8話 迷宮で腕試し
愛のある痛みで起こされたアカムはササッと迷宮で潜るための装備を身に着けて、イルミアと共に家を出た。
大通りまでくれば、まだ日が昇り始めたころだというのにアカムと同じような冒険者の姿や店の開店準備に忙しそうに動く人々の姿を多く見かける。
屋台に至っては冒険者が動くこの時間は商売時のようで多くの屋台がすでに開店しているようだった。
その屋台の一つに二人は寄ってパンに野菜と肉を挟み、辛めのソースをかけた物を十個ほど買う。
そのうち、イルミアは三個だけ受け取る。
「今日は少なめだな」
「今日は一種類の料理って気分じゃなくて何種類か食べたいだけよ」
「なるほどな。俺もそうするか」
実際には一個でもアカムの手のひらほどの大きさがあるボリュームたっぷりのものなのだが、二人にとっては大した量ではないようだ。
多くの人が動く大通りの中でわざわざ他人の会話に耳を傾けるものもいないために、二人を気にする者もいないが、もし話を聞いていたら目を見開いて驚いていたかもしれない。
アカムは見た目からして大男であり、冒険者であることが分かるから別として、イルミアはぱっと見た限りは細身の女性にしか見えないのだから。
それからいくつか屋台を回り、いろいろと買い込みそれぞれを分配したのち、ギルドで二人は別れた。
屋台で買った食い物をがつがつと食いながらアカムは迷宮へと向かい歩いていく。
「んぐ……ふう、えーと……ウルグはまだ来てないか。時間はっと……八時か」
約束していた場所まで来たアカムが串に刺さった肉を頬張りながら辺りを見渡して確認し、ポケットから時計を取り出して時間を確認する。
この時計も四十年程前に異界迷宮から出てきた物を研究、解析して作られたもので今では一般的なものとなって広く普及している。
「まあ食休みにはちょうどいい時間だな」
やや早めに来てしまった感は否めないが、朝食を消化するには十分だろうと転移部屋の入り口に背をもたれて座り込み、屋台で買った色々な料理をものすごい勢いで口に入れ呑み込んでいく。
周りを見ればちらほらと同じように大量の朝食を取っている冒険者の姿があるためアカムの行動が特別目立つことは無い。
それでも普段そこまで食べることのない人からすればどうすればその量を腹に納められるのか気になるようでちらちらとアカムを含めた冒険者に視線を送る人は少なからずいた。
結局大量にあった朝食を十五分かからず平らげたアカムは、身体をゆっくり動かしながら、昨日植え込まれた基礎知識とやらを一つ一つ引き出して理解しようと努めていた。
そうして時間を潰していたアカムの元へ相変わらずノースリーブの道着を着たウルグがやってきた。
「よお、早えな。これでも三十分早く来たんだが」
「まあな。んで、そっちは準備いいのか」
「ああ、飯もたらふく食ってきたし、いくらでも守ってやるさ」
「そりゃ結構。やばい時はマジで頼むぜ」
それなりに早く来たつもりであったウルグが少し驚きつつも手をあげて挨拶をする。
アカムも軽く返し、すぐに迷宮へ潜っても大丈夫か聞けば頼もしい返事が返ってきた。
人によってはそれがいくら自分から言い出したことでも、守ってやるという言葉に噛みつく者もいるかもしれない。だが、アカムは気にした様子もなく頭を下げた。
一人で迷宮へ挑みどこまでいけるかと試しているアカムだが一方で慎重な面もある。
腕を失くす直前には二十四階層を探索していたがアカムの実力ならもっと上の階層の魔物でも打ち勝てるだろうし、実際三十階層までは攻略している。だが、それは少々無理をしての事であり、上の階層の魔物と戦えるというのも一対一の場合だ。
アカムには複数の相手に対しての有効な武器となるものがなかったために、複数で来られてもギリギリ余裕をもっていられる二十四階層で鍛える日々を送っていたのだった。
例えば、今目の前にいるウルグなら獣人族としての圧倒的な身体能力で相手を翻弄することができる。
それに比べてアカムの能力は中途半端だった。魔力はあるのに魔法は使えず、唯一マシなレベルで使える身体強化も中の下でしかなく、肉体はどれだけ鍛えてもあくまで普通の人間種の範囲内。その能力はとても一人で迷宮探索を可能にするものではなかった。
アカムはそれを痛いほど理解しているために、守ってもらうことに忌避感は無い。
今は守ってもらいながらも新しく手に入れた義手の力を使いこなさなければならない。ようやく自らの魔力回復能力を十全に活かせるかもしれない武器が手に入ったのだから、それを使いこなすためにあれこれと体裁に構っていられなかった。
アカムは立ち上がると自らの転移部屋の扉を開けると先にウルグに中に入ってもらい後から自分も入り扉を閉める。
転移部屋はその部屋の利用者しか開けれないが入ることは可能であった。
「んじゃ……二十階層でいいよな」
「別に今回はソロってわけじゃねえんだからもっと上でもいいんじゃないのか?」
「いや……俺もこの腕の力は信じてはいるんだが、万が一の場合俺は只の足手まといになる。命大事にってな」
「そうか、なら仕方ないな」
転移部屋に入って石版に触れる前に行く階層を決め、確認を取る。
ウルグが別の提案をしてきたが、やはり慎重にいきたい気持ちが強くアカムは首を振った。
ウルグも疑問に思った程度だったために簡単に引き下がった。
「んじゃ、いくぜ……我ら、二十階層に望むもの有り」
石版に触れ、ウルグもしっかり触れたことを確認してからアカムが迷宮の中へ転移するための呪文を唱えると二人の石版が一瞬強く光り二人の姿がその場から消え去った。
二人が現れたのは辺り一面固い土の地面と大岩が広がる岩の森とでも言うかのような風景が広がる地帯だった。
「岩石地帯か……鈍重な奴らが多いし、慣らしにはちょうどいいか」
「その代わりどいつもこいつも硬いけどな」
周囲を確認してそれぞれ思ったことを口に出す。
岩石地帯と呼ばれるこのエリアで出てくる魔物は岩を纏ったものが多く、その重さからいくらか動作がゆったりした魔物が多い。
ゆったり、と言っても一般の大人の男が全力で走る程度には早く、岩に防御を任せて全力で仕掛けてくる攻撃は脅威である。
《マスター。前方の岩の陰から一体魔物が出てきます》
「っと、さっそく出たな……ロックリザードが一体か」
「他にはいないようだ……にしてもお前、索敵能力上がってないか?」
「この腕様様ってやつよ」
周囲を確認していたアカムにアイシスが敵を察知したことを告げると岩のようなごつごつとした鱗を纏った、人型の蜥蜴が前方にあった大岩の陰から現れる。
まだ、五十メートルは離れているため分かり辛いが背丈はイルミアよりもちょっと低いぐらいのようだった。
ロックリザードもこちらに気づいたのか威嚇するように鳴き声を上げ、走ってきた。
ウルグもそれを見て他に隠れているものがいないか気配を探るが近くにいないことを確認し、それをアカムに伝えると共に疑問を投げ飛ばす。
その疑問にアカムは非常に簡潔に答え、よくわからないがそう言う機能もあるのだろうとウルグも納得する。
「さて、じゃあまずは普通に全力で斬るか」
愛用の長剣を抜き、両手で持ち、右肩に乗せるように構える。
戦闘状態に入ったからか腕の偽装も解除され、機械の腕がむき出しになり、既にそれを一度見ているにもかかわらずウルグは驚いてアカムの腕を凝視する。
それから身体強化をかけて一気に踏み込みロックリザードとの距離を縮める。
突如目の前に迫られたロックリザードは一瞬驚いたように固まるが、すぐにアカムに対して、岩のような鱗でびっしりと覆われている尻尾を振るう。
それをジャンプして躱したアカムは、着地すると共に剣をロックリザードの肩口から斜めに斬ろうと全力で振り下ろす。
すると一瞬、何か大きなものが割れたかのような大きな音が鳴り、ロックリザードの半身がミンチになった。それだけでなく、アカムはまるで足を滑らせてスッ転んだかのように体勢を崩して左前方へと倒れ、二回三回と地面を転がった。
後ろで見ていたウルグもまた大変だった。
突如大きな音が聞こえ、アカムが倒れたかと思えば何かが飛来してきたのを寸でのところで躱していたのだ。
それでもぎりぎり躱しきれなかったのかウルグの頬を薄く赤い線が走る。
「な……何が起こった?」
獣人種は身体能力のほかに五感も鋭い。それは打ち出された矢もはっきり認識することができるぐらいのものだ。そんな鋭い五感をもってしてもウルグは飛んできた物が何かの欠片だったことぐらいしか分からなかった。
その為に何が起きたのか分からず呆然と呟くしかなかった。
「っ! そうだ、アカムの野郎は!?」
直前に不自然に倒れるアカムの姿を見ていたことを思い出し、地面を転がり珍しく《クリーン》もかけてないのか汚れたままのアカムのもとへ駆け寄った。
痛めたのかそれとも怪我をしたのか左腕を右手で何度も擦りながら俯いている。
「おい、何があった!」
「いつつ……いや、俺も何が何だか……ただ急に左腕が引っ張られて、折れるかと思った……」
ウルグの声に顔をあげ顔を顰めながらもそう答える。
アカム自身何があったのか分からず混乱の真っただ中だった。
結局、何が起きたのか分からず釈然としない様子のウルグだったがアカムの傍にわずかばかりの剣の欠片だけ残っている剣の柄が落ちているのを見つけた。
それを見てウルグは少なくとも自分に飛んできた物が何なのかを理解した。
「おい……剣が砕けてるぞ」
「はっ? ……ああ、まさかそういうことか?」
「何か分かったのか?」
剣が砕けていることを教えればアカムも気づいてなかったようで慌ててそれを見て、次の瞬間何かに気づいたように固まり、呟く。
何か気づいたのかとウルグも気になって問いかければ多分、と前置きしてからアカムは思いついた推測をぽつぽつと話しはじめた。