64話 巨熊
アカムが転移した場所は草原だった。
ただし、その草は普通の家が丸々収まるほどにその草丈が高く、見通しがあまりにも悪い草原だ。
だが、全部が全部その草に覆われているわけでもなく、人が二人並んでぎりぎり通れるかといった広さで草が生えておらず地面が露出している道がある。
以前、似たようなのを森林迷路エリアでも見たので、同じようにこの露出している道を歩いていけばいいのだろうとアカムは納得する。
もっとも、今回周囲に生えているのは、草丈は長くともただの草。木とは違いただの草であればそれを刈るのも踏み倒すのもある程度楽であるため、あえて草原を突っ切ることも可能だろう。
とりあえず周囲の確認もそこそこにアカムは背中の翼を取り外すとソレを左腕の甲へと近づけていく。
すると、ガチリと音がして腕に固定され、背中に付けているときは肩を回っていた管のようなものも左腕に巻き付くようにして固定された。
さらに、三角形の翼のそれぞれ一番長い辺同士がくっつくように動くと、それもまた結合し、まるで手の甲に大剣を取り付けたかのようになった。
一方翼を外されたアカムの背中には五つの窪みがあり、その中心はぽっかりと穴が開いている。
さらにそれは背中だけではなく、肩の前面の一部にあった蓋がスライドするように開くと同じように窪みが現れた。
「早速使うのですね……それなりに近い位置に魔物がいますが」
「まあ、大丈夫だろ。来たらきたで試すのにちょうどいい。それにこの状態で飛べないわけでもないしな」
アイシスの言葉にそう言って、アカムは背中から魔力を噴出させると共に、脚の推進装置を使ってバランスを取って宙に浮かぶ。
その間背中の窪みの蓋が細かく開閉して、魔力の噴出される方向を制御していて、力のかかり具合が細かく変わるからかアカムはゆらゆらと揺れている。
それでもひっくり返ったり、大きく体勢を崩すことは無くしっかり飛行することができていた。
そのことからも分かるように、翼を背中から取り外した状態であってもアカムの背中にある窪みから魔力を噴出して飛行することは可能なのである。
ただ、翼が無い分安定性が欠けるため補助に足の推進装置が無いと少なくともその場に留まるのは厳しい。
「おっと、マスターが放出した魔力に気付いたのか先ほどの魔物が近づいて来てますね」
それからアカムはそのまま数分間、身体の向きを変えたりして翼を使わない飛行を試しある程度慣れたところで着地するかといったところで、地響きのような音が聞こえると、アイシスが敵の来襲を告げ、直後には右側の草陰から巨大な影が現れてアカムを襲った。
「っと、早速おでましか」
アカムはそれを宙に浮いたまま肩部と脚の推進力をあげ後ろへスライドすることで躱せば、目の前を巨大な何かが通り過ぎて風が吹き荒れ、その後すぐに地面を大きく砕く轟音がする。
その音にひやひやしつつもアカムは目の前の巨体の姿を見据えた。
それは宙を飛んでいるアカムが、軽く見上げないといけないほど大きい熊のような魔物、タイラントグリズリーであった。
「こりゃまたでけえな」
「キリングアイズよりはましでしょう」
「アレと比べたら大概の相手はチビだぞ」
その姿に思わず言葉を零すアカムだったが、アイシスが返してきた言葉に肩を落とす。
それから今は戦闘中なのだと気を引き締めてタイラントグリズリーの状態を窺う。
タイラントグリズリーは先ほどの攻撃をあっさり躱されたせいか少し体勢を崩している。
どうやら先ほどアカムが躱したのはその巨大な前脚によるものだったようで前脚が地面を砕き大きく窪ませ周囲にもひびが入っているありさまで、その一撃の威力の高さが垣間見える。
その威力を考えれば地上にいれば大きな揺れに襲われて体勢を崩していたかもしれない。
さらにはあのひび割れた足場がそのまま動きを阻害するだろう。
だが、アカムは宙にいて、このまま飛び続けることも可能なのだからそれを考える必要はない。
そしてタイラントグリズリーはその巨体から繰り出される攻撃の威力は高いもののその分動作は鈍いのか隙だらけ。
最初は防御に徹するようにしているアカムだが、さすがにそれだけ隙だらけの姿に攻撃を入れない選択肢はなく、アカムは一気に背中の魔力噴出量を引上げて左前足が伸び切って晒された脇腹へと突っ込む。
その速度は地上で機械因子を使って駆けた時よりもさらに速いもので、アカムはその勢いのまま左腕の大剣とかした翼をその脇腹に突き刺した。
そしてそれが突き刺さった直後には、空中で体勢を変えていたアカムが脇腹に蹴りを入れる形で衝突する。
「グオオオオオオオオオ!!!!!」
翼の大剣による刺突と、高速の蹴りによる衝撃がタイラントグリズリーに大きくダメージを与えたのか、叫び声をあげ暴れはじめる。
だが、その魔物は大きいといっても姿は熊そのものであり、腕が脇腹に届かないためとにかく振り払うようにその場で回るだけだ。
とはいえ巨体がその動きをして発生する力は相当なもので普通の人間がしがみ付いていたのであればあっけなく振り落されるばかりか、そのまま勢いよく吹っ飛ばされるだろう。
「無駄だあ!」
だが、今脇腹にいるのはおおよそ普通の人間ではない。
背の推進装置を使って体全体を押し付けるばかりか、スパイク代わりに足裏からパイルバンカーを射出して固定している。
腕に搭載されているパイルバンカーは足にもしっかり搭載されていたのだ。
さらに大鉈も振りおろしてその尖った先端で深々とタイラントグリズリーの肉を抉って引っ掛けてその身体が吹き飛ばされるのを阻止していた。
そして、アカムがその場で留まっているための負荷はそのままタイラントグリズリーに刺さっている翼の大剣や、杭、大鉈を通してタイラントグリズリー自身に跳ね返っている。
傷口をさらに刺激されてますます激しく動き、それがさらに傷口を刺激するという悪循環に至っている。
本来ならこの程度の傷も即座に治せるほどの回復力を持ち合わせているのだが、流石に常に異物が突き刺さっている状態でその異物を跳ね除けてまで治るようなことはない。
やがてどれだけ動いても振り払われないアカムに業を煮やしたのかタイラントグリズリーは振り落そうとするのではなく押しつぶすべく、横に倒れる。
アカムといえどもこの巨体に押しつぶされれば多少のダメージは必至であるがその巨体故に地面ともそれなり離れていてある程度押しつぶされるまで余裕がある。
その間にアカムは大鉈を無理やり抜くと、翼の大剣を刺したまま高速で回転させて周囲の肉を抉りながら引き抜いた。
それから足に力を入れると共に杭も収納し、一気にタイラントグリズリーから離れる。
角度的に地面にぶつかりそうになるアカムだったが、背の推進装置によりその少し上を滑るように高速で進む。
それから踵の推進装置を起動してバク宙するようにして体勢を立て直せば、少し離れた場所で脇腹を地面につけて倒れているタイラントグリズリーの姿が目に入る。
立とうとはしているらしいが、力が入らないのか細かく震えてある程度身体を持ち上げて、また地面に倒れてを繰り返している。
よく見れば地面は大量の血を赤く染めていて相当量の血を流しているようだ。
「最後、抉ったのが案外効いたかね?」
「マスターは酷い人ですね」
その様子にアカムが何が原因か適当に呟けばアイシスがそんなことを言ってくる。
とはいえ、別に咎めているわけでもなく一つの冗談のようなもので、アカムもそれを分かっているため肩を竦めるだけだ。
そのまましばらく見ていると、ようやくタイラントグリズリーは立ち上がるがその様相はまさしく満身創痍といった様子で脇腹は傷こそ塞がったようだが赤黒く染まって流れた血の量がどれほどのものか明確に伝えてくる。
それから、アカムは再び、突撃を敢行する。
タイラントグリズリーが黙ってそれを見ているわけもなく前脚を横に振るって打ち落とそうとするが、その前脚の振るわれる速度ははっきり言って遅い。
アカムはそれを急速に地面へと降下することによって躱して一度地面に着地すると、そのまま地面を強く蹴ってタイラントグリズリーの胸の辺りへと飛び込み、翼の大剣をそこへ突き刺した。
今度はただ突き刺すだけでなく、属性変換で雷も追加したその一撃はタイラントグリズリーの巨体を内側から焼きあげて、タイラントグリズリーの残っていた生命力を全て奪った。
機械因子が増えたことで属性変換機能の制御力が向上したが、同時に変換した属性魔力の威力自体も大きく向上し、タイラントグリズリーの巨体すら焼いてしまうほど強力になっていたのだ。
「楽勝……だな」
「まあ、五十階層でもかなり余裕がありましたし今更ですね」
そうして魔石に変わったタイラントグリズリーに、戦った感想を零すアカムに、アイシスもそれに同意する。
飛行能力を得ての初戦はこうして大成功に終わった。