3話 帰還
アイシスの無情な決定により、アカムは身を内側から焼かれるような苦しみを味わうことになった。
アイシスが行っているのは肉体の耐久性の向上であり、そのために骨を分解し、別の素材で再構成しているのだが、その過程であちらこちらが炎症を起こしているばかりかついでとばかりに肉体の細かい損傷を直すために分解した骨を細胞に吸収させ活性化させているため急速にこまかい損傷が塞がりそれが強い熱を発する原因となっている。
それをされたアカムは全身複雑骨折した後のように体中が発熱するという苦しみを受け、それまでに腕を失ったり義手が接続されたりといった痛みなどもあってかショックで気絶していた。
『補完、完了――起きてください』
「あが!?」
肉体の耐久性の向上を、身体全体の治療を終えたアイシスは気絶しているアカムを起こすため微弱の電流を流した。
それによりアカムは強制的に覚醒させられると同時に変な声をあげる。
『おはようございます、マスター。約五分間の睡眠です。よく眠れましたか?』
「……いや、寝たんじゃねえ。拷問にかけられて気絶したと思うんだが」
『そうですか。――機械因子の全導入行程を終了しました。これより補助用擬似人格プログラム、アイシスは機械因子適合者の補助に移り、機械因子の動作権限の全てを適合者、アカム・デボルテへ移譲します』
「こいつは……で、今度こそ終わりだな? もうあんな拷問は終わりなんだな?」
『もともと拷問したなどという事実はありませんが、導入は全て完了していますので機械因子はマスターが自由に使うことができます』
アイシスからの目覚めの挨拶に忌々しそうに文句を言うアカムだったが、アイシスはそんなこと知ったことではないと無視して、全ての過程を終了したことを一方的に告げるばかりだった。
思うところがないわけではないが言って何かが変わるわけでもなく、結果的には文句のつけようのない腕を手に入れたのだからとアカムは口からでそうになる不満を呑み込み今度こそ終わりなのかしつこく確認をとれば、答えは是であった。
その答えにホッとしたように後ろ向きに倒れ上を見上げる。
「しゃあっ! もうあんな苦痛は受けなくていいんだな!? しゃあ! オラァッ! うおー!! 俺はァ!! 生きてるぞ!!!」
『おめでとうございます。喜んでいるところ申し訳ないのですが周囲に敵性反応を確認。恐らくはマスターのバカみたいな大声に反応してやってきた魔物と思われます』
「なっ!?」
受けた苦痛がそれほどにきつかったのかはたまた目覚めの電気ショックがまずかったのか、とにかく拷問は終わったことを聞いて一気にテンションが高くなったアカムは吠えた。
生きていることを誰にともなく高らかに宣言し、天に、神に感謝していた。
だが、そんなアカムに冷や水を浴びせるようにアイシスは最初の時以上に平坦な声で非情な情報を告げる。
その言葉にアカムはハッとなり、急いでかつての右腕から剣を回収して立ち上がり周囲を睨む。
「……何も見えんが」
『まだある程度離れています。とはいえ後30秒もすれば接敵するでしょう』
「方向は?」
『全方位。囲まれています』
それを聞いたアカムは思わず右腕をみる。
そこにはかつての自分の腕ではなくおよそ生き物らしいものではない金属の義手がくっついている。
(やばいな……俺はまだこれを使いこなせるとは思えない……それでなくても全方位囲まれたなんてかなり厳しいぞ)
腕を失ったかと思えばすぐに代わりが見つかって喜んで再び絶体絶命のピンチとなったアカムは焦っていた。
『ところで宝箱とは迷宮に固定されているものなのでしょうか?』
「ああ!? 固定されてねえよ! つか今そんなこと言ってる場合じゃねえだろうが!」
『ああ、やはりそうなのですね。宝箱の下になにか台座みたいなものがありますが固定されているわけでは無さそうだったので少し気になっていました』
「だから台座だとかそんなもん……」
状況にそぐわないアイシスの言葉にイライラして怒声を飛ばすアカムだったがふとアイシスの言葉の一つが気にかかった。
迷宮に配置される宝箱。これは別にその場に固定されておらずそして台座の上にわざわざ置かれているものではない。
どんなところでもランダムにそして乱雑に配置されるものだ。
だからこの場合も宝箱のために台座が用意されたわけではなくそこにあった何かの上に偶然宝箱が出現したということなのだろう。
アカムもそれに気づき宝箱を見る。
「っ! ってことは」
『そうそう、この台座のようなもの……マスターの知識では帰還石版って言うらしいですね』
「それを先に言えこの糞システムが!」
『アイシスです。マスターがつけてくれた素晴らしい名前をお忘れにならないでください』
どこかからかっているような様子のアイシスをアカムは罵倒するが、返ってきたのは反省の言葉などではなく、名前が違うという指摘の言葉だった。
やはり馬鹿にされている。そう感じながらもアカムは、これ以上は構っていられないと宝箱を蹴りとばす。
『敵、速度上昇……接敵まであと10秒……9……8……』
「あった! 我、ここにもう望むものなし!」
アイシスが、敵が近づいてきていることを知らせるがそれはほとんどアカムの耳に入っておらず、宝箱の下にあった石版に触れて急いで帰還のための呪文を唱える。
すると即座にアカムの姿がその場から消え、数秒後に襲い掛かったグリーンウルフの群れはそこにいたはずのアカムを見失い互いに頭や牙を打ち付けることになった。
グリーンウルフはしばらく辺りを探していたが結局獲物を見つけることはできず三匹ずつに分かれて草原の各方向へと散って消えていった。
地上にある迷宮からの出口の一つ。
そこは一つの部屋のようになっていて外とは壁と扉によって仕切られている。
部屋の中には家具などは一切なく、地面に石版が埋まっている以外にはなにもない、巨人種でも一人ぐらいなら余裕をもって立てるぐらいのスペースがあるだけの殺風景な空間だ。
その部屋の石版が淡く輝いたかと思うと地面に魔法陣が浮かび上がり、次の瞬間にはアカムの姿が現れる。
「無事に戻ってこれたか……」
『おつかれさまです。さすが我がマスター。冷静な判断によってピンチを切り抜けましたね』
「ぶっ飛ばすぞ」
無事、戻ってきて安心したように言葉を零すアカムをアイシスが労わるような言葉をかける。
いや、それは労わると言うよりは皮肉を言って楽しんでいるといったほうが正しいだろう。アカムもアイシスの言葉を正しく理解し文句を言うが、その顔はむしろ笑っていて気にもしていないようだった。
『マスター早く出なければ次に利用する人の邪魔になるのでは?』
「いや、ここは俺の転移部屋だから心配ない。ってか全部の記憶を読んだわけではないんだな」
『それは当然です。ご要望とあらば今からでも行いましょうか?』
「い、いや、いい。やめてくれ」
アカムが現れたこの空間、この空間こそが迷宮の出入り口となっている。
そして、この部屋はアカム専用であるがこれはアカムが特別というわけではなく、冒険者一人につき、一つこういった部屋が用意されているのだ。
冒険者はギルドで登録するがその時にとある石版に血を垂らすことで作り出されるのがギルドカードであり、そのカードでのみ転移部屋への扉を開けることができる。
但し開けられるのは自分のカードに登録された部屋があればその部屋だけ、未登録であれば未使用の部屋のみだ。
部屋は迷宮と街とを扉一つで隔てているものと一度転移して転移部屋が大量に用意された空間を経由する部屋の二種類あり、アカムの部屋は直通部屋と呼ばれる出口がそのまま街と繋がっている部屋である。
これはアカムが冒険者として五年目のある日、先輩のよく気にかけてくれていた冒険者が引退ついでに譲ってくれたからだ。
別に直通部屋も一度空間を経由する方も大した違いはないのだが気持ち直通部屋の方がスムーズに出入りすることができるため冒険者にとっては一種のステータスでもある。
こういった仕組みが用意されているからこそ迷宮は人に都合がいいとされていて、神による管理がされているのだと信じられている。
アカムはゆっくり立ち上がり体の各部に異常がないか確かめる。
言うまでもなく右腕が異常ではあるがそれは分かりきった事なので他の部分におかしな点がないか確かめる。
「ん? そういやこいつを繋いでから妙に体調良くなった気がするな……直前まで血を流しすぎてフラフラだったんだが」
『補完作業時に人工血液を投与してあります』
「ああ、そう人工血液ね。俺はもう驚かねえぞ。色々諦めたからな」
『チッ……そういえばマスターこのままの右腕だとまずいのでは?』
「舌打ちするなよ……確かに目立つだろうが、鎧だと言い張るには造形がちょっとアレだし、しょうがねえだろ」
AIがどういうものか知る者が聞いていたら目を見開き驚くだろう。
アイシスの言動にはプログラムとは思えない感情が見え隠れしているのだから。
『それについてですが解決策があります』
「あるのか? 拷問じゃないのなら頼む」
『マスターからの要請を確認。擬態機能を有効化……完了』
機械の腕は否が応でも目立つ。それについてアイシスには解決策があるとのことでアカムは苦痛を味わうのでなければと即答で許可を出した。
もはやアカムにはトラウマとして最初の苦痛が植え込まれていてアイシスが提案するたびに拷問にあうのではと疑うようになっていた。
とはいえ、そういう目に合わないのであればアイシスの提案は喜ばしいものであるため、その旨を伝えて頼むことにし、アイシスもそれを受けてその解決策である擬態機能の有効化を実行した。
「おお……まるで人の腕だ」
それにより黒い金属の腕でしかなかった義手を覆うように肌色の何かが覆って人の右腕に擬態する。
左手で触ってみるが強く握らない限りは人の肌の感触で、アカムは思わず感嘆の言葉を零した。
それから何度か腕を動かしたりして違和感などないか確かめた後に、扉を開け、アカムは街中へと飛び出した。