1話 始まりの罠
異界迷宮。
世界にある八つの迷宮の内の一つで、人々にそう呼ばれている巨大な迷宮が大陸の中央にある。
その異界迷宮ではどう見てもこの世界――フォーカスとは別の異世界の技術で作られた様々なアイテムを手に入れることができた。
なぜ異世界のアイテムが手に入るのか。
曰く、異界迷宮には異世界と通じるゲートが存在する。
曰く、神がこの世界を発展させるために異世界の技術を取り入れている。
曰く、異世界の文明がこの世界へと侵略しようとしている。
などと様々な説が飛び交っているが、実際のところその答えを知る者は一人としていない。それでも人々の多くは神の手によるものだと信じている。
なぜなら他の七つの迷宮も含めて世界に存在する迷宮はどこまでも人に都合のいいものになっているからだ。
異界迷宮は他の迷宮に比べてリスクが高いのだがそれでも人の都合に合わせた仕組みをしている。
得られるものは未知の技術が使われた品々であり、十分にリスクに見合ったリターンを齎しているのだから。
そんな摩訶不思議な迷宮の二十四階層を通常よりも刃が長く太い長剣をだらりと持ちながら一人の男が歩いていた。
迷宮はおそらくは地下に広がっているというのに男が歩いているそこは膝ほどまで伸びた草が一面に広がる大草原であり、上を見れば青い空が広がっている。
男の身長は二メートルに届くか届かないかといったところで、鍛え上げられた筋肉によりさらに大きく見える大男だ。
髪は暗い赤髪で中指ほどの長さの髪をオールバックにしている。目つきは悪く、灰色の目が油断なく周囲を警戒していて、ともすればそれだけで人を殺せるのではないかと思わせるほど眼光は鋭く、頬にある一筋の大きな切り傷の痕が男の威圧感をさらに高めている。
総じて男の顔は決して崩れているものではなく、むしろ野性味あふれる男前な顔と言えるのだが、目つきの悪さと頬の傷に加えてその巨体から放たれる威圧感のおかげで男前というよりは悪人面といったほうがしっくりくる。
そんな悪人面の大男の名をアカム・デボルテという。
人間種の二十五歳であり、十年間迷宮に潜り続けたベテランの冒険者だ。
装備は綿から作られた厚手の生地の服に革鎧だけの軽装で、回避重視であることが伺える。
アカムは己の力がどこまで通じるか、どこまで達することができるかを知るために一人で迷宮に潜り続けており、いちいち相手の攻撃を受けていたら体力などあっという間に持っていかれるとアカム自身が考えて選択した装備だ。
そんな軽装姿のアカムは今、迷宮に潜り自身の力を試すと共に鍛えている最中だ。
「ん? 今のは……」
ふと草陰が不自然に動いたのを目ざとく確認したアカムは小さく呟き、剣を握る手に軽く力を入れる。
その様子を見て悟られたことに気づいたのか、それなりに早い速度で草を左右に倒しながら三体分の陰が迫る。
それに焦ることなくアカムは腰を落として右脇に剣を草丈よりも下で構えてタイミングを計る。
「――今!」
迫る影の内の一体が真っ先に飛び掛かってきたと同時にアカムは左足を後ろに下げながら剣を切り上げた。
その刃は寸分の狂いなく飛び掛かってきたソレの首へと吸い込まれるように襲い掛かり、その首半分を斬り裂いた。
そのまま剣を切り上げた勢いと左脚を後方に下げた動きを利用してななめ後方に転がるようにその場を移動すれば、先ほどまでアカムがいた空間を遅れて飛び出していた二体の存在の牙と爪が通り過ぎた。
「グリーンウルフか。……残りは二体。奇襲も防いだ。なら……楽勝だ」
アカムは目の前で唸る緑色の狼にまったく汚れのない刃を向けながら冷静に状況を分析し、そう宣言する。
グリーンウルフは奇襲専門で正面から戦うならばそれほど難しい相手ではない。
さらに一体は喉を深く斬り裂いて戦闘不能で残りは二体、であればアカムにとって大した相手ではなかった。
そしてその後、その分析通りに残りの二体のグリーンウルフはアカムに傷一つ与えることなく倒された。
それと同時に最初に首を斬った個体も血を流しすぎて死んだのか三体のグリーンウルフの体がまとめて消えていく。
やがて残ったのは流れた血と赤黒い宝石のような子供の手のひらでもしっかり握れるくらいの小さい球体――魔石だった。
「まあ、今日はこれで十分だな。そろそろ戻るか」
魔石を腰に吊るしてある革袋へ入れながらそう呟く。
すでに革袋には魔石がたくさん入っていて今入れた三つの魔石で満杯となり、これ以上入れれば袋の口を締められなくなってしまう。アカムがここに至るまでに魔物と遭遇し、狩ってきた結果である。
そのため地上へ戻ると決めたアカムは銀色に鈍く輝く剣を抜いたままだらりと持ちながら、再び迷宮内を歩き出した。
あれからアカムは迷宮内を歩き続けている。それはもちろん魔物を探しているわけではなく地上へ戻るための石版を探しているところだった。
「くそ、今回はなかなか石版が見つからんな」
ふと、アカムが眉を顰めながらひとり呟く。
地上へ戻るための石版は迷宮内の随所に散らばっており、迷宮内のどこであってもある程度探せばすぐに見つけることができる程度には存在するのだが、今のアカムのように運悪く石版と石版の間を彷徨ってなかなか見つからないことがある。
それでも探し始めてから長くとも一時間もあればどれだけ運が悪くとも見つかることは冒険者の間で経験則として知られているため大した問題ではない。実際アカムが石版を探し始めてからまだ三十分ほどであり、これぐらいであればよくあることだ。
アカムもそれぐらいのことは当然理解しているのだが、探しているのになかなか見つからないという状況に一つや二つ、文句が出てしまうのは仕方のないことだろう。
そうして石版を探すアカムだったが、やがて草原の一部にまるでそこだけ草がないかのようになっている不自然な空間を見つけた。
「おっ、やっと石版が見つかったか……って宝箱じゃねえか」
そこにあったのは探し求めていた石版ではなく宝箱だった。
異界迷宮の中にランダムで配置される迷宮の宝箱。それが今アカムの目の前に現れたのである。
「うーむ。まあ折角だからなあ……開けるか」
思わぬ宝箱に少し考えるが、アカムはすぐに開けることにした。
迷宮の宝箱に罠が仕掛けられていたなどという話は聞いたことがなく、実際アカムも今までにいくつも宝箱を見つけて開けているがただの一つも罠が仕掛けられていたことは無かった。
異界迷宮で手に入るアイテムは異世界の物と思われるものが多くそれらは高く買い取ってもらえる。物によっては自分で使ってもいいだろう。アカムは金に困っているわけでも特に欲しいアイテムがあるわけではないが、せっかく手に入るというのならそれを見す見すそれを逃す手はなく、見つけた以上は宝箱を開けないという選択肢はなかった。
「さて、何が入っているか――ッ!?」
宝箱を開けるとその中から不可視の何かが発生しかなりの速さで自分に向かってくるのをアカムは感じ取った。
このままでは両断されると思い、咄嗟に左に避けたが少なからず油断していたために完全に避けることはできず、その結果――――
「グッ……! アァアアアアッ!! ――ッ!」
――――アカムは右腕を肩からバッサリと斬りおとされてしまった。
「ン―――――ッ!! ……ぐぅ……ハァ……ハァ……くそがっ……腕が……」
何かに斬られた衝撃で後ろ手に倒れたアカムは激しく痛む右肩に手を当てようとして直前で左手に降りかかった生暖かい血の感触にそれをやめる。
それは右腕がもうそこになく、触れることができるのは剥き出しの傷口であることを悟ったからだ。そこに手を当てるなど自ら苦痛を強めるだけである。
とはいえ、手を当てようが当てなかろうが右肩は激しく痛みを伝えてくるばかりか血を勢いよく吹き出していて地面を赤く汚している。
「くぅ……! ……フゥ……スゥ……フン!!」
アカムは痛みを必死に耐えながらも深呼吸してから右肩の辺りに力を込めた。さらに体全体にかけていた身体強化を右肩付近だけに集中させる。すると驚くことに、筋肉が膨らみ血管を圧迫して血が止まった。
「ハァ……ハァ……血は一応止められたが、やばいな……」
冒険者である以上、怪我は日常茶飯事であり痛みにもある程度慣れている。だが、流石に四肢を丸ごと失った痛みなどは感じたことも無く、アカムの額を汗が流れる。
それでも歯を食いしばりながら立ち上がろうとするが、右腕が突如なくなったせいでバランスが崩れたのか何度か立つのに失敗して背を地面に打つ。そのたびに筆舌し難い痛みがアカムを襲ったが、めげずに最後にはようやく立つことに成功する。
立ち上がったとはいえすでに血を失いすぎたからかふらふらだ。
「へ……へへっ……痛みがあるのはまだ生きてる証拠ってな……」
それでもアカムは強がりを言いながらも開けられた宝箱へと向かう。
右腕を代償にして手に入る物が一体何なのか、確かめずにはいられなかった。
「嘘……だろ……? こんなもののために俺は右腕を失ったのかよ……」
そして宝箱に入っていたものを左手で掴み上げたアカムはそれを見て呆然と呟く。
宝箱に入っていたもの。
それは子供の手のひら程度の大きさしかない、それこそ魔石と同じぐらいの大きさの真っ黒な金属の球であった。