裏切り者
矢織の判断で、房軍はほぼ無血で幕多羅を制圧した。抵抗は皆無だった。矢織は村に入ると、議事堂に執務室を構えた。まず議長を呼び出した。
「お呼びでしょうか」
議長は中肉中背の温和な容貌の男だった。頭髪は白髪混じりでやや長く、眼はかなり細い。
「名は何という?」
「はい、ワツミと申します。塩土村長が亡くなり、村長代理をしております」
「そうか。それではお前に村民の取りまとめと犯罪人のリスト及び捕縛を命じる」
ワツミの眼が少し引きつった。
「私がですか?」
「そうだ。まさかやれぬのか?やれなければ我が兵を使うが良いのか?」
矢織はワツミを睨みつけた。ワツミは自分が震えているのがわかった。情けないことだ。だがこの仕事はHigh risk、High returnである。下手すれば仲間からリンチを受けることになる。
「・・・わかりました。それではそちらの兵と将校をお貸し下さい」
「ああ、構わん。俺の副官を付けてやろう」
「それと、私の立場は?」
「そうだな、お前の罪は問わない。家族もだ。立場は『平坂師団付行政補佐官』にしてやる。明日までに正式な命令書を作成しておく」
「わかりました。ありがとうございます」
ワツミはそのまま自宅に帰った。いつもは楽しい我が家が、これ程遠く感じるとは。菊池という男がやってきてから、心が休まることがなかった。
「お父さんお帰り」
「お帰りなさい。遅かったのね」
妻と娘がワツミを出迎えてくれた。しかし彼は上の空だった。自分が村民を捕縛する・・・。自分は裏切り者になるのだ。だが、村を、家族を助けるにはそれしかない。自分がやらなければ、どうせ房軍がやるのだ。それならば自分がやった方が、村人のためになるのだ。彼は自分に言い聞かせた。
「お父さん、今日、タカヨシと塩土様のご遺体を安置しに行ったんだ。なんでこんなことになったゃったの?なんで塩土様が死んじゃうの?」
レイヨは父にすがりついた。その眼には涙が滲んでいた。ワツミは娘を抱いて語った。
「レイヨ、誰が悪いわけではない。運命、運命なんだよ。これから私がやることは、もしかしたら悪いことなのかもしれない・・・。だけど、他にどうしようもないんだ」
レイヨは父を見上げた。しかし父は娘と眼を合わせることはなかった。彼は家族にはそれ以上の事を言えなかった。
翌日ワツミは、矢織の副官であるニミツと共に兵を伴い、議事堂にいた。会議室にはワツミの呼びかけで、幕多羅村議会議員が揃っていた。会議室にいるニミツを見て、議員達は困惑を浮かべていたが、ワツミは無視して全員を見渡しながら話し始めた。
「幕多羅に行政官が到着するまでの間、私が幕多羅の管理を一任された。房国皇帝の命により、幕多羅議員は全員捕縛される。また、神人のメンバーも同様だ」
一同はざわめき立った。
「ワツミ、裏切るのか!」
「裏切り者!恥を知れ!」
数人が立ち上がりワツミの方に向かおうとした。ニミツが手を軽く上げると、扉から兵士が流れ込んできた。
「いいか、皆、聞いてくれ。確かに私は裏切り者だ。どう罵ってもらってもいい。だが、誰かがやらねばならないんだ。この後到着する行政官との交渉も、誰かがしなければならない。君達には悪いが、幕多羅のため、諦めてくれ」
「ふざけるな、房の犬め!」
議員達は悪態をつきながら会議室から連れ出されていった。
「中々の手際ですね。その調子でやっていきましょう」
ニミツは手を胸の前に立てたが、ワツミは無視をして会議室を出て行った。次は神人のメンバーを一人一人捕まえなくてはならない。どうか逆らわないで欲しい。ワツミは心からそう願っていた。
菊池の家にも房軍の兵士が乗り込んできた。しかし、意外にも彼らは菊池を捕縛はせず、自宅軟禁とした。
「許可なく外出は決してしないで下さい。食事と回術師はこちらで手配します。面会も、基本は禁止させて頂きます」
担当士官は丁寧だったが、有無を言わせぬ圧力を感じた。菊池には外の状況が全くわからなかった。レイヨはどうなったのだろう。キネリは常世に帰ったのだろうか?
「何?軍事行動の即時停止だと?」
矢織は常世からの命令に耳を疑った。
「はい。全軍に帰都命令が出ています。ただし、幕多羅のみ治安維持を継続せよとのことです」
ニミツは早馬からの命令書に眼を通しながら答えた。
「何故、我々だけ残るのだ?」
「わかりません。詳細は記載されておりませんが、弔旗掲揚の指示が出ていますから、皇室に不幸があったのでしょう」
矢織は考えこんだが、元々政始には疎い人物である。
「よし、扱いはお前に一任する」
「はっ!」
ニミツは政務室から出ると、薄笑いを浮かべた。
「予言の通りか。恐ろしい人だ」
レイヨと母親のトヨキは御宮に向かっていた。軍に封鎖されたため、流通は完全に途絶えており、食料は配給制になることが伝えられた。配給所として選ばれたのが御宮だった。御宮までの道を歩いていると、村の要所要所に房軍の茜色の軍服を着た兵士が立っており、前を通る度に緊張した。二人がたどり着いた時、御宮には既に100人前後の住民が集まっていた。彼女達も配給の列に並んだが、彼女達を見る村人達の眼がいつもと異なっているのに直ぐに気づいた。レイヨは列の前にいた近所の主婦に話しかけた。
「こんにちは。かなり待ちますか?」
しかし主婦はレイヨ達を一瞥すると、プイと顔を背け、違う人と話し始めてしまった。レイヨとトヨキは訳がわからず見つめあった。いつも親しくしている他の人々も、二人に関わらないようにするか、悪意のある眼を向けて無視をした。その時、市場で『はっさく』をくれた少年が、彼女達に向かって指を指して叫んだ。
「裏切り者!兄ちゃんを返せ!」
レイヨとトヨキは突然の事に呆然とするしかなかった。しかし周囲の大人達も少年を諫めるわけでもなく、逆に同様の敵意向けているのが伝わってきた。
「裏切り者!」
一度、人々の間から声が上がると、声はどんどん数と大きさを増してエスカレートしていき、二人を群衆が囲み始めた。
「いや、やめて!何?なんなの!」
レイヨは叫んだ。
「みなさん、落ち着いて下さい。ああ、キハリさん、ねえ、なんかみんなおかしいですよね?」
キハリと呼ばれた中年女性は、話しかけてきたトヨキを睨むと、
「この裏切り者!」と叫んで石を投げつけた。
「きゃあ!」
石はトヨキの額に当たり、彼女は尻餅をついた。
「お母さん!」
レイヨは母親に駆け寄り、二人は抱き合った。周囲から一斉に物が二人に投げつけられた。二人は懸命に頭を庇ったが、大きな石が鈍い音をたててトヨキの頭に当たると、彼女は昏倒して後ろに倒れてしまった。
「お母さん!」
レイヨは必死に母親を庇ったが、彼女の背後から数人の男達が現れ、彼女を羽交い締めにして二人を引き離した。
「イヤ!」
男達は既にまともな目付きではなかった。まるで何かに乗り移られているかのようだ。男の一人がレイヨの襟を掴むと彼女の服を引き裂いた。彼女の服は縦に破られ、下着があらわになった。男達は生唾を飲むと、レイヨを地面に抑えつけ、スカートを引き千切った。
「イヤ!助けて!誰か!タカヨシ!」
引き裂かれた布がレイヨの口に捻りこまれ、彼女の声を消し去った。