62話 飛行試験
アカムが機械因子の最後の部位、翼を導入し、とりあえず実際に飛べることを確認した翌日の早朝。
アカムたちは異界迷宮都市の外、辺りにこれといって何もない平原まで来ていた。
それはもちろん本格的な飛行試験のためである。
昨日は軽く室内で飛んだ後は本格的な試験は今日やることにしてあの後すぐに全員寝ることにしたのだ。
イルミアも朝早くからギルドへと赴き、少し仕事に出るのを遅らせてくれないかと頼み込み、その許可を得てここにいる。
オリビアはオリビアで、自分とは違う飛行方法がどれほどのものなのか気になったのか、普段は絶対にしない早起きをしたにも関わらず目を輝かせている。
「よし、じゃあ行くぞ」
「気を付けてよ?」
「早く、アカムっち早く!」
そうしていよいよ飛ぶのだとアカムが宣言すればイルミアとオリビアがそれぞれ反応するがどちらもワクワクといった様子である。
それはアカムも同様で、同じくワクワクといった様子を見せながら魔力の噴出量を昨日飛び始めた時と同じぐらいまで上げる。
すると徐々にその身体が浮き始め、地面から1mほど離れる。
その辺りでほんの少し噴出量を落とせばまるで見えない床があるかのようにその場に固定された。
「安定感はかなりあるな……」
「自動で姿勢制御する機能がありますからね。あえてその機能を切ることも可能ですが」
「ほんとすごい! 私だってその場に留まるにはこうしないとできなくてすっごく大変なのに!」
苦労することなく空中に固定され、アカム自身そのことに驚くが、アイシスが誇らしげにして説明する。
オリビアはアカムと目線を合わせるように自らも飛ぶが、その身体は羽ばたき続けているため細かく上下している。
「ううーきっつい、もう無理」
「ええ? もう?」
しばらくそうして頑張っていたオリビアだったがやがて疲れたのかそう言って、羽ばたくのをやめて地面に着地する。
その様子に思わずそんなことをアカムが口走る。
「空をある程度の速さで飛び続けるならそこまで苦労は無いんだけどね。その場に留まりつづけるのってすっごい疲れるんだよ」
「そうなのか。まあ、確かにずっと羽ばたいてるもんな。そうなると少なくともその点では俺の方が有利ってことか」
オリビアの説明になるほどと頷いてアカムは納得する。
また、傍ではイルミアもそうなんだと初めて知った事実に少し驚いた様子を見せていた。
「さて、そんじゃ次はどれぐらいの速さを出せるか試すか」
「くれぐれもご注意を、マスター。では、これより高速飛行モードへと移行。エアマスク装着」
次はどれだけ速く飛べるのか確かめようとするアカムにアイシスが声を掛ける。
そして続けてアイシスがそんなことを言うとアカムの首元まで伸びていた管のようなものが持ち上がる。管の先はマスクのようになっていたのだがそれが口元まで移動してアカムの鼻と口を完全に覆って固定された。
「背負えるようにするためのものじゃなかったのね」
「なんでそんなのが必要なんだろ?」
その変化にイルミアは感心したように、オリビアはなぜそれが必要なのかと首を傾げる。
『何でも空は空気が薄いらしいから必要らしいぞ。普通の人間は空気が薄くなると呼吸し辛いんだそうだ』
「へー、私は空飛んでもそんな風に感じないんだけどなあ」
マスクのせいかどこかくぐもった声でそう告げたアカムになるほどと頷きつつもオリビアは自身ではそんなこと感じたことないのでいまいち理解しきれなかった。
有翼種である彼女は種族的にそう言った環境に適応しているため高高度でも必要な空気を得ることに苦労しないために仕方のないことではある。
アカムも実感したわけでもなく翼を導入された時に埋め込まれた知識から分かっているだけなので詳しくも言えず、オリビアの様子にも仕方ないかと苦笑している。
もっとも口元がおおわれているので少し目を細めたようにしか見えなかったが。
「空気循環装置に異常なし。音声伝達装置にも異常なし。続いて風圧防護壁展開」
口元がマスクで覆われてから動きが無かったのは動作チェックなどをしていたかららしく、会話が終わったところでアイシスがそれを告げて次の段階へ移る。
そしてアカムの全身を取り囲むように風が吹き、中にいるアカムは特に何も感じないが、周囲の草やイルミアたちの服などを軽く揺らしている。
『これは?』
「高速移動の際の空気抵抗を減らすためです。まあ、散々四肢の推進装置で動いて問題なかったマスターであれば必要ないかもしれませんが」
アカムの疑問にアイシスがすぐさま答える。
仕組みとしては属性変換能力と魔力障壁を発生させる機能を合わせたもので、機械因子が計五つ分となり、属性変換した魔力の制御能力が向上したことでできるようになったものなのだが、アイシスの言う通りこれまでアカムは推進装置による回避、移動を散々繰り返していて、その時にかかる空気抵抗や停止時の負荷を受けて全く問題がないためその効果はほとんどないだろう。
「高速飛行の準備完了。さて、腕や足と違って翼の制御には戸惑うかもしれませんが、とにかく速く飛ぶイメージを持って飛べと強く念じれば飛べるのでどうぞ」
『おう……んじゃ行くぞっ!?』
準備完了という言葉に早速アカムが声を出しながら飛べと強く念じた瞬間、アカムの身体はあっという間に上空高くまで飛び上がった。
それを目の前で見ていたイルミアたちは一瞬で見失い、さらにちょっとした強風が巻き起こり、周囲の草花や服を大きく揺らめかした。
「さすがマスター、アホですね」
「アイシス? どういうことよ」
「うわー一瞬であんな高いところに……」
アカムが飛び去ったその場所にアイシスは留まっていて呆れた声を出す。
イルミアがその声に首を傾げ、オリビアは上を見渡してアカムの姿を捉えてその飛行速度に感心していた。
「マスターは今までもそうでしたけど取りあえず最初は考えなしに全力を出すんですよ」
「ああ、アカムらしいわね」
「はい。実にマスターらしいです。その結果予想以上の速度で飛び上がって一瞬自身も状況を認識できなかったようですが」
事もなげにそう告げるアイシスだが、その言葉に不穏なものが混じっていることにイルミアが気づいて顔を向けるが、それを告げたアイシスの様子は平常そのもので何も問題がないように感じさせる。
「万が一の時は私が横から制御を奪うので大丈夫ですよ。……まあ、慣れたようですのでその必要もなさそうですが。相変わらずの適応力には呆れてしまいますね」
「あれ、空中で操作効かなくなってってわけじゃないのね」
「うわっ!すごいすごーい!」
すこし不安な目を向けるイルミアに安心させるようにアイシスが告げるが、アカムの様子にその心配も無用であることを零す。
イルミアがアイシスの視線を追って空を見上げれば、先ほどよりも低い高度にいてハッキリ視認できるようになっていた。
アカムは空中で身体を左右に回転させたり、一瞬で進行方向を急激に変えてジグザグに飛んだりと奇想天外な動きをしているのが分かる。
イルミアはそれを見て呆れるばかりで、オリビアは自身も飛べることからその飛び方がどれだけ非常識な動きかイルミア以上に分かっていてそれを可能にしているアカムを見てはしゃいでいた。
『っ!? ここはっ!?』
時間は少し遡り、アカムが空へ飛びあがった直後の事。
アカムは一瞬の間に景色が切り替わったことに慌てていた。
すぐにその場に留まって周囲を確認すればもう少しで雲に届きそうな場所まで来ていて、下を見れば、雲よりも地面のほうが遥かに遠くにあるのが分かる。
『足の時と一緒か……って、アイシスはなんで地上に?』
『ご心配なく。ちゃんと把握しておりますので』
そしてその地面にイルミアやオリビアの他にアイシスまでいることに首を傾げるアカムだったが頭の中に直接響くようにアイシスの声が聞こえた。
ちなみに遥か遠くの地上の様子が見えたのは、状況に適応するために視力などの感覚や認識能力が強化されたためである。
さすがに、アカムもそれには少し驚いたのだが、それも機械因子の補完の一貫なのだろうと納得し、自身の魔力のせいだとは少しも考えなかった。
そんなわけで遠くに見えるアイシスの声にそう言えば以前も心の中で会話できたからなと納得して、離れていてもアドバイスなどは受けれることに安心したアカムは改めて空からの景色を見渡す。
それはどこまでもどこまでも遠くを見渡せそうで、実際には遠くは霞みがかっているその景色は世界の広大さを感じさせ、アカムは知らず知らずのうちに気分が高揚していった。
『すげえ……これが空を飛んで見られる景色か……』
思わずそんな言葉が口から漏れるが、その自分の声を聞いたことで呆けていたことに気付き、気を取り直す。
『っと、いつでも見れるし今はこいつの飛行に慣れなきゃな』
『いざとなったら介入して無事着地させますので自由にどうぞ』
そうして呟いたアカムの言葉にアイシスが反応し、そんなことを言う。
その言葉に小さく笑みを浮かべるとアカムは再度、飛ぶことに意識を向ける。
先ほども驚いてその場に留まったが、それも無意識に一旦止まろうと思ったからに過ぎない。
そのことからこの翼による飛行はかなり自由なものらしいと気づいたアカムは、とにかく前へ飛ぼうと考えた。
すると、今度はアカムの身体が傾き、地面と水平になるとそのまま前方へと進みだす。
『なるほど……』
それから何度か軽く左右に方向を変えてみるが、やはり思い通りに動く。
本来なら全く未知の感覚を求められるはずだが、瞬く間に制御をマスターしていく。
アカム自身、感覚で覚えることに強いのもあるが、やはりその原因は翼に供給される魔力である。
アカムの障害を排するために自動で最適化する異質な魔力。
それは機械因子にもしっかりと影響を与えるものなのだ。
そのため、本来人間にない部位であるにもかかわらず、アカムは既に直感的に動かすことを可能にしていた。
それを実感した――もっとも慣れたとしか思っていない――アカムはいよいよ調子に乗って地面と雲のちょうど中間まで急降下し、錐もみ回転したり、手足の推進装置も使ってジグザグに飛んだり、はたまたその場で急停止て真後ろに飛んだりと様々な飛び方を試した。
通常であれば体が吹き飛んでもおかしくない負荷がアカムに掛かっていたのだが、負荷なんてまるでないかのようにケロッとしている。
それからしばらくそんな飛行を繰り返して数分、アカムは満足してイルミアたちのいる地上へと戻っていった。
その速度はそのまま地面に衝突するのではと思ってしまう速度で、しかもそれは頭を下に向けての降下だったが、地上5mのところでアカムは反転し、翼と足の推進装置を使って速度を急激に落とすと地面に難なく着地した。
それと同時に口元を覆っていたマスクも外れ首元まで下がっていく。
「さすがの適応力ですね、マスター」
「あんな飛び方だとちょっと一緒に飛びたいとは思わないわね」
「すごい! 完全に飛行能力負けててちょっと悔しいけどすごいよ!」
そうして飛行試験を終えたアカムは三者三様の言葉に迎えられ、苦笑するのだった。