第5話 実技演習場④
「……うぅ」
俺はしばらくして目を覚ました。体が痛くてだるいためすぐには起きれないが、致命傷はない、と思う。
俺の頬に水のような冷たい液体が落ちてくる。俺はそれが落ちてくる場所を見た。
「……えぐっ……うぅ」
遠山さんが俺の顔の上で泣いている。心配をかけてしまった。
俺は無傷だった左腕で彼女の頭をポンポンと軽く撫でる。
「……っ……起きたのなら言ってよ……」
彼女はそう言って涙を拭いながら後ろを向いた。照れてる遠山さんは一層可愛い……。
「全く無茶しちゃって……」
彼女が呆れたような安心したような声で言う。
「はは……遠山さんに怪我がなくて良かったよ」
俺は全身に力を入れて起き上がる。
急に立ち上がったため少しふらついた。
「大丈夫?応急処置は済ませたけど、まだ動かない方が……」
「そうは言ってられないよ。早くゴールしなくちゃ」
「それはもう大丈夫よ……」
座ったままの遠山さんが目線を下に逸らした。
何故今まで気付かなかったのだろう。俺達が野良犬の群れに襲われた時まだ空は暗かった。だが今空は既に明るくなっている。
「……今、何時?」
「……10時よ」
8時間以上も気を失っていたのか……
「恐らく私達が最後のペアね」
「そっか……」
急ぐ必要が無いのならばマイペースにゴールを目指せばいい。
「遠山さん、行こっか」
「奈々美」
「えっ?」
「私の名前」
「う、うん、それは知ってるけど……」
「最後まで言わせないでよ……呼び方遠山さんじゃなくて奈々美でいいよ……」
突然の出来事に驚く。
「ペアなら名前でも良いでしょ……その……一樹くん」
「そうだね……奈々美さん」
何とも言えない恥ずかしさで目を合わせられない。
俺達は無言のまま荷物を持ち出発した。
5分程歩いた頃ふと奈々美さんが口を開く。
「私のお母さんはあの戦争で戦闘機兵の使用に反対する側だったの。お母さんは戦闘機兵の研究において研究者の間ではそれなりに名前の通る人だったから、お母さんは反対派のリーダーとして皆をまとめていたわ」
俺は歩きながら奈々美さんの話を黙って聞く。今俺に出来ることがあるとすればそれだけだから。
「けれど、軍の上層部はそれをよく思わなかった。反対派の核を潰すために反対派の人間に情報を聞き出したの。彼らは多額の金と引き換えにお母さん達を売ったわ。そしてそのすぐ後にお母さんを含む反対派の中心メンバー10人は見せしめの為に殺された」
「すべてお母さんと仲の良かった反対派の人に教えてもらったことよ。その人はお母さんが殺されてすぐ開発チームから抜け、元々父親がいなかった私を本当の娘のように育ててくれたわ。遠山はその人の苗字を使ってるの。私の本当の名前は──」
『お疲れ様でした──全ての課題終了となります──』
奈々美さんが本当の名前を言おうとした時、ジャングルを抜け、最後の課題の終了を知らせる放送がゴールにあったスピーカーから流れた。
「……この話はまた今度にしましょう。今は課題終了を喜ばないとね」
ようやく奈々美さんが俺のことを信じてくれ、秘密を打ち明けようとしてくれたと言うのになんというタイミングだろうか……
だけどまだ時間はある。ここでの生活は始まったばかりだからな。
すごく長い入学式だった気がする。結果から言うと俺達2人は最低クラスのJクラスになることになった。実は俺が怪我をしたのはプログラム上のトラブルによるものだったらしく、俺達2人だけ特例で最後の課題をやり直してもいいと言われたのだが、この結果にはそれなりに満足しているので俺と奈々美さんは断ることにしたのだ。
奈々美さんが断ったのは意外で驚いたが、彼女も何か自分のやり方を決めたのだろう。
ちなみに俺はゴールした後すぐに貧血で倒れ込んでしまった。そこから意識が朦朧としていたため、はっきりとは覚えていないが奈々美さんが慌てていた事と、病院へ運ばれたことは覚えている。幸い傷は浅かったので、1週間の入院でいいそうだ。
授業に関しては俺のケータイへデータが送信されるらしいので心配は要らなさそうだが、1週間もやすんで、きちんとクラスに馴染めるのかが不安だ……まぁ仕方の無いことか。