89話 レイ
轟音と共に小部屋を満たした光。
その正体は雷であった。
そう断定できるのはその雷が延々と小部屋の片隅に存在し、バチバチと音をあげているからだ。
当然この密閉された小部屋で雷が自然に発生するわけがなく、とどのつまりそれは異常事態であることを示しており、轟音と閃光に怯んでいたアカムはすぐに体勢を立て直し、片手半剣を構えて戦闘態勢を取っている。
アイシスは機械因子の解析機能と自身の精霊としての能力を合わせてその雷がどういう物なのか見極めようとしていた。
未だその雷は閃光を放っているが、機械因子による補完と魔力による感覚強化がされているアカムも、精霊であるアイシスもその閃光に目を眩まされることはなく、二人は緊張した様子でその雷光を睨みつけている。
「異常な量の魔力反応……でも魔力量に対して現象が小さすぎる……それでもこれは……魔法?」
「魔法? だが、一体誰が―――」
アイシスが解析した情報を得て呟いた言葉にアカムが反応し、誰が発動しているのかと言おうとしたところでその雷は突然バチッと一際音を立てて弾け、霧散する。
そしてその雷が存在していた場所には一人の男の姿があった。
黒髪黒目で、二十そこそこと言った風貌でそれなりに鍛えられた体つき。
服装は何やら動きやすそうではあるが防具としての機能は皆無のラフな格好だが、左腕のみ手の甲から三本の刃が爪のように伸びている篭手を身に着けている奇妙な青年がそこにいた。
そしてその青年のことをアカムもアイシスも知っていた。
名前などは知らないがそれでもその姿は知っていた。
「あの時の……!」
「宝箱から出てきた……!」
それはかつて迷宮の中にあった不可思議な神殿の宝箱の中から現れた謎の男だ。
突然現れ、わけのわからぬことを言って忽然と消えた男。
そんな謎の男が今、目の前に現れたのだ。
「よう。久々だな?」
その男は最初出会った時と同じように、歪な出会い方からは信じられないほど軽く、友好的な調子でそう声をかけてきた。
「……」
「また警戒されてるのか……まあ、それもやむなしかね。にしても近くで見ると本当に面白い姿だな。やっぱり機械の腕とか憧れるぜ」
そんな男にアカムは警戒心を丸出しで睨むが特に気にした様子もなくアカムの姿を見て面白そうに感想を零す。
それから男は視線をアイシスへと向ける。
「見えてっ!?」
「で、アイシスちゃんのほうは精霊になったのか。……なるほど、かなり特殊な精霊だな」
アイシスは姿を見せようとはしていなかったのにあっさりと捉えられたことに驚くが、そんなアイシスを気にすることなく男は、アイシスに起きた変化を即座に理解して感心するように頷く。
「と、まあそんなことはいいとしてだ。今日はお困りかなと思ってこうして目の前に現れたんだが」
「お困り? なんのことだ」
「いや、例えば百階層のボスに挑みたいのに障壁に阻まれて挑めない、とかさ」
「これはお前がっ! ……いや、ちがうか」
相も変わらず軽い調子で話す男の言葉に一瞬障壁を張っているのがこの男なのかと激昂しかけたアカムだったが、すぐに落ちついて自ら否定する。
奇妙な話だがアカムには目の前の男は本当に困りごとを解決するために現れていて、別に自身の行動を阻害しようというつもりはないのだといつの間にか受け入れていた。
それはアイシスも同じで黙って成り行きを見守っている。
「ほほう、取り乱さないか。……まあ、いい加減得体のしれない相手からの言葉とか不安かもしれんから軽く自己紹介しておくか。俺はレイ……色々事情があって言えることは少ないんだがとりあえず超常の存在とでも思ってくれればいい」
「超常の存在、ね。まさか神とでもいうのか?」
突然、男に名前以外何も分からぬような自己紹介をされ、アカムが少しふざけた様子で聞いてみるが、男――レイはその問いに何も答えずただ肩を竦めるだけだ。
心なしかその動作はアカムの問いに対して肯定しているようにも感じられた。
「まあ、結局この紹介じゃあ得体のしれないってのは変わらないが……まあ、そうだな。とりあえず俺はそこの障壁の先にいる奴を倒さなきゃいけなくて、その障壁を通り抜ける術を持っているんだよ」
「冒険者……というわけでもなさそうだが?」
「まあな。だから言っただろう? 倒さなきゃいけないって。倒したいとか倒すじゃなくて倒さなきゃいけないんだ。いろいろと別の事情があるんだよ」
どうやら目の前の男、レイは挑むためではなく何か使命があって異界迷宮の主を倒さなければならないらしい。
それはとてつもなく重要なことなのだろうとなんとなくだがアカムは察する。
「……なんとなく分かった。はあ……異界迷宮完全制覇、一番に達成したかったが先に進めない以上諦めるしかないのか……」
「ああ? 何言ってんだ? 最初に言ったろうが、お困りかなと思ってきたと。別に絶対に俺が倒す必要はないんだからな」
だからこそアカムは潔く退こうとした。
そもそも障壁に阻まれて進めないのだからどうすることもできない。
だが、レイは軽く眉を寄せつつ諦める必要はないと告げてきた。
「だからとりあえず俺の力で障壁だけ通り抜けさせてやるよ。それであんたがそのまま倒せたらならそれでいいし、倒せず死んでもその後倒せばいいだけの話だからな」
「それは……なんというか随分と俺にとって都合がいいな? それともあれか、俺が多少その異界迷宮の主を消耗させれば楽になるとかか?」
「はっ! 何を勘違いしてるんだ? 確かにあれは倒さなければならない。けど別に倒すのに必死になる必要なんてない。作物育てているときに畑を荒らす小動物が一匹来たら処分するのと一緒だ。残念だが俺にとってはもうその程度でしかない」
随分と都合のいい提案にアカムはやや疑ってかかるが、返ってきたのは皮肉めいた乱暴な言葉だった。
ともすれば自信家によくある高慢なものに感じられるような言葉であるが、どうにもレイが言うと不思議とそれはただ事実を述べているだけなのだろうと思わされる。
そうしてなぜかすんなりレイの言葉を受け入れ納得してしまうことに奇妙な感覚を覚えるが、なんとなく不快な気持ちになることはなくアカムはその感覚を信じることにした。
「ああ、そうだ。アレの強さは以前空を割って現れかけたのより少し強い程度だからな」
「空を割って……ってあれか!?」
「まさかそんな!?」
それから忘れていたとばかりに付け加えられた情報にアカムとアイシスは驚愕する。
それも当然だろう。
レイの言うその存在とはベヒーモスへ挑んだ日の二日前のあの日。
空が割れたかと思えば突然現れた異常な存在感を放つ存在のこと。
あの時感じた存在感。
力の差。
それは否応なく格の違いを思い知らされ勝てないと、戦う前から認めてしまった存在だ。
そんな存在よりもこの先にいる迷宮の主がさらに強い存在だと言われればさすがに驚くほかない。
「本来はアレもそこまでの存在じゃないんだが、色々あってな」
「……もしかしてこの障壁もその色々ってのが?」
「まあ、そうだな。アレが変質しちまったから隔離っていうか、障壁が発生してる感じだ。だから本来の迷宮の主じゃあない。あんたに分かりやすく言うなら……迷宮の主の異常種ってところか」
「異常種! なるほど……な」
驚いているアカムの姿を見て、どうにも迷宮の主は元々そういう強さを持つ存在だと勘違いさせたことに気付いたのか、レイは苦笑しつつ補足説明を入れてきた。
そしてアカムにもパッとイメージしやすい言葉で今の迷宮の主の状態を示されれば、軽く驚きつつも納得する。
「まあ、そういうわけでアレに挑むというのならあんたにとっては相応の覚悟が必要になる。それでもかまわないっていうならさっきも言ったように障壁は通り抜けさせてやるよ。ただ、戦うと決めた以上はあんたが死にそうになっても俺は助けないからな」
「……一つ聞きたい。あんたから見て、俺は迷宮の主に勝てそうか?」
「さあ? そこはやってみないと分かんねえだろ。ただ、絶対に勝てないなんてことはない。勝ち目があるってことだけは断言してやるよ」
「そうか……」
それを聞いてアカムは不思議と気が昂っていくのを感じていた。
ほとんどよく知らない赤の他人といってもおかしくないレイに「勝ち目がある」と、そう言われただけで、かつて感じた「絶対に勝てない」という思いがかき消され、沸々と闘志が沸き上がる。
「どうやら挑むらしいな」
「ああ、ここまで来て引き下がれるか」
「そうか」
アカムの顔を見て、どうするのかを悟ってかレイは笑みを浮かべる。
アカムの覚悟のこもった言葉を聞いて満足そうに頷きつつ、レイは歩き出し、障壁へと近づいていく。
いつの間にかレイの右腕には白銀に輝く篭手が装着されている。
その篭手を装着した右手が障壁に触れると、アカムの攻撃にもビクともしなかったその障壁が波紋を描きながら揺れた。
そしてひとしきり大きく揺れたかと思うとガラスが割れるかのように砕け散った。