63話 それぞれの
機械因子により得られた飛行能力も十分扱えそうだとアカムは確信し、試験飛行は無事成功に終わった。
確信を得たアカムはイルミアの方を向くと手を差し出す。
「無理な飛び方はしないでよ?」
「さすがにしねえよ」
その意味を理解したイルミアがそんなことを言って笑いながらアカムの手を取る。
アカムは苦笑しつつも言葉を返してイルミアを引き寄せると、イルミアの肩と膝裏にそれぞれ腕を回して抱え上げる。
そして、魔力の噴出量をあげ、歩くような速さでゆっくりと上昇して地面から10m程のところで上昇を止めると今度は小走り程度の速さで前へと進む。
「ま、今はさすがに高く飛ぶわけにも速く飛ぶわけにもいかないからこれぐらいだな」
「これで十分よ」
少し申し訳なさそうにするアカムに苦笑しつつイルミアはそう答える。
たかだか10m程度。
それぐらいであれば高い建物に昇れば似たような景色が見られるかもしれない。
だが、周囲に足場のない平原での10mは地面を遠く感じさせるのに十分であり、それだけ飛んでいる実感が湧くというもの。
その状態で小走り程度の速度で進めば程よく風を感じることもでき、間違いなく空を飛んでいるのだとイルミアはしっかりと体感していて、空を飛んでいることに自然と笑みを浮かべてしばらく空の旅を楽しんでいた。
「ねえ、アカム」
「ん、どした?」
「ありがとね」
「っ……どういたしまして」
そうしてずっと景色を眺めていたイルミアがふとアカムの方を向くと、突然満面の笑みを浮かべて礼を言った。
突然礼を言われたのと、今までにないくらい魅力的に見える笑みを不意打ちで見せられてアカムも一瞬ドキッとするがすぐにアカムも笑みを浮かべてそれに答えた。
そしてそのまま二人の顔が徐々に近づいていく。
「もしもーし? 私のこと忘れてないですかー?」
「オリビア様、気持ちは分かりますがこういうのは黙って見守っておくものですよ」
が、もう少しで唇が触れるかといったところで、地上で歩いていたオリビアとイルミアの声がして両者とも我に返ってその動きを止める。
「っ! そういえば……!?」
そしてイルミアが少し慌てたように顔を逸らそうとした瞬間に、アカムがさっと顔を近づけてその唇を奪った。
流れ的にキスはお預けと判断した矢先のことだったのでイルミアもそれに驚いたが、逃げようとはせずそのまま動かずにそれを受け入れ、ほのかに頬を染める。
とはいえ、それはキスといっても唇が軽く触れる程度のものだ。
そしてその状態のままゆっくり地上へ降りてくる。
「悪いな、視線には慣れててな」
「もう、このバカは……」
そして十秒程して二人の唇はアカムが地上に着地したのと同時に離れ、イルミアも腕から降ろされて地上に立った。
それからアカムはどこか得意気な笑みを浮かべてオリビアたちに振り返る。
イルミアも文句を言って呆れたように困ったような笑みを浮かべるが、その頬は見事に赤く染まっていて照れているのがバレバレだった。
そんな二人の様子を見せられたオリビアはじとっとした目で二人を見て、敵わないなとため息を吐き、呆れたような、はたまた疲れたような曖昧な笑みを浮かべる。
その笑みがどの感情から来ているのか、ある程度事情を知っているイルミアにも正確には分からない。
だが、少なくとも悲しみは感じられず、イルミアはなんとなく小さい子を見守る母の姿を幻視して苦笑してしまった。
「大丈夫だよ。ただ、呆れただけだから」
そんなイルミアの様子が、心配から来るものだと察したオリビアが明るい笑みを浮かべてそんなことを言う。
「オリビアはほんと見かけによらずしっかりしてるわね」
「まあ、有翼種の特性上皆大体こんなもんだよ」
有翼種ならだれも持っているアーラの目という相手のあらゆる情報を見抜いてしまう目がもたらすのは益ばかりではない。
一方的に情報を見られることを忌み嫌われたりすることもあり、アーラの目はその感情も読み取ってしまう。
そうして人の悪意に晒されることも多い有翼種だからか種族的に成熟するのが早く、オリビアもその例に漏れない。
「……? 何の話をしてるんだ?」
「「内緒!」」
二人の会話の意味が分からず首を傾げるアカムだったが、結局何なのか聞くことができない。
気にはなるものの、内緒にしておきたいことを無理に聞こうとはしない程度にはアカムも配慮できるため、軽く肩を竦めるだけでそれ以上は何か追及することはない。
「さて、アカムっちの空飛ぶ姿も見れたし、そろそろお仕事に戻るかな」
「荷物は……持ってきてたのか。んじゃこれ頼む」
「アカムっちも用意万端じゃん……はい、お手紙確かにお預かりしましたっと。ちゃんと払ってよね」
軽くストレッチしながらそう言うオリビアにアカムが声を掛け、懐から取り出した手紙を渡す。
呆れながらもそれを受け取ったオリビアは白紙の紙と、配達料金の書かれた紙を渡す。
白紙の紙にはアカムが自分の名前を書いた後オリビアへと返却し、あとは料金の書かれた紙をギルドへ持っていき手続きすれば支払完了となる。
支払う時に本人がいる必要はなく、ギルドの中で処理されてアカムの預金が減りオリビアの預金が増えるという仕組みで、いわゆる銀行の役目も冒険者ギルドが行っているのだ。
「それじゃバイバイ。アカムっち、イルミアさん。改めて子供ができておめでとう!」
「おう、ありがとな。そっちも頑張れよ」
「気を付けてね」
しっかりサインも受け取ったオリビアが、翼を羽ばたかせて飛び上がりながら改めて祝福の言葉を告げる。
それを受けてアカムもイルミアも笑顔で返し、オリビアを見送った。
やがて、一際強く羽ばたくと、オリビアはあっという間に高度を上げかなりの速度を出して空の向こうへと消えていった。
「俺の方が速いな」
「馬鹿言ってないで街に戻るわよ」
そんなオリビアを見て呟いたアカムに辛辣な言葉を投げつけてイルミアは異界迷宮都市へと足を向ける。
アカムもそれを追って歩き出し、街に入るまでは二人は仲良く並んで歩いていた。
「私は先にギルド行ってるわ」
街に入ってからすぐにイルミアがそう言ってさっさと歩き去ってしまった。
昨日五十階層をソロで突破したという情報が町中に広まっていたのと、街の外で飛んでいる姿を見られていたこと、そして何よりアカムの背中の目立つ異形の翼が町中の人々の視線を集めるため、妊娠中のイルミアは無駄なストレスを感じないようにするためである。
もっとも、ここで別れて行動しようといったのはアカムの方から提案したことであるが。
どの道アカムは自宅に大鉈を忘れてきたというポカをやらかしてこのまま迷宮に向かえないためちょうどいいと言えばちょうどいい。
イルミアを見送って少ししてからアカムも歩き出し、まずは自宅へ向かい、大鉈を持ち出した。
それから今度は迷宮へと向かうがやはり道中は人々の視線が集まる。
じろじろ見られるだけで人に囲まれることがないのはアカムの姿がどう見ても近寄りがたいものだからだろう。
背中に翼を付けている関係でアカムは上の服を着ておらず、それによって肩から機械化している腕の様子がハッキリと分かるようになっていて、おまけに背中にはまた異形の翼が追加されているのだから無理もない。
ちなみに大鉈は無理やり肩に担いでいるため少し揺れて危なっかしいが、そもそもアカムに近づく人がいないため大した問題はない。
仮に人が寄ってきてもも腕を飛ばして上空に退避させればいい。
それをすればさらに人目を集めることになるだろうがそれも仕方のないことである。
結局、アカムは自信の転移部屋に入るまで視線を感じていた。
その感じる視線の中に畏れはあっても忌み嫌うようなものは少なくともアカムには感じられず、とりあえずそのことに少しだけ安心していた。
「はあ……さすがにこの背中は目立つよなあ」
「諦めましょう」
肩を落として呟いたアカムの言葉はアイシスにバッサリと切り捨てられる。
アカムは再び大きくため息を吐くと気合いを入れ直し、迷宮探索へと思考を切り替える。
「よっし、じゃあ行くか」
「迷宮であれば視線も気になりませんからね」
「それを言うな」
そうしてわざわざ口に出すアカムにアイシスが掘り返すようなことを言ってアカムは苦い顔をしてそれを咎めるが、アイシスは肩を竦めるような動作を取るだけだ。
そんなアイシスの態度も今に始まったことではなく、むしろいつも通りのその態度にアカムも幾分気が楽になり、改めて気合いを入れたアカムは石版に触れると転移の呪文を唱え、迷宮の中へと転移するのだった。