた。そして庵羅に発言を許した。彼は席から立ち上がると、軽く咳払いをしてから話し始めた。
「皆様、私は緊急討議すべき議題を提出させて頂きます。螺向様が薨御された疫病の対応策についてです。異議のある方はいらっしゃいますでしょうか?」
庵羅は軽く周囲を見渡したが、彼を妨げる者は見られなかった。
「この度の疫病は、回学院の調査により、全ての元凶が幕多羅であることが判明いたしました。これは確固たる証拠に基づいた真実です」
あっさりと言い放った庵羅の言葉に、一同がざわめき立ち始めた。前回の会議で、幕多羅を占領はするが、村は存続させると決定したばかりだ。その幕多羅が今度は死病の原因と言及されているのだ。ただでは済まないことは明白だった。
周囲のざわめきなどは気にかけず、庵羅は悠然と話しを続けた。
「幕多羅は、皆様ご存知の通り、匙の国との内通を試みた罪で、現在は軍の統治下にあります。皇帝陛下より『放生の地』として恩情を受けながら仇をなし、遂には『汚れた地』へと陥落し、その存在価値すら喪失したのです。それどころか、このままでは更なる害悪を撒き散らしかねません。今の所、行政機関を解体し、軍の直轄としておりますが、このまま村民を拡散させては、国全体に死病が蔓延する可能性があります」
庵羅は一度言葉を区切り、再び周囲を見渡した。この発言には嘘が混在しているのだが、誰もそれには気が付いてはいなかった。彼は心の中の笑みを、表情に出さない様にこらえるのに苦労していた。そしてたっぷり間を開けた後、代わりに哀憐を表出した。
「皇子様の死を思い出して下さい!あの様な悲劇を繰り返して良いはずがありますまい。臣民の生命を守るため、我々は決断しなければならないのです!」
彼の力強く握られた腕が、大きく振り上げられた。そして彼は無言で一同を見渡した。室内には沈黙が満ち、議員たちの心には彼の言葉の余韻が大きく響いていた。
「私は幕多羅の速やかな『浄化』を陛下に具申いたします」
会場からざわめきが上がったが、すぐに喝采に変わった。彼の言説に圧倒されていたことも事実だったが、多くの議員は小村に興味がなかった。そんな議員らが、玉意を明らかに代弁している庵羅に逆らう筈はなく、仏押以外の議員は立ち上がって賛同の拍手をしていた。皇帝は一同を見回すと、庵羅に向き直った。
「よくやった、庵羅。それでは命ずる。幕多羅の・・・」
「お待ち下さい、陛下」
庵羅は穏やかに皇帝の話を遮った。
「陛下、仏押様には何か別のお考えがあるようです。是非ご意見を拝聴いたしたいと存じます」
庵羅の言葉に、一同は仏押に視線を集中させた。老人はゆっくりと立ち上がると、庵羅を無視して皇帝に向き直った。庵羅が論戦を挑んできたのだ。その真意は不明だが、彼には十分論破できる自信があった。回学院の動き、庵羅の経歴は黄持に調べさせ把握していた。奴には不明な点が多いが、回療を学んだ記録はどこにもなかった。皇帝をそそのかすことだけに長けた宦官に、回療のことなど理解できるはずがない。
「陛下、何卒御再考をお願いいたします」
彼は会議室の一番端の席に位置し、背も低いために、かなり小さく見えたが、老人の持つ威厳は場を圧するに十分だった。
「庵羅様の今の報告のみで、これ程の大事を決めるのは、些か早計ではございませぬか」
皇帝は老人を睨んだ。
「何?早計だと?」
「はい。慎重にお考えください。庵羅様はああ仰るが、何の証拠もお示し下さってはおりません。それでは私達にどんな裁決をしろと仰るのでしょうか?この決断如何では、数千人の命が露に消えるのです。それに私には、回学院が単独で疫病の証明ができたなどという世迷言を信じることはできません。原因が幕多羅にあるのかは、もっと慎重に調べて見なければ、確定などできる筈がありません。推測の段階で浄化など、とても看過できません。どうか我々研療院に、今少し時間を頂けないでしょうか?」
「ククク。はははは」
皇帝が何かを言うより早く、庵羅がいきなり笑い始めた。まるで玩具を手に入れた子供のような、無垢な笑い様だった。
「控えろ!失礼じゃろう!」
仏押は檄を飛ばしたが、彼は全く意に返さない風だった。目頭に浮かんだ涙をぬぐいながら彼は頭を下げた。
「ははは。・・・済みません。つい我慢できなくて。ああ、おかしかった」
庵羅は仏押を見つめた。その顔には笑顔が残っていたが、冷笑と呼ぶ方が近い表情だった。
「いいですか、仏押様。先程もお話しいたしました通り、原因は解っているのですよ、とうの昔にね」
「何当て推量を。それでは証拠を示して下され。まだ研療院でも掴めていないというのに、たかが回学院になにができるというのですかな?」
「疑り深いですね。嘘ではありません。証拠は十分にあるのです。やはり幕多羅の民に原因があり、遠因は皇室の風習にあるのです」
庵羅は扉に向けて指を鳴らした。すると、資料を抱えた男が2人入ってきて、全員に資料を配り始めた。
「こちらがお望みの証拠です。ご存分に吟味してください。ただ、内容がいささか専門的ですので、皆様には今からかいつまんで説明させて頂きます」
庵羅の説明は流れるように進んでいった。その様は、まるで歌を奏でているかのように淀みなく行われた。講義が進むにつれ、仏押の双眸はみるみる蒼白となっていった。内容は仏押の学んできた回療学の知識を遥かに凌駕していた。庵羅は素人ではなかったのだ。そしてこのような病が世の中にあるとは信じられなかった。しかし、ここに示された資料に偽りは見出せず、仏押は敗北感に打ちのめされた。奴はこのタイミングを狙っていたのだ。仏押は資料に目を通しながら、悔しさに歯ぎしりをするしかなかった。
この時の仏押は明らかに冷静ではなかった。全てが庵羅の手練のためでもあり、彼を責めるわけにもいかないが、この時に報告書の『穴』を見つけていれば対応が可能だったかもしれない。この報告書を後日精査した黄持は幾つかの疑問点を発見した。まず伝染方法。庵羅の矛盾の最たるモノである。全てが終わった後に蘇芳刑務所から上がってきた情報も、彼の考えを裏付けることになった。そして動物実験の期間が明らかに短すぎること。この疾患は今回の症例のように、発症までかなり時間を要するため、動物実験もある程度の期間が必要なはずで、回学院が独自に行ったとは思えなかった。更に黄持は、今回の疾患に良く似た症状の記録を史録院で見つけることができた。担当記録師の話では、庵羅もこの記録を確認していたらしい。つまり、庵羅の報告書はオリジナルではなく、この記録を元に報告書を作成したものだった。だが黄持の知見は遅きに失していた。
「いかがですか、仏押様。これが真相ですよ」
「い、いや、こんなモノが有るはずかない・・・。デタラメだ。不可視生物の域を超えている。あり得ない」
その時、蔵瀬が話に割って入った。彼の眼にはやや蔑むような影がかかっていた。
「仏押殿、そのぐらいで辞めておけ。庵羅殿の言っていることは本当だ。わしと陛下は庵羅殿からの報告を3週間前に受け取った。そして十分吟味したのだ。当然専門家も入れてな」
「3週間前・・・」
「そして庵羅殿は3人目の発生を預言したのだ。そして、その予言通りになった」
「ま、まさか・・・」
「3人目は発症から入院までかなり早かっただろう?これは、回学院が、いや、庵羅殿が発症者に目星を付けていたためだ。これ以上の証拠が貴様にはあるのか?研療院に見つけられるのか?」
仏押は何も言い返すことができなかった。
そんな馬鹿なことが・・・。まんまと庵羅にやられてしまった。奴は初めから研療院と回学院の争いに、この問題を利用するつもりだったのだ。
「ご安心下さい、仏押様。私の計画に従っていただければ、もう患者は出ません。残念ですが、貴方がた研療院は、既に国の回療の担い手としては能力・資質共に不十分になってきているのですよ。これからは我々回学院が行なっていきます」
庵羅は薄笑いを崩さずに仏押に語りかけた。仏押は庵羅を睨み続けてはいたが、震える口から言葉は発せられなかった。完全な敗北だった。