44話 負けず嫌い
ダークエルフの男、ケルタスに出会い完全に和解した次の日。
あいも変わらずアカムは迷宮へと向かっていた。
日はようやく頭を見せ始め、少しずつ街中を照らしていく早朝だというのに辺りにはたくさんの人がせわしなく動いていた。
そして、そんな人々の多くがアカムに気付くたびに視線を向けてくる。
その視線に畏怖はなく、どちらかと言えば憧れや、羨望といったものを感じさせ、アカムは慣れない視線に眉を顰める。
その原因はやはりケルタスとの和解にあるのだろうとは分かっているのだが、アカムからすればあんなものは茶番に等しいもので、それが一日でなぜこうなるのかと頭を捻るばかりだ。
それはケルタスが思っている以上に街の人々に慕われていたからこそなのだが、アカムはもちろんそんなことを知る由もない。
結局、その視線自体はちょっと煩わしいだけで、これといった害も無いのだからアカムも気にしないようにするしかなく、努めて無視しながら歩いていると見知った人物の後ろ姿を見かける。
「よう、ウルグ」
「なんだ、アカムか……ん?」
少し早足で傍まで寄って声を掛ければウルグも気づき振り向く。
その時自分に視線が集まるのを感じたのか眉を顰めて周囲を見て首を傾げる。
「ああ、視線が気になるか? 多分俺に話しかけられたからだろうな」
「今度は何しでかした?」
ウルグの動作の意味を悟ったアカムが軽く説明を入れれば、ウルグは目を細めながら少々失礼な物言いをする。
とはいえちょっとした冗談であることはアカムも分かっているため、軽く脇腹を突くだけだった。
「グフッ」
だが、アカムにとっては軽くであったのだが殊の外威力はあったのかウルグは小さく唸り声をあげた。
どうやら本気で痛かったようで少々恨めしい目で睨むウルグを見てアカムは軽く頭を下げて謝罪することにした。
「悪い。軽く当てる程度にしたつもりだったんだが」
「お前の腕が常識外れなのを忘れるんじゃねえ」
尚も脇腹を擦りながらもそれだけ言えば、切り替えたのかいつものウルグへと戻り、ふとした疑問をアカムに問いかける。
「なあ、お前今、階層はどこまで来てんだ?」
「ん、昨日四十五階層が終わって今日は四十六階層だ」
「はあ!? 早すぎだろ! ちゃんと相手の実力とか見極めてんのか!?」
アカムの答えにウルグは素っ頓狂な声をあげる。
ウルグはアカムがずっと三十階層以降に挑む力がなく二十四階層でちまちまと鍛えてたことを知っているために余計に驚いたのだ。
「まあ、この腕様様ってやつだ。もちろんこの腕の力で無理やり突破しているわけじゃねえ。この腕の力を使いこなしてここまで来れたんだ」
「……その様子だと本当に問題はないのだろうな」
軽く腕をあげるようにしながら、問題がないと言ったアカムは確かな自信を感じさせ、ウルグもそれを感じて一応納得する。
「だが、それも過信とは言い切れん。アカム、今日の迷宮探索には俺を連れていってもらうぞ」
「はあ? なんで?」
「馬鹿な友人が無茶してないか心配でな」
納得した様子を見せたウルグが次の瞬間にそんなことを言ってきてアカムは思わず目を見開いて真意を問う。
その答えが、ただ心配だからというのだからアカムはさらに驚いた。
しばらくその言葉が本当なのかとウルグを睨むように見ていたアカムだったが、やがてため息を吐き降参するかのように両手をあげて首を振る。
「俺はそんなに頼りなく見えるかね?」
「いや、ただ俺が心配性なだけだろう。それに実のところこの短期間で階層も追いつかれちまったからな……気にもなるさ」
「は? ウルグも四十六階層なのか。そっか……ついに追いついたか」
ウルグに打ち明けられた情報に、アカムは少し感慨深いものを感じた。
過去には自分と同じように一人なのに、自分よりも深い階層へと挑むことを可能とするウルグに嫉妬したこともあったのだ。
それが、今ではウルグに並ぶところまできた。
そのことにアカムは少しばかりの達成感を得ていた。
そしてそれ以上にまだまだ上を目指せるのだと実感していた。
「……なんかやたら嬉しそうだな」
「ん? ああ、いや、まあ、そうだな……嬉しいか嬉しくないかって言えば嬉しいな。それだけ強くなれてるって実感できたから」
「そうかい。こっちは突然追い抜かれそうになって鬱になるぜ」
そう言ってため息を吐いて見せるウルグに苦笑しつつもアカムは先ほどよりもずっとやる気を漲らせ迷宮へと向かう。
ウルグも口だけで実際は落ち込んでもいないため後に続いた。
転移部屋までくるとアカムはいつものように大鉈を鞘から外すと、鞘は隅に置き、大鉈だけ手に持って準備完了とばかりに軽く体をのばす。
当然、アカムが大鉈を握ろうとするたびにまるで弾くようにバチバチと電撃が走っていたが、アカムは全く気にせずに大鉈を掴んでいる。
それを見ていたウルグがふとした疑問を抱く。
「そういえば武器、大鉈になったってのは、聞いてはいたが、なんか弾かれてるように見えるぞ? それにまともな柄はないのか?」
「ああ、これ呪い付きなんだよ。《柄無し》っていう柄どころか革の手袋とかもだめで本来なら素手じゃないと持てない代物で、その代わり《不壊》の効果があるから愛用してる」
アカムがウルグの問いに答えれば、ある程度納得したように頷くがふと引っかかるものを感じて首を傾げる。
「いや、お前思いっきり弾かれてるじゃねえか」
「この程度で機械因子の力を拒めるわけがありません」
「へあ!?」
ウルグの突っ込みに対し、アイシスがやや不満気にそう言うと、突然現れてたアイシスにウルグは驚きの声をあげる。
「さっきまでは見えてなかったようだが、突然見えるようになった?」
「どうやら私がこの相手には姿を見せてもいいと思えば見えるようですね」
「えっとなんだそいつは? いや、どっかで聞いたことある声なんだけど……ってなんかイルミアさんっぽくないか?」
怪訝な目でアイシスを見ながらブツブツと呟くウルグは結局その正体が分からず首を傾げる。
そんなウルグのことなど横目にも入れず、アカムたちは、アイシスの姿を見ることの条件について軽く話し込んでいた。
「おっと、この姿では初めまして。会話自体は以前にもしましたが……っと、そういえばあの時はまだ存在も違いましたね。では、改めて初めまして。精霊のアイシスです」
「は? 精霊? ってかアイシス? 確かそれって」
それからアイシスがウルグの様子に気づき、自己紹介をして軽く頭を下げる。
突然精霊と言われても混乱するばかりだが、名前を聞けばウルグも依然にアカムの腕から声が聞こえたことを思い出してまさかと驚愕の表情を浮かべる。
「おう。前は声だけで姿はなかったが、いろいろあって精霊になったらしい」
「いろいろって……はあ、ちょっと見ないうちに色々変わりすぎだろうが」
アカムの説明になってない説明に訳が分からず問い詰めたいと思ったウルグだったが、少し考えてどうせ理解しがたいことなら聞かないでおこうと判断して軽く愚痴をこぼす程度に抑えた。
「あーもうなんだか心配するだけ損な気がしてきたが……とりあえずいくぞ」
「あいよ。我ら、四十六階層に望むもの有り」
色々と諦めた様子を見せながらウルグが石版にふれ、先を急かす。
アカムもそれに応じて二人は四十六階層へと転移した。
転移してから魔物と戦うこと数戦。
アカムは特にこれといった苦労もなく魔物を撃破し、ウルグはその様子に心配するだけ無駄だったことを悟っていた。
「どうよ?」
「あーこりゃアレだなあ。追い抜かれるどころか置いてかれるなあ」
そう言って首を振るウルグの姿は今、狼に近い姿をしている。
それも、以前アカムが機械因子を慣らすときに共に潜った時よりもさらに大きく、そしてより狼に近い姿だ。
「ウルグもその深・獣化状態ならまだまだいけるだろ?」
「まあな……だが、まだまだこの状態を維持するのはきついからな」
「随分安定しているように見えるがなあ」
ウルグの弱気にも聞こえる言葉にアカムが思わず聞いてみるが、どうやらまだ問題があるらしかった。
深・獣化。
それは獣人種の中でも一部しか扱うことができないもので、ただの獣化よりも獣に近い姿に変身する能力だ。
獣化以上に身体能力は向上し、パワーもスピードもどちらも深・獣化のほうが圧倒的に強化される。
それだけに制御は難しく、獣化なら一日中できるウルグでも連続して使っていられるのは三時間と少し。
それだけあれば戦闘には十分とも言えるのだが、それは調子のいい時の話で、悪い時は一時間を下回る。
また、深・獣化が一旦解けると十分間は獣化すらできなくなるためどうしても不安が残ってしまうので、ウルグはより長く、そしてすぐに獣化できるようにと鍛練を積んでいるのである。
「で、どうなんだ? 心配性のウルグから見て俺は危ういか?」
アカムには深・獣化はかなり安定しているように見えたが、その辺りは本人で納得できないと意味ないのだろうと深く聞くこともなく、自身の戦いを見てどう思ったのか尋ねる。
ウルグは苦笑しながら――と言っても今の姿は巨狼そのもので表情は分からないが――首を振って、正直なところを打ち明ける。
「いや、腹が立つほど問題ないと思うぞ。だから俺はここらで一旦別れることにする」
「そか……石版は……」
「右前方にありますね」
一旦別れるという言葉に頷き、石版を探すアカムにアイシスが索敵で見つけた石版の場所を伝える。
それを聞いてウルグも頷いてそちらへ向かう。
それからウルグは石版を見つけると一度振り返りアカムを強く睨み、転移していった。
一緒に入るときは一緒に手を触れて、呪文を言う必要があったが迷宮に入った後に個別に戻るときはその必要はなく、その時は自動的に自らの転移部屋へと転移することになっている。
その為アカムはウルグが石版へと歩いたのを見送るだけでついていかなかったのだ。
「あの野郎多分、これからは一気に深・獣化を使いこなすだろうな」
「なぜです?」
「簡単な話だ、あいつは負けず嫌いだからな」
アカムは最後にこちらを見たウルグの目を思い出しながら答える。
ウルグの目には強い闘志が見えていた。
友人である故に、その友人には負けたくないと、その思いだけでウルグはこれからさらに強くなるのだろう。
「俺も負けてられないな」
「マスターも大概負けず嫌いのようですね」
「うるせえ」
そんな予感を感じたアカムもまた、負けていられないと意気込み似た者同士なことをアイシスに指摘されていた。