68話 叱咤激励
守護者であるルインを倒し、六十階層より先へと脚を踏み入れたアカムだったが、あの後どうにも気が乗らず六十階層の魔物を数体狩ったところで迷宮探索を切り上げた。
守護者と戦ったのが真昼頃で、その戦闘時間も数時間かかったわけでもなく十分ぐらいのもの。さらにその後はすぐに切り上げたため、アカムが迷宮から地上へ帰ってきたのはまだまだ日も高い二時頃だった。
「とりあえず魔石の換金か」
「また騒ぎになりそうですけどね」
「あー二日前に五十階層突破していろいろ騒ぎになったばかりだからなあ」
アイシスに言われて、そのことに思い当たったアカムは嫌な顔をする。
とはいえ、他にやることがあるわけでもないのだから騒ぎを嫌ってギルドへ行くのを避けるという選択肢はない。
むしろ他に何もやることがないのだからこそイルミアのところに顔を出しておきたかった。
そんなわけでアカムはギルドへと向かい歩き出した。
相変わらず異形の両腕、背中には翼、おまけにその翼を装着しているために上半身に服を着ていないため余計に機械化した箇所が明確になり道中人の視線を多く集める。
アカムはその視線はともかく、見られている中半裸状態である現状に少し恥ずかしいと感じるのか自然と早歩きになる。
別に上半身は常に裸で街を出歩く冒険者は珍しくないのだが、アカムは今までは袖のない服に革鎧を装備していたため慣れていないのだ。
そして、今後も慣れる予定はなく、慣れる気もしないアカムはなんとか服を着れるようにしようとその道中決心した。
そうして歩いているとアカムは冒険者ギルドの前まで辿りつく。
視線こそ集めるが、異形の姿は人を寄らせないためその辺りは快適といっていい。
そのことを改めて実感したアカムはギルドの扉を開けて中へと入っていった。
中に入るとやはり昼だからだろう、冒険者の姿はなく窓口の職員も書類をまとめている様子は見られるが暇であるようだった。
それはイルミアも同様であり、椅子に座りながら何か布を縫っているようだった。
「よう」
「あら、早いわね。どしたの?」
それなり集中していた様で声を掛けるまでアカムに気付かなかったようでイルミアが軽く驚いた顔を見せた。
何をしていたのか気になったが、とりあえずは迷宮で得た魔石を出して換金することにする。
「少ないわね……ん? まあ、予想通りか……はい換金終了っと。六十階層突破おめでと。全く五十階層突破して二日でもう六十階層とか無理してないでしょうね?」
魔石を鑑定していくイルミアの手がふと止まるが、すぐに何でもなかったようにして換金作業を終わらせる。
手が止まったのは当然守護者の魔石があったことを確認してのことだったが、昨日時点でアカムが五十七階層まで辿りついていたことは知っていたのだから予想できたことでそこまで驚くことは無かった。
それから軽く労いつつも少し不安な様子を見せるイルミアに、アカムは苦笑して首を振る。
「むしろ逆だな。あまりにも楽すぎて今日はもうやる気が出なくてさっさと地上に出てきた」
「弱かったの?」
「いや……普通に今までのどれよりも強かったとは思うがな……」
そこまで話してどこか沈んだ様子を見せるアカムに、イルミアは大きくため息を吐いた。
そして突然ため息を吐かれた理由が分からないのか戸惑っているアカムを手招きして近寄らせるとそのアカムの顔面へと拳を叩き込んだ。
「ぐぇ!?」
完全に油断していたところで飛んできた拳をアカムは避けることもできずにまともに受けて後ろに大きく吹き飛ばされ床を転がった。
ギルド内にいた他の職員はイルミアのまさかの行動に目を見開いて驚いている。
そして振り切ったイルミアの拳が濃密な魔力で覆われてバチバチと弾ける様子が見られることから、身体強化をかなり高いレベルで使った本気のものであることに気付いてドン引きしていた。
「うおぉおおおお……」
「ほら、あんたがどんだけ強くなってても油断をつけば私でもあんたにダメージ与えられるのが分かったでしょう。ったく、調子に乗っちゃって……くっだらないことでウジウジしない!」
不意の一撃を受け、床に転がりながら顔面を抑えて唸るアカムを見下ろしてイルミアはバッサリ切り捨てるようにそう言って叱りつけた。
一方床に転がるアカムは突然受けた一撃に混乱しつつもイルミアの言葉をしっかりと聞いていた。
何度か頭の中でその言葉が繰り返され、アカムは自身が調子に乗って知らず知らず慢心していたことを悟る。
それを悟ったアカムは不甲斐なさに思わず苦笑して、それからゆっくりと立ちあがるとどこかスッキリした様子を見せる。
「あんがとよ。目ぇ覚めたわ」
「どういたしまして」
それから晴れ晴れとした笑みを浮かべて礼を言うアカムにイルミアもそっけなく返してまるで先ほどのやり取りが無かったかのようにいつもの様子に戻った二人に他の職員達は目を疑っていた。
一応、そのやり取りの意味は分かる。
イルミアの拳は要するに叱咤激励だったのだろう。
だからといって躊躇なく顔面を、しかもそれなりの腕の冒険者でも防御なしに受ければ酷いことになる威力の拳で殴るのはどうなんだと一同感じていた。
そしてそれを受けて痛みに悶える程度で済ませ、目立った怪我を負っていないアカムにさらに職員達は驚かされた。
職員達が見ていた限り、アカムは完全に無防備に受けていた。
そしてその認識は正しく実際アカムは本当に無防備にそれを受けていたのだ。
にもかかわらずアカムはそれなりの痛みを感じつつも目立った怪我はなく、ピンピンとしている。
そして直後にはどちらもスッキリした様子ですっかり仲睦まじい雰囲気を周囲にばら撒く二人に職員達は一同呆れはて、興味を失ったようにそれぞれの仕事へ戻っていった。
とりあえず『鉄拳』を怒らせない様にしようと心の中で強く誓いながら。
それからアカムはその後もギルドに留まりイルミアと会話を続けて時間を潰していた。
イルミアはそれに答えつつも、何かを縫い続けていた。
「はい、完成っと」
「ずっと気になってたんだが何してたんだ?」
「これ? アンタの服よ。背中のほうバッサリ切って、それだけだと崩れちゃうから」
そう言って手渡された服を受け取ったアカムは広げてみてみる。
基本的にアカムが以前来ていた袖なしの服そのものだが、肩の前面部に程ほどの穴が、背中は大きく切り開かれていて、首の部分と腰の部分に紐がつけられていた。
つまりその切り開かれた部分から翼が出るようになっているのだろうと納得してアカムは早速それを着ることにする。
とはいえそろそろ他の冒険者もやってきて邪魔になるかもしれないということで更衣室へと移動する。
この更衣室はギルド職員が制服に着替えたり、訓練場を使って汚れた服から冒険者が着替える時に利用できるように用意された部屋だ。
更衣室へ入ると早速アカムは翼を取り外して服を着る。
翼が無い状態なのだから問題なく服を着ることができたが、背中が開いているためにそのままだとずり落ちる。
なので、まず首の裏側にある紐を結び、次は腰の紐を結ぶことで固定する。
本来なら後ろでになるが、アカムの場合両腕を分離させて操作できるので簡単に結ぶことができた。
それから翼を改めて取り付けてみるが、服が変に挟まったり引っかかったりすることは無い。
それは身体を捻ったりしても同様で、軽く推進装置を起動しても服が邪魔にならないことを確認してアカムは満足そうに一つ頷いて更衣室から出てイルミアのところへ向かった。
ギルドの窓口にはまだ冒険者の姿はないことを確認してイルミアに話しかけた。
「ぴったりだ! ほんとありがとう」
「それはよかったわ……まあ、アイシスとも何度か打ち合わせしたから大丈夫だとは思ってたけどね」
礼を言えば、そんなことを小声で告げられたアカムはアイシスの方をチラリとみる。
その視線にアイシスは微笑んで一つ頷くことで肯定する。
「そっか、ほんとありがとな。正直上の服着れないの辛かったから助かるわ」
改めてアカムはそう言って笑みを浮かべた。
他にも聞いている人がいるかもしれないので主語は無かったが、それがイルミアとアイシスの二人に対してのものであることは二人とも理解していたので小さく笑みを浮かべることで応えた。
それから冒険者の姿がちらほら見られるようになったのでアカムはギルドから出ていくことにした。
その後姿に陰りは無く、いつものアカムの姿がそこにあるのだった。