41話 感情
ハイドサーペントは魔石化され戦闘自体はあっという間に終わり、食われた左腕も無事元通りだ。
その代わりアカムは数秒間魔力が枯渇するという苦しみを味わうことになった。
それでも魔力障壁が解除され、魔力が満たされると吐き気なども数秒で引いていった辺り、アカムの身体は魔力枯渇自体には慣れずとも異常なリカバリーによって適応力を高めたようだ。
「前にもあったな……こんなことが」
アカムが思い出すのは初めて大鉈を使って迷宮に潜ったときのことだ。
あの時も先ほどと同じ攻撃をし、結果魔力障壁が展開されアカムは魔力枯渇状態に陥った。
ただし、あの時は少なからずアカムの意向に沿った上でのものだったが、今回のは完全にアイシスの独断によるものという違いはあった。
その辺りの事をどう思うのかと目に力を込めて軽くアイシスを睨む。
「申し訳ないとは思っています。ですが、機械因子に例え異常がなくとも食べられた、という状況にとても我慢できない嫌悪感を覚えました」
「だから仕方ないと?」
アイシスの言い訳にも聞こえるその言葉にアカムが眉を顰めて問い返すとアイシスは首を振る。
「そうは言いません……私自身、感情を自制できないことに戸惑いを感じています。そして今の私ではそれを抑えられる気がしない。ここで謝ってもおそらく……私はまた同じことをしてしまいます。だから……」
どこか悲しそうに、どこか苦しそうにしながらもアイシスが訴える。
精霊となり突然、明確な感情が芽生えたからかアイシス自身戸惑っているようだった。
言ってみればアイシスは今日生まれたばかりであり、その在り方は子供と同じだ。
あらゆる未知に触れて興奮し、どうしようもなく溢れる感情を抑える術を知らない子供と同じ。
それが今のアイシスなのだろう。
アカムは悩み苦しむアイシスを見て、そう判断した。
だから一つ大きなため息を吐いて、先ほどまで抱いていた不満や不信といった悪感情を霧散させる。
「まあ、生理的に無理なもんは仕方ないか……俺もさっさと腹の中から腕を出せばよかったことだ」
「マスター?」
当然怒られるか、それとも何か恨み言を言われるのだろうと覚悟していたアイシスは予想と大きく違う言葉にきょとんとする。
「大事には至らなかったし、どのみち俺たちは一心同体なんだろ? なら、下らんことはさっさと水に流すに限る」
「マスター……申し訳ありませんでした。何とか自制できないか善処します」
「まあ、気楽にな」
アカムの言葉に頭を下げ、真剣な表情で何とか努力すると告げるアイシス。
その様子を見てもう大丈夫だろうと安心したアカムも軽く笑みを浮かべる。
それから話は先ほどのハイドサーペントについてと移る。
「結局、周囲の景色に擬態するだけの大蛇ってだけか?」
「あれだけの巨大であの速度でも全く音を立てないというはかなり脅威ではあると思いますが」
「やはり、姿を隠す相手にアイシスの索敵は反則級だよなあ」
戦った限りで分かったハイドサーペントの特徴を挙げていく二人だが、どちらもあまり手強い相手ではなかったという感想に落ち着いている。
結局、ハイドサーペントがしてきたのは音もなくそれなりの速度で突進して噛みついてきただけ。
おそらくは牙に毒があったとは思われるが、それも噛まれなければ関係のない事柄だ。
「うーん。いくら奇襲タイプとはいえ攻撃が単純すぎるな……」
「あの長い体と柔軟性なら尾を振り回しての攻撃とか巻き付いての締め付けはあって当然かと」
「だな。じゃあ次出会ったらその辺りに注意しながら速攻で倒すか」
あまりに単純な攻撃だけだったために他にもあるだろうと考え、考えられる攻撃手段も推測して頭に入れておく。
この辺り図鑑に書いてあってもよさそうなものだが、アカムは名前と姿の特徴程度にしか頭に入れておらず、その時まだ完全に精霊になっていなかったアイシスは、自身の変化に戸惑っていた時期でもあったために図鑑を見ていない。
その為、この後再びハイドサーペントと相対したときに発覚する思わぬ特性に少し苦労することになった。
アカムは目の前でボロボロになった二体のハイドサーペントの死体が消え魔石となっていくのを見ている。
そして完全に死体が消えたとき、その場に残った魔石は一つだけだった。
「機械因子の力でも打撃は全く効かないし、斬ったらそこから頭生えて増えるとか」
「大きさはさすがにそのままでしたけど……驚きましたね」
思っても見なかったハイドサーペントの能力にアカムが思わず愚痴をこぼし、アイシスも相槌をうつ。
最初、ハイドサーペントの突進に合わせて全力で殴り飛ばしたにもかかわらず、全く堪えた様子も見せず再度突進してきた姿に驚かされた。
機械因子の一撃はあのサイクロプスの攻撃を十分に相殺するどころか相手の骨を砕くほどの威力があることを確認していた分驚きは大きなものだった。
それでも、動揺することなく、今度は相手の大きさをちゃんと見極めて回避しつつ大鉈で前後に両断したのだが、頭のついている側の傷口は即座に塞がり尻尾のように細い形になり、もう半身のほうからは頭が生えてきてかと思えば、そちらも自由に動き始めたのである。
これにはさすがに動揺しつつもアカムは、二匹になったハイドサーペントの攻撃を躱すのだが、一方の攻撃を回避したところをもう一方が襲い掛かるという時間差攻撃にアカムはなかなか苦しめられた。
それでもアカムはそのすべてを回避し、最終的には突進してくるそれぞれのハイドサーペントに回避際にワイヤーを射出して、絡ませることでそれぞれの身動きを取れなくし、その状態で腕を分離して宙に釣り上げて振り回すことでその状況から逃れた。
細いワイヤーが絡まった状態で引っ張られ、振り回されたことで、両断とはいかないまでもハイドサーペントは体中に無数の裂傷を負い、即座に傷口が塞がるほどの回復能力も次第に衰えていき、ほとんど瀕死となったところで、アカムがワイヤーを絡めたまま腕を元に戻し、最後は電撃を浴びせることで無事に倒すことができたのだった。
終わってみれば無傷であり、完勝とも言えるのだろうが、まさか一体が二体に増えるとは思っても見なかったことで、必死に攻撃を回避したアカムは少し息を荒げていた。
「うーん。次からは斬らずに電撃浴びせて続けるのが確実か?」
「それが確実かと。または大鉈を高速回転させるアレも一応手ではあります」
「まあ、片手で抑えてから離れた場所でやれば魔力障壁もいらんだろうしそれも有りか」
戦闘を振り返り、次からはどう対処していくかを考えておく。
この戦闘でハイドサーペントの能力は今度こそ見切ったといってもよく、次以降はよりスムーズに撃破することができそうだった。
「ふと思ったんだが、あえて腕食わせて内側から……」
「絶対に嫌です!!」
話もまとまったところでアカムがふと思いついたことを言おうとして、最後まで言う前にアイシスが殺意すら感じさせる怒りの表情で断固拒否した。
「すまんすまん、冗談だ。本当に嫌なんだな」
「ええ……私にもなぜか分かりませんが想像しただけでこう……えーと」
アカムも本気で言っていたわけではなかったため苦笑しながらも謝れば、アイシスも自身がどう感じるのかを説明しようとして、言葉が続かないようだった。
「苛々する、か?」
「そう、それです」
そこでアカムがその感情について代弁してやるとアイシスもそれだと肯定し、言いたいことも言えて満足したのか、表情も落ち着いたようである。
はっきりとした感情を持ったアイシスとの会話は心地よく、程よく肩の力を抜けたところでアカムは再び足を進め始めた。
以降は道中、サイクロプスとハイドサーペントしか出て来ず、すでに対処法を確立していたために苦労もなく、アカムは地上のほうでは日が落ちるかといった時間に次階層への石版を見つけ、いつでも四十三階層に転移できるようにしてから地上へと戻った。
アカムとしては新しいブーツの使い心地を確かめつつのいつも通りの迷宮探索だと思っていたのに、蓋を開けてみれば、アイシスは精霊になり、三つ目の機械因子は見つかり、感情に振り回されたアイシスが軽く暴走したり、敵の能力に驚かされたりと忙しい一日になった。
本当に、騒がしい一日であったが、アカムは今日という日を楽しい一日だったと感じていた。
そしてその中で今日が楽しいと感じられた一番の要因はやはり、精霊になったアイシスだろうとアカムは大鉈を鞘にしまいながら考え、小さく笑みを浮かべる。
「どうしました?」
「いいや、別に。これからもよろしくな」
「……? こちらこそよろしくお願いします」
首を傾げるアイシスに、誤魔化しつつもアカムがそう言えば、アイシスはきょとんとするが、すぐに微笑みを浮かべて言葉を返す。
多少暴走もあったが、これからも二人はうまくやっていけそうであった。