渦動共振
リツモはピックに体重を一気にかけて押し込んだ。しかし彼の予想とは裏腹に、矢織は笑い始めた。
「くくく。小僧、残念だったな」
胸に刺さったピックは僅かに進んだだけで、妙な金属音を立てて止まってしまった。
「まさか鎧か?」
裸の女の横に寝ながらも鎧を身につけていたというのか?狼狽えるリツモを蹴り飛ばすと、矢織はベッドから、『裸』のまま飛びずさった。
「曲者!」
彼の左胸には刃が刺さった後があり、軽度流血していたが傷は浅かった。そしてリツモのピックは先端が歪み、潰れていた。
「なぜだ?」
リツモは剣を抜くと、矢織と対峙しながら呟いた。標的は上半身裸である。確実に刺さったピックが胸板に弾かれるなど信じられなかった。
「皮下に何か入れているのか?」
女が再び奇声を上げると、裸のまま出口へ逃げだした。だが外にいた仲間が部屋に飛び込んでくると、すれ違いながら女の頸部を切断した。女の首がゴロリと床に落ちた。両手が頭を探るように暫く動いた後、身体は仰向けに倒れた。切断面から血が噴き出し、悲鳴の余韻がゴボゴボと断絶された気管から泡となって湧き出していた。矢織は女のことなど気にする風もなく、リツモに笑いかけた。
「ははは。残念だったな。折角の好機を逃したぞ」
リツモは動揺を抑えるのに必死だった。まさか自分の必殺の構えが破られるとは思ってもいなかったのだ。しかしまだ勝機はある。奴は丸腰だ。そして仲間は背後に回っている。
矢織はゆっくりとテーブルの方へ移動した。低い応接室用のテーブルだが、武器になるようなものはない。
「お前ら『アエルなし』に俺が殺せるとでも思ったのか?」
リツモは剣に力を込めた。矢織は必ず攻性変換をする。その時が勝負だ。テーブルを乗り越えて斬りかかれば、奴は逃げられない。
「ははは。何も語らぬか。いいだろう。その手足をもぎ取ってから聞いてやる。攻性変換!」
矢織の右肩が赤く輝いた。
「させるか!」
リツモは仲間と同時に矢織に飛びかかった。前後から剣が襲いかかる。それと呼応するかのように、矢織はリツモに向かってテーブルを蹴り上げた。
「しまった!」
正面のリツモは、矢織の人間離れした力を予想せず、ベニヤ板の様に軽く回転しながら舞い上がってきたテーブルを斬りつけてしまった。だが背後から攻撃した仲間は、矢織の左肩を斬りつけた。
「やった!」
確かに手応えがあった。にもかかわらず、剣は矢織の肩甲骨に到達する前に、彼の異常に発達した筋肉に捉えらたかのように止まってしまった。矢織の左前腕には3本の釘のようなものが刺さっていて、彼が肩に力を込めると、筋肉は釘を境にまるで別の生き物であるかのように蠢き、ガラス細工の様に剣を折ってしまった。神人の男は折れた剣と矢織の肩を見返して眼を見張った。
「はははは。お前らのなまくらでは、俺を殺すことなぞできぬ相談よ」
リツモは剣をテーブルから引き抜くと、そのまま真っ直ぐ右脇腹に向かって剣を突き出した。
「死ね、化け物!」
だが矢織は右手で腹に突き刺さる直前の剣を掴んだ。突き出される剣を手でつかめば、結果は言わずもがなである。しかしその瞬間、剣は剣先から柄にかけて、弾けるように粉々に砕けた。
「ぐわっ!」
リツモは咄嗟に柄から手を放したが、彼の両掌は皮膚が割け、血が噴き出していた。
「な、何が?」
「小僧、中々の反射神経だな。普通は手の骨ごと持っていかれる」
矢織は手についた剣の破片を払いながら笑っていた。裸の大男の、人の胴回りほどはある太い両大腿の中央にも、太い金属製の釘が怪しく光っていた。
「おら、おら、どうした?俺を殺しにきたのだろう?『渦動共振』は痛かったか?・・・まあいい。衝動はあるが、お前らを生きたまま捕らえ、塩土の前で串刺にしてやる」
物質は個々に独自の周波数で振動しており、固有振動と呼ばれる。外部から固有振動と同じ周波数の振動を与えると、物質の振動は大きくなり、物によっては破壊されてしまう。これを共振(共鳴)破壊と呼ばれる。『渦動共振』は、この共振破壊を渦動を使って引き起こす技である。渦動は波である。矢織は剣に渦動波を流し、瞬時に剣の固有振動数と同調させて共振破壊を起こさせたのだった。しかし、音波は空気中では減振するため、彼の力は接触しなければ効果はかなり減弱されてしまうという欠点がある。
彼らは強大な敵の前で武器を失い、リツモの両手は剣どころか箸すら持てないほどのダメージを受けていた。薄笑いを浮かべる矢織を睨みながら、リツモは次の手を考えていた。
まだ奴を殺す奥の手がある。
両手の痛みに耐えながら、リツモは仲間と眼で合図をした。二人は矢織に向けて走り込みながら、腰に着けていた紐を引き抜いた。
「自爆?」
矢織は瞬時にその場に伏せると、亀のように床に丸まって頭部と腹を手足で覆い隠した。光と轟音が矢織の天蓋で起こり、リツモ達は肉片と化した。周囲10メートルが吹き飛び、破片は更に10メートル四方に降り注いだ。
「畜生、ふざけた奴等め!」
矢織は5、6メートルほど吹き飛ばされ、3人の兵士を下敷きにして圧死させた。右大腿骨と左上腕骨を骨折し、破片は腹部と大腿筋に突き刺さり、腹部の傷からは大量に出血していた。流石の矢織も立ち上がることができす、回術師を待つしかなかった。