瞬殺
トヒセは震えていた。
森の草木が視界を遮り、葉の擦れ合う音は、葉陰から今にも墮人鬼が襲いかかってくるのではないかという恐怖を増大させた。脚に力が入らず、根にひっかかって転げそうになった。
彼女は今年修技館を出たばかりで、まだ戦闘経験がない。それなのに初陣が、こんな大規模で前例のない作戦とは。何故自分がこの任務に選別されたのか不思議だった。
一緒にいるスモニは、以前の仕事で盗賊を何人も殺したと言っていた。
私にそんなことができるのだろうか。
テルネさんが一緒にいてくれたら。
作戦説明の時に初めてテルネに会った。彼女は歴戦の勇士然としていて、とても格好良かった。それにとても綺麗で優しかった。
「貴女と私だけみたいね、ヒラの女は」
作戦説明の後、テルネが声をかけて来てくれた。コウラの副官も女性なので、それを入れずに、と言うことだろう。これは女性渦動師の割合から考えてかなり少ない。少なくとも適当に人選したのではないことが分かる。
「はい・・・。でも大丈夫でしょうか?」
「そうね。私もあのコウラって隊長のこと、何も知らないからね」
「いえ、そうじゃなくて、私なんかが・・・」
すると、テルネはトヒセの肩に手を置いた。
「貴女、確か新卒だったわね?」
「は、はい。戦闘経験は・・・ありません」
「ははは。私もそうだったな。初めて山人討伐に行った時は、怖くてちびっちゃった」
テルネはウィンクした。そして真顔になると付け加えた。
「『渦動衝動』には十分気をつけるんだよ。練習なんか比じゃないから」
「はい。・・・なったことあるんですか?」
「なってたら、こんなとこに居ないよ。でも近くまでいったことはある。そりゃあ快感なんてもんじゃ・・・まあいいじゃない」
テルネは少し頬を赤らめた。
「いい、要は『量より心』よ」
「心・・・」
「そう。心の強さ。芽に負けない強さ。渦動の消費量なんか関係ないよ。心が弱ければ、数発でお陀仏よ」
トヒセは俯いて、
「お陀仏・・・私、自信がありません」
「何言ってんの。大丈夫。大丈夫。あたしらは泣く子も黙る渦動師様だよ。訓練通りやれば問題ないよ」
「はい!」
トヒセは満面の笑みを作っていた。この女と一緒に戦いたいと思った。
テルネはどこにいるのだろう。彼女はこの部隊でも上位の渦動師で、本隊にいることは知っていた。自分の位置からはかなり離れているし、間には敵がいる。
化物が。
トヒセの心中とは裏腹に、勢子達は至って平和だった。手に手に棒を振り回しながら、踊ったり歌ったりして楽しそうに歩いていた。中には千鳥足の者もいる始末である。流石に竹ボラを楽器代わりにし始めた時は注意したが、そんなことはどこ吹く風の如くである。
スモニは彼等の振る舞いに顔をしかめていた。
「あいつら、大丈夫かよ。ちゃんと『森主』を見つけられるんだろうな?一発ぶん殴ってやるか」
スモニはイライラしていた。
彼は渦動師になってまだ1年余に過ぎず、実戦経験はたった1度だけだった。輜重隊の護衛任務の時に盗賊に襲われたのだ。輜重隊の護衛に渦動師がつくことは殆どない。しかし新米の訓練に利用されることはあり、そのことを知らずに襲ってきた盗賊こそ被害者かもしれなかった。
スモニは先輩渦動師のそばに隠れていただけだったが、先輩渦動師は10人ほどの盗賊団のうち、3人を瞬時に消し去った。そして逃げる敵を追撃し、更に3人を刀のサビにしていた。スモニは歯が合わないぐらい震えていただけだった。
この遭遇戦は、公式には『二人の渦動師の活躍』と記録された。
「おい、スモニ、凄いな」
「ねえ、本当の戦闘ってどう?怖くなかった?」
帰ってきた彼は、友人達から質問攻めにされた。
当初は恥ずかしさもあり誤魔化していたが、話をしていくうちに段々と武勇伝に変わっていった。
そしてそれが一つの負い目になっていた。
早く本当の戦闘を行い、今度こそ真実の武勇伝を作りたかった。
日々の鍛錬も欠かさず、自分はかなり強くなったと自負していた。特に渦動口を開くまでの時間は誰にも負けない。渦動の勝敗はそこに尽きるのだ。墮人鬼がいかに素早くとも、自分の視界に入った瞬間に、この世から消滅させてやることができる。
この特別任務に選抜されたのがその証だ。
「ほっときなよ。どうせ囮・・・」
トヒセは、その時背筋に何か違和感を感じた。『六感』が何かを告げようとしている。
「・・・何か感じない?」
「何か?何が?」
スモニは背後を振り向いた。その刹那、鎌がスモニの左眼窩に突き刺さっていた。更に鎌は眼窩の奥の骨を裂いて進み、頭蓋内に分け入った。彼は左眼の視力が消失してから1秒とかからず、延髄の破壊によって心肺が停止し即死した。
影は四肢がまだピクピクと痙攣する死体をゆっくりと持ち上げ、鎌を伝わって流れ落ちてくる血液と脳脊髄液の混合液を旨そうに舐め始めた。
トヒセの眼の前には、身の丈2メートルは優に超え、全身を黒鉄色の体毛に覆われた獣が立っていた。
彼女は同僚の死を見て硬直していた。
獣の眼がこちらを見つめると、口角を釣り上げた。
まるで笑っているかのように。