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前編



 ギィ、という扉を開ける小さな音で目を覚ました。

 寝起きで一秒ほど呆けてしまったが、意識を失う直前の状況を思い出し慌てて身を起こす。

 魔物狩りを生業とし、各地を点々と旅して生きてきた私だが、とある依頼を遂行中、突如襲ってきた山賊共に不覚にも遅れを取ってしまったのだ。

 私を取り囲む薄汚い男たちは大体二十人ほどおり、個々人の実力で言えばけして負けるような相手ではなかったのだが、様々な悪条件が重なったこともあって、私は約半数ほどの命と引換えに幹部と思われる者の重い一撃を食らった。

 その場で殺されておかしくない状況でありながら、こうして再び目を覚ますことが出来たのは、仮にも女である私のこの肉体に用があるということなのだろう。


 唇を噛みながら見上げた視線の先に、がっしりとした巨体と薄青色の肌を持つ上級魔物のオーガが立っていた。

 一瞬にして沸き起こる混乱と、そして絶望。

 ここは盗賊のアジトではないのか。

 なぜオーガがここに。

 それとも盗賊たちはこのオーガに皆殺しにでもされてしまったのだろうか。

 そして、次は私が殺される番なのだろうか。

 オーガを個人で倒せる者など、それこそ人間の限界を超えた英雄と呼ばれる存在くらいだろう。

 普段の私であれば逃げる程度のことなら出来たかもしれないが、今は手負いの上、把握すら済ませていない見知らぬ部屋の中だ。


 それでも死んでたまるかとそのマイナスの感情を抑えオーガを睨みつけてやれば、奴はギャアアという悲鳴のような声を上げて背後の扉から走り去ってしまった。

 予想外の反応に、しばし呆然としてしまう。

 その内、どこかで踵を返したらしいオーガの叫びが再び耳に届いてきて、この数秒の内に行動を起こせなかった自身の愚鈍さに唇を噛んだ。

 今度こそ殺しに来たのだろうと、そのまま身を硬くする。

 扉の前まで戻ってきたオーガは、けれど部屋に入ることはせず、手に持っていた何かをサッと地面に置いたのち、また叫びながら逃げて行った。

 しばらく動かずに待っていたが、もう戻ってくる気配はないようで、そこで私はようやく全身の緊張を緩めて息を吐き出す。


 部屋の中を見回してみれば、石材で出来た壁と、ボロボロの絨毯の敷かれた床、簡素な木の机と私の上着がかけられた椅子、そして明らかに錆付いていて開かなさそうな窓があった。

 窓の外に目を凝らせば、どこか捨て置かれた小さな砦の、その中庭のような風景が広がっている。

 どうもベッドに寝かされていたようで、いかにも古臭いそれは私が身じろぎするたびにギシギシと壊れそうな音を立てていた。

 私自身、特に拘束などはされておらず、むしろ怪我で痛む箇所には包帯が巻かれており、誰かに丁寧に介抱されたのだろうというような、そんな受け入れがたい印象を受けた。

 大量の疑問符を頭上に浮かべながらベッドからゆっくりと足を下ろしてみれば、そこには私の手荷物が置かれている。

 その場ですぐに確認してみたが、無くなっている物などはないようだ。


 人の気配もオーガの気配も感じないので、一応の用心はしつつも荷物をそのままに扉に近付いていく。

 あのよく分からないオーガは何を置いていったのだろうか。

 内開きのドアを全開にしてから壁に張り付き、少しずつ外の様子を窺う。

 しんと静まり返る薄暗い廊下には、ところどころ蝋燭で明りが灯されていた。

 下を向けば、あのオーガが持って来たのであろう麦と野草の入ったスープらしき食べ物が鎮座している。

 一見して毒草などは入っていないようだが、これは一体。

 用意したのが魔物だという点を強引にでも無視すれば、私に提供された物なのだろうとは思う。

 状況だけを抜き出して冷静に組み合わせれば……私は、あのよく分からないオーガに助けられたということになる、のだろうか。

 それとも、オーガを使役するような存在がいて、そいつが?

 どちらにしろ突拍子もない現実味に欠ける話だが、他に理由も考え付かない。

 しかし、本当に目に付くもの全てを破壊し尽くさなければ気が済まない凶暴で凶悪な魔物とされるオーガが、獲物を前にして襲い掛かりもせず逃げ出してしまうなど有り得るのだろうか。

 まぁ、助けられたという一点が事実であるのなら、相手方の思惑はどうあれ今は甘受した方が得策だろう。

 ただ、何にせよ油断はいけない。

 それは死を招く行為だ。


 愛用の銀のカトラリーセットからスプーンを取り出してスープに浸し変化がないことを確認した後、一滴だけ口に含んで転がした。

 やはりただのスープ、か。

 味に関しては悪くもないが、良くもない。

 あえて好意的に表現するのなら、素朴な味といったところだろう。

 とは言え、文句があるわけではない。食べられるだけ贅沢だ。

 身体は全ての資本だと、私はありがたくスープを胃に流し入れた。


 空になった器を元あった場所に置いて、愛用の剣を手に取りベッドへ腰掛ける。

 いざという時に使い物にならないのでは困るので、手入れをしようと思ったのだ。

 剣の刃には山賊の血が乾きこびりついており、とてもじゃないがそのままにしてはおけなかった。

 怪我を負っているのだから大人しく休んで回復に努めれば良いのかもしれないが、何かしら動いていなければ落ち着かなかったという理由もある。

 黙々と作業を続けていれば、ふと外から小鳥の鳴き声が聞こえてきて、いつもなら気にもしないそれを追って私は外に視線をやった。

 窓から見える暫定砦の石壁には蔦が絡まり苔が生え、ところどころ崩れ落ちているところなんかもあって、とても人が住んでいるようには見えない。

 が、中庭に関しては最低限雑草は抜かれているようで、あちこちに咲いた小さな花が風に煽られて穏やかに揺れていた。

 殺伐とした日々を送り続け常に血の臭いを纏わせる私には不似合いな場所だと、漠然とした疎外感に襲われる。

 その気持ちを振り払うためにも、私は作業に集中した。


 しばらく経って、もうそろそろ手入れも終わるかといったところで、例のオーガらしき気配をとらえる。

 この部屋にゆっくりと近付いてきているようだったので、剣を傍らに置いて出入り口に視線を移した。

 扉は敢えて閉じず、全開にしている。

 やがて、そこから見えるか見えないかのギリギリの位置までやって来たオーガは、ブルブルと震える太い腕を一生懸命に空の器に伸ばしていた。

 あぁ、回収に来たのかと思いつつ眺めていると、ほんの少しだけ頭を扉の範囲に入れたオーガがチラと様子を窺うように視線を寄越してくる。

 しかし、オーガは私と目が合うと途端にウガォッと奇妙な声を出しながら垂直に飛び上がり、着地に失敗して無様にすっ転んでいた。

 なぜかは分からないが、どうも私はこのオーガに恐れられているようだ。

 立場が逆だろうとは思うが、本当に逆だったらあっさり殺されていたはずなので、これはこれで良いのだと思うことにしておく。

 そして、起き上がろうとバタついているオーガ。

 だが、その途中で手足が絡まってまた転んでしまうオーガ。

 パニックに陥っているのが丸分かりで、あろうことか目には薄っすらと涙が浮かんでいる。


 なんと言うか、哀れだ。


 もし使役している者がいるのなら、なぜコイツにこの役割を与えたのかと問い詰めてやりたい程度には可哀相だと思った。

 やがて這うほうの体で去っていったオーガだったが、しかし目的のはずの器の存在は忘れられていた。

 一時間程経った頃、ようやくその事実に気が付いたのか、それとも僅かながらでも気力が回復したのか、再びオーガが姿を現す。

 自分なりに方法を考えてみたようで、オーガはグオォーと雄たけびを上げながら廊下を右から左へ全力疾走しつつ素早く器を回収していった。

 私は何度か瞼を瞬かせながら、他に器がないんだろうなぁとぼんやり考えていた。




 数日経過した。

 命にかかわるような酷い怪我は無かったので、動けるようになるのは早かった。

 なまった身体をほぐそうと軽い運動がてら砦内を散策させてもらったのだが、結果、この場所には例のオーガ一体しか住んでいないという驚愕の事実が判明してしまう。

 だとすれば、私を助けたのは会うたびオホーッだのギャヒーッだの奇妙な悲鳴を上げて垂直に飛び上がるコイツ自身だということになる。

 が、それはとても信じられるような話ではなかった。

 だからというのも何だが、こっそりオーガの後をつけまわしてみた。

 魔物のくせにその本能をどこかに置き忘れて来たらしいオーガは、終日私の存在に気がつくことはなかった。


 朝起きてまず最初に畑と思わしき場所で水やりをした後は、砦の外へ木の実や薬草を摘みに出かける。

 さすがに上級魔物のオーガに挑もうなんて輩はいないらしく、気配丸出しで歩いているにもかかわらず魔物にも人間にも遭遇せずに終わった。

 帰ったら中庭の棹に干していた自身の腰布と包帯を回収し、食事を作る。

 それから、煎じた薬草と清潔な包帯、完成した食事を乗せた盆を小刻みに震わせながら私の部屋へ向かって、終われば台所らしき場所で自分も食事。

 そこに設置されている水汲みポンプが正常に使えることに驚いた。

 オーガが自分で修理でもしたのだろうか。

 また震えながら器を回収して洗った後、水浴びついでに自身の腰布と私の包帯の洗濯。

 いや、洗濯のついでに水浴びかもしれない。どうでもいいことだが。

 臆病な精神とは裏腹に、その逞しい身体と同じくオーガは立派なブツを持っているようだった。

 魔物狩りなんぞやっている女が今更カマトトぶるつもりもないので、特に目を逸らすことなくガン見する。

 どうも毎日の習慣になっているようだが、それがただの暇潰しの一環なのか、もしくは余程の綺麗好きなのかは測りかねた。


 そこから昼までは、砦内を古臭い箒と端切れ布を使って掃除。

 これは、さすがにオーガ自身が使っている範囲だけのようだ。

 道具が古いのは、砦に残されていたものをそのまま使っているからだろう。

 手際はそんなに良くないが、丁寧に時間をかけてやっているので普通に生活するだけならこれで充分というレベルには達している。

 昼食を作り以下省略で、今度は小動物と戯れながら雑草抜き。

 大体五日スパンで特定の範囲を順番に手入れして回っているようだ。

 どこからか集ってくる小鳥やリスなどは可愛いが、その中心でグフグフ笑い声を上げるオーガは言っては悪いがかなり不気味だった。


 そして、日が暮れる前に私の部屋の周囲の廊下に火を入れて、夕食作り。

 完全に日が暮れればすぐに自分の部屋のベッドに潜り込んで就寝。

 どうやら貴族用の部屋を使っているらしく、私の部屋のベッドよりも大きくしっかりした作りになっているのだが、それでも生まれ持った巨体のせいで足がはみ出してしまっていた。

 こんな良い部屋があるのなら私だって平兵士用の粗末な部屋じゃなく、と少しばかり不満に思わなくもなかったが、まぁ、オーガの心中を察するなら恐怖の対象をあまり近い場所に置いておけるものではなかったのだろう。

 助けてもらっただけ御の字なのだから、文句は言うまい。

 ついでに、オーガの修道女的禁欲生活に軽く引いたという事実は、墓まで持っていく秘密にしてやろう。

 まぁ、よしんば本人にそれを告げたところでまず言葉が通じないだろうし、修道女が何かすら理解はできないだろうから、意味があるのかと問われれば、自己満足と答えるしかないのだが。


 気性はどこまでも穏やかで、小動物を愛でるのが好きで、それなら気紛れを起こして私を介抱してもおかしくはないだろうという結論に至ったのだが、しかし、そうなると今度は逆にどうやってこの臆病なオーガが山賊から私を助け出したのかという謎に直面してしまう。

 あまり気配を読むことに長けていないコイツのことだから、私が攫われるている途中でたまたま山賊たちの前に姿を現してしまって、それで上級魔物という存在を恐れた山賊が逃走の邪魔になる荷物である私を囮目的で置いて行った、とか、そんな感じの流れだろうか。

 そもそも、ビビリのくせによくもまぁ私を連れ帰る気になどなったものだ。

 可能性が高いのは、やはり暇つぶしだろうか。

 不思議なことに、砦にはそれなりにレベルの高い幻惑魔法がかけられているようで、余程の実力者でもない限りその存在を感知できないようになっている。

 だからこそ、こんな臆病なオーガが暢気に住んでいられるのかもしれないが、しかし、如何に臆病だとて好奇心や冒険心が皆無というわけではないだろう。

 変わらない日常の中に、ちょっとした刺激が欲しかったのかもしれない。

 もしくは、いい加減一人が寂しかった、とか。

 万が一が起こったとして、仮にもオーガが人間の、それも女に後れをとるということは有り得ない。

 だから、心のどこかで自分は安全だと信じていて、それゆえに脅えながらも私を助けるなんて真似が出来たんじゃないだろうか。


 まぁ、理由はどうでも、助けられたという事実に変わりは無い。

 何か、何でもいいから、アイツに礼をしてやるべきなのかもしれない。

 そう思った。




 翌日の朝、早速とばかりに狩りに出かけることにした。

 まだ全快したとは言いがたいが、ただの動物が相手ならば私に限って支障などあろうはずもない。

 三十分と経たずに狩りを終え、すぐに砦へ帰宅する。

 水やり中のオーガにわざと足音を立てながら近付き、これを使ってくれと仕留めた猪を差し出せば、オーガはキャーと女のような甲高い悲鳴を上げて、白目をむき、ぶっ倒れてしまった。


 おい。

 …………おい。


 なぜ頑なに肉料理が出ないのかと思えば、まさかこんなことが答えなのか。

 その辺の村娘だってウサギを捌くくらいなら当たり前に出来るというのに、上級魔物のお前がたかだか猪の亡骸を見ただけで気絶してしまうとは一体どういう了見だ。

 もういっそオーガなんか止めてしまえ。


 とはいえ、このまま放置するのも悪い気がして、巨体を引きずって室内へ移動させてやる。

 私のせいといえば私のせいなので、途中だった水やりも終わらせてやった。

 まぁ、さすがに薬草摘みだとか洗濯物の取り込みだとかまでは知ったこっちゃ無いが。

 起きてまたすぐ倒れられても困るので、適当に離れた場所で手早く猪肉を解体した。

 食べられない毛皮などの部分については、今特に必要としていないので砦の外に捨てに行く。

 さすがにブロック状態ならいくらアイツでも大丈夫……か?

 なんとなく不安になったので、さっさと火を通してやろうと台所へ向かう。

 このオーガがどうかは知らないが、少なくとも私には肉が必要だ。

 体力をつけなければ、とてもではないが魔物狩りなどやっていけるものではない。

 ウサギや馬のように草だけを食べて生きていけるのならば世話は無いのだ。


 一先ず今食べる分だけを焼いて、残りは燻製にする。

 ひと通り作業が終わって適当に席について久方ぶりの肉を貪っていると、その内に目覚めたらしいオーガが恐る恐る近づいてきた。

 といっても、その歩みは出入り口で止まり、窺うようにこちらに視線をやってくる。

 私を視界に捉えると、オーガはまるで信じられないものを見たとでもいうような顔をして呆然と口を開けた。

 お前も食べるかという意味を込めて「ん?」と言いつつ肉を差し出す様に持ち上げてみたが、すごい勢いで首を横に振り、ついでに後ずさりまでされてしまう。

 大きな黄色の目玉には薄らと水の膜が張り潤んでいた。

 これではどちらが化け物なのか分かったものではない。

 コイツの目にはきっと、私がとんでもなく野蛮な生物にでも見えているのだろう。

 本当に、よく保護しようなどと思ったものだ。



 オーガは随分と情けない表情をしていたが、だからと言ってここから追い出されることも、対応が極端に変わることもなかった。




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