83話 終演
ゴドラの放ったブレスの中へとアカムは飲み込まれた。
だが、一部が大きく膨らんだかと思うとブレスが斬られて、中から無傷のアカムが現れた。
『あぶねえ、あぶねえ』
「マスターはすぐに調子に乗って油断しすぎですよ」
『今のは相手が一枚上手だっただけだろ』
下手すれば死んでいたかもしれないという状況を脱したばかりだというのに、二人は特に気負うことも無く軽口を叩き、その態度は命を懸けた戦いの最中であるこの場には似つかわしくないもので、ともすれば油断しているようにも感じられる光景だった。
だが、言うだけ言った次の瞬間には、射抜くような鋭い眼でゴドラを睨む。
ゴドラの攻撃の尽くを防いでいるアカムだが、まだまだ安心できるほど両者の力量に差はないのだから警戒を解けるはずはない。
実際先ほどのブレスはかなり危ないところだったのだから。
あの時、アカムは完全に意識を向ってくる魔法に逸らされていてブレスの事が一瞬頭から抜け落ちた完璧なタイミングでブレスに呑み込まれた。
これがアカム一人であれば今頃は灼熱のブレスに肉体を蒸発させていたかもしれないほどに危ない場面だったのだが、幸いなことに心強い相棒であるアイシスが共にいた。
アカムの意識外だったブレスもアイシスはしっかりと認識していてブレスに呑み込まれる瞬間に魔力障壁を展開したのである。
もっともゴドラのブレスは凝縮されて魔力障壁をも貫く威力を秘めたものであるためにそれを食い止めていられるのは数秒が良い所だ。
だが、その数秒は五感を魔力によって強化され、肉体のほとんどを機械因子によって機械化されているアカムにとって体勢を立て直すのに十分な時間であり、魔力障壁が破壊される瞬間に剣を振るって無事脱出することができた。
脱出しての軽口や態度も、ギリギリで脱した焦りから強張っていた肉体や精神を解すのをゴドラに悟られないためにあえて取った行動に過ぎなかった。
実際、ゴドラはアカムの内心を読み取れず、先ほどのほぼ完璧と思えた攻撃すら全く届かないのかと驚愕して固まっているのだからその企みは成功したと言っていいだろう。
だが、ゴドラは竜種の頂点である神竜であり、何よりも九十階層の守護者だ。
動きを止めたのもほんの数秒で、気持ちを切り替えて攻撃を再開した。
一つ一つが魔力障壁を貫く威力を秘めているというのに、追尾してくるその魔法の数は相変わらずで、それを放つゴドラが魔力を減らす様子はない。
あまり魔法に気を取られていると隙をついてブレスが襲ってくるのだから、気が抜ける暇もない。
だが、そんな状況でアカムは少しだけ思ってしまう。
武器を得てある程度の余裕が生まれたからこそ、ゴドラが魔法を放つ様を見て考えてしまう。
羨ましいと。
アイシスにふざけた魔力制御能力といわれるほどにゴドラの魔法はどれも正確で威力も申し分ないものだ。
そしてそんな威力の魔法を無数に放ち、尚魔力は減ることが無い。
無尽蔵の魔力を十全に扱えるというのは、アカムにはできないことだ。
無尽蔵の魔力はあってもそれを自由に扱えず、魔法は身体強化と生活魔法だけ。
機械因子を手に入れてようやくその魔力も有効に使えるようになったが、それでも魔力を自由に扱えるようになったわけではない。
今では魔法を使うことも諦めていて、己の現状にも満足していた。
だが、それでも目の前で無尽蔵の魔力を自由に使う様を見せられるとどうしても羨ましいと思う気持ちが芽生えてきてしまう。
そしてその想いが徐々にアカムを苛立たせていた。
だが、そんな精神の乱れはアカムの動きを乱すことはなく、それどころか苛立つごとに動きが鋭くなっていく。
苛立ちを力に変えて、襲い来る魔法やブレスへとぶつけるために一振りごとに研ぎ澄まされていく。
けれども機械因子を核にして、アカムの魔力から生まれた精霊であるアイシスはその苛立ちをハッキリと認識していた。
その苛立ちを力に変えていることも理解していた。
おそらくはこのままでもアカムは動きを乱すことは無いだろう。
アカムは今まで無駄に有り余る魔力を扱えないか試してきて、その全てが無駄だと悟って、それでも腐らず技を磨いてきたのだ。
そんなアカムであれば苛立ちの中戦ってきたことも数多くあるはずで、それを力に変える術を持っているのはその動きを見れば明らかだ。
だが、アイシスはそれを黙って見守るつもりはない。
そんな不安定要素など排除して然るべきだというのがアイシスの考えだからだ。
そうでなくとも魔法を防ぐことばかりに躍起になってすっかり防戦に回ってしまっているのだ。
「マスター。何を苛立つ必要があるのですか?」
『ああ?』
「確かにマスターはずっと無尽蔵な魔力を扱えず悩んできたのでしょう。それは分かります。でもそれは諦めるしかないことはもうすでに理解しているはずです」
『分かってる! ……分かってるが目の前で見せられると考えずにはいられないんだ』
アイシスの言葉にアカムは声を荒げつつ、手に握る剣を鋭く振るう。
そのたった一振りでそれまで迫ってきていた魔法の全てが斬られて霧散していった。
「心の内で揺らいでもそれが動きに出ないのは素晴らしいですがそれがいつまで……いえ、こういうのは言っても仕方のないことでした。ではこうしましょう」
『……なんだ』
「敵はかつてマスターが望んだ無尽蔵の魔力を自由に扱える相手。言うなればマスターが魔力を自由に扱えた場合の姿だと考えるのです」
『はあ?』
その様子に感心した様子を見せつつもアイシスは話を続けようとするが途中でやめて、別の話を切り出した。
改めて言われたその提案に眉を寄せるが、構わずにアイシスは話を続ける。
「ですから敵をかつての理想の姿だと考えるのです」
『考えてどうするんだよ』
「どうするってこの状況ですよ? 倒すに決まっているでしょう。無尽蔵の魔力を自由に扱い戦うかつての理想。それを倒すということはつまり、理想を超えたという証明になる、違いますか?」
アイシスは満面の笑みを浮かべながらそう聞いてくる。
一瞬何を言ってるのか分からなかったアカムだが、次第に理解していくと自然と軽く笑みが浮かんだ。
『ああ、そうだな!』
「今こそ理想を超えるチャンスだというのに苛立ちながら戦うなどもったいない。折角のチャンスなのだからもっと楽しむべきです」
『まったくだ、な!』
アイシスの言葉に元気づけられてアカムは歯をむき出しにして笑いながら声をだし、剣を振るった。
苛立ちの消えたその一振りは、それまでのどんなものよりも鋭いもので、迫っていた魔法やブレスをあっさりと斬り裂いた。
そしてアカムは視界の先でゴドラが不自然に首を横に動かしたのを見た。
それはまるで何かを避けるような動きであり、そしてそれは一瞬でも意識がアカムから逸れたことを示すものだ。
それを見たアカムの判断は素早く、一気にゴドラへ突撃する。
もちろんゴドラもすぐに応戦するが、アカムはそれを止まらず、速度も一切緩めずに斬って突破した。
正面から最短距離で進んだ為にあっという間に接近すると、アカムは剣を胴体に向かって横に薙ぐ。
ゴドラは慌てて人化して横へと回避したが、予想していたことなので大した動揺はなくアカムはすぐにそれを追う。
少し離れた位置で再び竜に戻るゴドラだがその際動きが止まっていたので、すぐにアカムが追い付き、そのまま通り抜け様に剣を振るう。
どうやら竜体に戻った直後だとすぐには人化できないらしく、ゴドラは片翼を根元から斬り落とされた。
『があ!?』
『ようやくまともに攻撃が入ったな!』
「マスター、まだ戦闘は継続中です」
片翼では飛んでいられないらしく、ゴドラは呻き声をあげて地上へと落下する。
アカムはようやくまともに攻撃が入り、その翼をあっさりと両断できたことに喜びの声をあげるが、アイシスに注意されてすぐに気を引き締め直し、地上へ落ちたゴドラを追った。
落ちたのが全長100mを超える巨体なのだから舞い上がる土煙の量は凄まじく、地上はすっかり土煙に覆われている。
そしてアカムがその土煙の中に入った瞬間。
土煙を掻き分けて強力なブレスが襲い掛かってきた。
翼を斬られ地上に落ちたばかりだというのにゴドラは早々に迎撃する準備を固めていたようだ。
土煙で視界が遮られ反応が遅れたアカムの代わりにアイシスが魔力障壁を展開する。
そのブレスを放ったのと同時にゴドラの魔力が一瞬ゼロに近いところまで減ったのを確認していたアイシスはそれが全力のものだと悟っていたが、少しでも耐えれば己のマスターなら何とかするだろうと思っての事だったがアイシスは魔力障壁にブレスが取り込まれているのを確認した。
「……なるほど。もう適応は完了したということですか」
アカムにも聞こえないほどの小さな声で呆れたように呟く。
すでに相手の魔力を取り込めるようになった以上このままでも耐え切ることは可能なのだが、アカムは細かく魔力の動きを悟れるわけではないためブレスを斬ろうとすでに体勢を整えていた。
『らぁッ!』
それを確認してアイシスは邪魔にならないようにタイミングを見計らって魔力障壁を解除する。魔力障壁が消えたと同時にアカムの剣は振り切られ、いくらかを魔力障壁に取り込まれたとはいえ尚高い威力を誇るそのブレスをバッサリと両断した。
そうしてブレスによって閉ざされていた視界が開けるとすでにあたりの土煙は迷宮の修繕機能によって消滅していてゴドラの姿をハッキリと確かめることができた。
未だ片翼はなくとも地を掴み立っている姿はやはり神竜というべきか威風堂々としたものだ。
だからこそアカムもそれを見て油断することなく、再び放たれた魔法を斬り落として接近し、剣を振るっていく。
機動力を失ったゴドラはそれを躱すことなどできずにそれを正面から受けるしかなかった。
最初は残ったもう片方の翼を斬って完全に飛べる可能性をなくし、次に長い尻尾を斬り落とす。
次に前側の片足を斬れば、ゴドラは自身の巨体を残る三つの脚で支えることはできず、地面に倒れ伏せた。
そんな状態になってもゴドラは魔法とブレスで抗い続けた。
だからこそアカムは最後まで油断せず、脇腹を裂き、背中を斬って更なる傷を負わせていく。
そうしてさすがのゴドラも血を流しすぎたのだろうだんだんと動きが緩くなり、放たれる魔法も威力も精度も落ちていった。
アカムはいよいよ終わりが近いこと感じ取り、最後は一思いに一撃で決めようと精神を研ぎ澄ましてゴドラの首元へ真上から接近し、十分に近づいたところで剣を振りおろす。
その瞬間、アカムはゴドラが確かに笑ったのをみた。
勝者を称えるようなそんな笑みを。
そしてアカムの振り下ろした剣はその刀身よりもずっと太いその首を綺麗に断ち切ったのだった。