そのメイド、純粋につき
♂
父が新たにメイドを30名雇った。いずれも若い女性だ。
悪くない。いや、むしろ良い趣味だと言っておこう。黒のドレスに、フリルのついた白のエプロンは実に良く映える。
陽光射し込む赤絨毯の廊下に並んだ美女たち。両手を腹部に当てて静かに佇む彼女らの前を歩きながら、私はそれぞれの配属を頭で考えながら言い渡してゆく。
そうだな。清掃係は既存のメイドも合わせて全員でやってもらうとして。
髪の短いものには調理場の補助を、優しげな瞳のものには父の世話を、どうにも垢抜けぬものにはバラ園とブドウ農園にいる庭師らの手伝いを、といったところだろうか。
「承知いたしました」
「お任せください。若旦那様」
「かしこまりました」
「わかりました。若様」
むろん、理由は言っていない。淑女の扱いも、貴族の嗜みのひとつだからだ。
とりわけ容姿の美しいものには配膳係などを頼もうか。美人の配膳とくれば、食欲も進もうというものだ。身の回りの世話というのも悪くない。
「はい、喜んで」
「末永く可愛がってくださいませ」
「尽力致します」
「よろしくお願い致します。若様」
そしてフルフェイス・フルプレートアーマーの彼女には――……んあっ!?
「な、なななななっ!?」
「……」
異様な雰囲気、否、殺気か――。
全身鎧のやつがいる。
足の先から頭のてっぺんまで、よく手入れされた輝きを放つ銀色の鎧だ。いかにもか弱そうに見えるメイドらに並び、静かに佇みながら。
おうふ……。
おまけに、メイド気取りなのか、鎧にフリルのエプロンを巻いているという、わけのわからない格好だ。もう見るかに不審者と断ずる他ない。
腰には帯剣。これは模造の類ではない。昨今、魔物対策によく出回っている、刀匠の銘が彫り込まれている。
これは迂闊なことは言わない方が良さそうだ。
私はごくりと喉を鳴らし、恐る恐る尋ねてみることにした。
「あ、えっと……ク、クラインシュタイン家のメイド希望……かな……?」
「……」
声を出さないまま、鎧がゆっくりと、だが大きくフルフェイスをうなずかせた。カチャンと、鉄の打ち鳴らす音だけが、静かな廊下に響いた。
♂
クラインシュタイン家といえば、地元では名門の貴族だ。
広大なバラ園とぶどう農園を有する土地は、敷地面積だけで言えば都の王城どころではない。これまた大きな屋敷の屋根をもってしても、到底見渡せるものではない。
犬などを番犬として庭に放している中途半端な貴族とはわけが違う。我がクラインシュタイン家の敷地内を警備しているのは、天翔る竜たちだ。
ただし、小型の。
なぜ小型か。こたえは簡単だ。私の祖父で国の英雄だった竜騎士ウンワルス・クライシュタインが大型の古竜を番犬代わりに敷地に放ってみたところ、彼自身がおいしくいただかれてしまったからに他ならない。
むろん、かの古竜は、怒り狂った父ツイテナス・クラインシュタインの剣によって断罪された。その後、メイドらとおいしくいただいたことだけは、付け加えておこう。
だが、その父も床に伏せって久しい。医療魔術師らが言うには、古竜の呪いだそうだ。人生に於いて、たった一体殺すだけでこの有様とは、なんと恐ろしい生物だろうか。
ゆえに我が家の系譜は、祖父は竜騎士、父は竜殺しという矛盾を孕んでいる。
ちなみに私は、優雅にワインなどを楽しむニート――もとい、ブドウ農園経営者という肩書きになる。
いずれにせよ、有力貴族クラインシュタインといえど、やっていることは農民なのだ。
「で、では、キミには護衛を兼ねて、私付きになってもらおう。ついてきたまえ」
「……」
無骨なフルプレートアーマーのメイドがうなずき、乙女チックに両手を胸の前で合わせて、嬉しそうに飛び跳ねた。がしゃん、がしゃんと。
あまりお近づきになりたくないものだと思いながらも、こういった怪しげな輩に屋敷内を自由に闊歩されるのは困りものだ。
今のところ斬りかかってくる気配はないし、クラインシュタイン家の財産を狙った庶民や、権力を僻む王家からの刺客ということはないだろう。
だが、だからといって目を離すのはあまりに不用心が過ぎる。
歩くたびに長い廊下に響く、金属の音。
鎧の足音だけならまだしも、腰の剣までもがカチャカチャと揺れるものだから、さすがの私も不安になってきた。
咳払いをひとつして、立ち止まる。
「や、やはり前を歩きたまえ。道順は私が言おう」
「……」
振り返った彼女から漂う、異様なほどの威圧感。ギギっと金属音がして、フルフェイスがわずかに傾いた。
しまった。今の一言は不自然だったか。疑っていることがバレたかもしれない。
まずい、まずいぞ、これは。
沈黙に耐えられない。
「あ……えっと……」
「……」
全身から冷や汗が滲み出る。
震えそうになる足にぐっと力を入れて――だめだ、震えてきた。
私は祖父や父とは違って剣術の心得もない上に丸腰だ。こんなフル装備のやつに襲い掛かられては一溜まりもなく、まな板の上のスライム状態だ。
「う、ううん……や、やっぱり私が前を歩……く……?」
「……」
しかし鎧はしばらくの後、可愛らしく、ふるふるとフルフェイスを左右に振った。
そうして、素直に私の前を歩き出す。あっさりと、無防備な背中を向けて。いや、無防備どころかフル装備ではあるのだが。
♂
だが、私がそのような警戒を彼女に抱いていたのは、わずか2日間だけだった。
彼女は、素顔を見せないことと口を開かないことを除けば、実に優秀なメイドだったのだ。
毎朝定時には、無骨な手甲とは思えぬほどに優しく私の身体を揺らして起こし、召し物はセンスよく常に用意され、着替えの最中は恥ずかしげに背を向けて、じっと待っていてくれる。
私のその日の予定はすべてノートに書き記して持ち歩き、喉が渇く前に熱い紅茶を淹れてくれ、いつの間に済ませているのかわからないのに、隅々まで丁寧に掃除をする。
くだらない私の愚痴を何時間でも聞き、一昨日の夜もそうなのだが、眠らずに相槌を打ち続けてくれる優しさなどは、これまで雇ったメイドには見られなかったものだ。
昨日は、暴れて私に襲い掛かった番犬ならぬ番竜を、剣を使わず素手で見事に押さえ付け、私などにはどこにあるかすらわからない竜の関節をキメたままバックドロップ。最終的には竜を自分の舎弟にしてしまった。
竜使いの誕生だ。
彼女は恐ろしく万能。メイドとしてはもちろんのこと、護衛としても超一流だった。
だが、私は彼女に心を開くほどに、どんどんその素顔が気になってきた。
時折聞こえる声ならぬ息づかいから、若い女性であることはわかった。ブドウ畑の太陽と土と果実にも劣らぬ彼女の爽やかな香りには、胸の高鳴りを隠せぬほどだ。
それでいて、仕草はとても優雅でしなやか。そして草原のように緩やかで優しい。硬い鋼鉄に覆われている指先一本に至るまで、彼女のすべてが。
つまり、フリル付きエプロンを装着したフルプレートアーマーに覆われた謎の外見を除けば、彼女のすべてが美しいと、私は感じていた。
私はどうしても気になった。どのような女性が、どのような理由で、フルプレートアーマーなどを身につけているのか。
何度か外すように命じたのだが、彼女はその命令だけは断固として拒否した。私自身、彼女に落ち度があったわけではないから、強く出る気にはなれない。
だが、知りたい。知りたくて知りたくて知りたくてたまらない!
これは何だ!? このレモンに蜂蜜をかけたかのような甘酸っぱい感情は! とにかく私は、彼女のことがどうしても知りたいのだ!
♂
私は考えた。
彼女のエプロンドレスならぬ、フルプレートアーマードレスを脱がせる方法を。むろん、力尽くなどは論外だ。私は貴族、女性に暴力など以ての外だ。
まあ、勝てるわけもないが。
だが、やりようはある。私は彼女と過ごした数週間で、彼女の行動の大半を知っている。たとえば昼食後に、必ず温かい紅茶を淹れてくれることなどを。
ゆえに、私は昼食を終えてすぐにこう言った。
「たまには私の淹れた紅茶を、キミにも味わってもらいたいものだ。なに、そう悪くはないはずだ。キミがクラインシュタイン家に来る前までは、自分で淹れることも多々あったからね。さあ、キミは座っていてくれたまえ」
「……」
棒立ちになる鎧メイド。一見すれば不機嫌になったかのように見えなくもない。だが、数週間前までの私とは違い、今の私ならばわかるのだ。
彼女は戸惑っていた。それはそうだろう。そのような雑事を当主自ら行う貴族など、他にはいないのだから。
私の作戦はこうだ。紅茶を彼女にぶっかける。いくらフルプレートアーマーといえど、液体であれば関節部から内部に染み込むはずだ。
彼女は、さぞやあわててフルプレートアーマードレスを脱ぐだろう。
むろん、私は紳士だ。その際に彼女が火傷などをしないよう、温度をいつもよりぬるめにすることも忘れてはいない。
いつもより少なめに茶葉を入れ、紅茶ポットに湯を注ぐ。
私の手際をハラハラと見つめる彼女に、私は両手を広げて言ってのけた。
「茶葉の少なさが気になるのかい? 紅茶は沸騰した湯で出す方がうまい。だが、クラインシュタイン家の男は、私を除いてみんな猫舌でね。父や祖父に淹れる際には、茶葉を少なめにして沸騰させた湯を注ぎ、長い時間をかけて冷ましながら出していたのだよ。長時間であっても、茶葉を減らすことにより苦味は抑えられる」
一度言葉を切り、うつむき加減に呟く。
「父はもう紅茶を飲める状態ではないし、祖父ももういないが……少し、懐かしくなってね。誰かに淹れてあげるというのは、良いものだな」
「……」
鎧メイドが鋼鉄の手甲に包まれた両手を、フルフェイスの口元にあてた。そのまま肩を震わせて、静かにすすり泣く声を出した。
なんたる純粋さ! このような嘘にあっさり騙されるとは、まるで天使のようではあるまいか! そして私はなんという外道なのだろう! 素顔を見たいという下卑た己の欲を満たすためだけに、彼女を騙すとは悪魔の所業だ!
だが、貴族とはこういうものだ。こうでなくては、貴族などにはなれない。
私はポットからカップに紅茶を注ぎ、まるで今気づいたかのように顔を上げた。
「ああ、受け皿を忘れていた。すまないが、取ってきてくれるかい? 後ろの棚だ」
「……」
鎧メイドが立ち上がり、背中を向ける。
私はすかさずポットを置き、紅茶のなみなみ入ったカップを右手で握りしめた。
「ああっと!? これはいかぁん、手が滑ってしまったぁぁ!」
「……!?」
抜群の演技力でそう発したときには、私はすでに右手のカップを大きく振りかぶっていた。歯を食い縛り、足を振り上げ、腰から肘にまで力を伝え――。
「――ッんどりゃあ!」
気合い一発、剛速球。私は全力で紅茶入りのカップを彼女へと投げつけた。カップは中の液体を空中に撒き散らしながら、フルプレートアーマードレスの背中へと襲い掛かる。
いける! 数秒後には彼女は鎧を脱ぎ、生まれたままの恥ずかしい姿を赤裸々に――!
一閃。
鎧メイドが振り返ると同時に銀閃が走り、気づいたときにはカップは液体ごと斬られ、紅茶を撒き散らしながら見事に真っ二つとなって、絨毯の上に転がっていた。
少し遅れて、私の前髪が数本、ハラハラと舞い落ちる。
私の眼前には、冷たい輝きを放つ刃があった。さすがは銘刀、よく研がれている。
あわ、あわわわわ……。
目にも止まらぬ速度の抜刀術によって、私の作戦はあっさりと防がれてしまったのだ。その上、彼女がその気になれば、今すぐにでも私は殺されてしまうだろう。
心臓が自分のものではなくなってしまったかのように制御不能で、恐ろしいほどに鼓動を刻んでいた。
「……あ……ええっと……そ、その……」
「……」
「……………………ご、ごめんちゃい……」
「……」
鎧メイドは剣を引いて、ゆっくりと鞘の内側へと滑らせた。キン、と小気味よい音がして、剣が鞘に収まる。
しかし彼女は私の眼前に歩み寄り、その威圧でもって、私を睨む。私はいたたまれなくなって、とにかく彼女から距離を取ろうとした。
「す、すまないね。すぐに淹れなおすから、そこで待っ――」
彼女に手をつかまれた。心臓がまたしても跳ね上がる。
「……」
「……あ……う……、い、今のは、て、てて、手が滑っただけでありまして――!?」
彼女は私の手を、大切な宝物であるかのように両手でつかみ、自らの硬い胸元へと導いた。私は戸惑い、言葉を失う。
「お――」
それは耳元で囁かれる甘い吐息のような、微かな声だった。
「おけが……ございませんか……? 火傷などは……されていませんか……?」
探るように、恐る恐る。そんなふうに尋ねられて、私は戸惑った。
「あ、ああ。大丈夫だよ」
「そ……ですか……。よかっ……た……」
それだけを告げると、彼女は私の足元に膝を付き、真っ二つになっていたティーカップを鋼鉄の指で拾い上げて――にっこり微笑んでくれた――ような気がした。
むろん錯覚だ。彼女の表情は見えないのだから。
しかしなんだ、この気持ちは! 収穫したての苺に砂糖とミルクをぶっかけたときのような、この湧き上がってくる甘ったるい感情は!
♂
先史文明時代の古典文学に、「北風と太陽」なる読み物がある。身も蓋もなく言ってしまえば、旅人のコートを脱がす猥褻話だ。
北風は旅人の服を大風で吹き飛ばそうとした。しかし風を強く吹かせるほどに、旅人はそれに逆らってコートを押さえた。北風はついに旅人のコートを脱がせることができなかった。
一方、太陽は気温を上げた。旅人は暑くなって、たまらずにコートを脱いだという。
私はあきらめてはいなかった。
むしろ、彼女の苺ミルクのような声を聞いてからというもの、その気持ちはより一層強くなったと言っても過言ではない。
そして、現在の季節は夏なのである。むろん、国内有数の貴族であるクラインシュタイン家の屋敷にあっては、そのような気候にも対応済みだ。
冬になれば魔術師によって炎の精霊サラマンダーが召喚され、館の地下室より各通気口を通して常に熱風が送られる。夏は逆に、屋根裏部屋より水の精霊ウンディーネによる冷気が送られるのだ。東国などでは雪女と呼ばれているらしい。
彼らはクラインシュタイン家自慢の空調システムだ。
むろん、ただ働きなどではない。サラマンダーにはポンキーの木を燃やした上質の炎を食べさせ、ウンディーネにはゴウダジャイ湖の澄んだ水を飲ませている。
たかが炎や水と、人間の価値観で考えてはならない。彼らにとっての報酬とは、そういうものなのだ。
昨夜、私は早速「北風と太陽」の太陽に習い、ウンディーネに有給休暇を言い渡した。たまには故郷の母君に元気な顔を見せてやりたまえと伝えると、水色半透明の乙女は嬉しげに涙を流し、魔方陣の中へと帰って行った。
結果論的に騙したことになるのだが、私は罪悪感など微塵も感じていない。
なぜなら私が、貴族だからだ。貴族というのは、こういう生き物なのである。
お膳立てはすべて整った。
♂
翌朝、私は真夏の寝苦しさから、いつもより早めに目を覚ました。さすがに彼女はいないだろうと部屋を見回し、驚愕する。
目を覚まし身を起こした私へと、グラスに入った一杯の氷水が差し出されたのだ。鋼鉄の手甲に包まれた手によって。
「ぶっ!? ……う、うむ、ありがとう。け、今朝も早いな」
「……」
彼女は呆れるほどに、メイドの鑑だった。
だが、計画に支障はない。鋼鉄のフルプレートアーマードレスでは、さぞや熱も籠もろうというもの。どこまで耐えられるか見物だ。
しかも、私の綿密なる計画はこの程度ではないのだ。
「今日は農園に出かける。ついてきたまえ」
「……」
こくっと素直にうなずく鎧メイド。
私は早速身なりを整え、朝食後にハンケチーフを胸ポケットに差して廊下に出た。
廊下では、いつも綺麗にエプロンドレスを着こなしていたメイドたちが、今日は胸元をわずかにはだけさせ、健康的な肌を汗で輝かせながら掃除をしていた。
胸元がはだけているのはほぼ全員、さらにエプロンドレスを腰で折ってスカート丈を短くしているもの、膝上までを覆うニーソックスやガーターベルトを穿かずに、魅惑の生足を晒しているものさえいる。
そして、はだけた胸元へと汗で貼り付く髪の、どれほど色っぽいことか。
なんという光景か! 実にけしからん! もっとやれ!
「あ、おはようございます。若旦那様」
「朝食はいかがでしたか? 若様」
「このようなお見苦しい格好をお見せしてしまい、申し訳ありません」
「若旦那様に見られるなんて、恥ずかしいです……」
私は背筋を正し、口元に手をやって、ほんの少しだけ眉間に皺を寄せた。
「いや、気にせず続けたまえ。すまないね、みんな。私がウンディーネに休暇を与えてしまったばかりに。ただ、彼女は最近少し疲れていたようなのだ。私の力ではゴウダジャイ湖の水を与えることはできても、精霊界にある彼女の故郷の水を与えることはできない。ゆえに、今日一日だけ我慢してやって欲しい」
少し苦しげだったメイドたちの顔が、朗らかなものに変化した。
「なんとお優しい……」
「さすがです。若様」
「これくらい平気です!」
「どうか、精霊様を少しでも休ませてあげてくださいね」
「わたしたちはクラインシュタイン家のお世話ができて、幸せものです」
見ろ、この賛辞の嵐を。
罪悪感はない。なぜなら私が、貴族の中の貴族だからだ。
ふいに、鎧メイドが私とメイドたちの間に立ち、私を玄関へと誘うように手を動かした。
「そうか。あまり時間はないな」
「……」
普段よりは露出の高いメイドたちの、その肉体から立ち昇る得も言われぬ香りを楽しみながら、もう少し話をしたかったのだが。まあ、やむを得まい。
私は鎧メイドを引き連れて、屋敷の外のぶどう園へと向かった。
しかし暑い。恐ろしく暑い。滴る汗が止まらず、胸元に忍ばせておいたハンケチーフなどはもう絞れば水が滴るほどに濡れている。
私ですらこうなのだから、フルプレートアーマードレスを装備した彼女は、さぞやたまったものではないはずだ。
ふふ、もう少しだ。さあ、生まれたままの恥ずかしい姿を私に見せてくれたまえ。
バラ園やぶどう園で働く庭師やメイドらに指示を出し、植物の成長報告を受ける。私は水分を十分に取ることだ、と全員に忠告をしながら広大な土地を視察する。
付き従う鎧メイドの呼吸が荒くなってきている。倒れぬよう水分だけは与えているが、鎧の中の温度はそろそろ限界も近かろう。
さあ、さあ、脱ぐのだ! 私におまえの恥ずかしいとこを見……せ…………テ……?
♂
「――んあっふん!?」
私はベッドで飛び起きる。頭がずきずきと痛み、思わず顔をしかめた。内部から来る頭痛の他に、こめかみに傷ができていた。
自室。窓の外は夜だ。
微かにおぼえている。朝から昼まで続いた農園の視察で、私は鎧メイドの中を想像することに必死になりすぎてしまい、自らの水分補給を怠っていたのだ。
こめかみの傷は、おそらく倒れた際に地面で打ち付けたのだろう。
なんたることか! もう少しで鎧メイドの素顔を素肌と恥ずかしいところを目にできると思っていたのに!
「すぅ……」
「ほあっ!?」
頭を抱えかけた私は、すぐ横から聞こえてきた、ややくぐもった寝息に驚いて飛び退いた。
私のベッドに上体を倒し、鎧メイドが静かな寝息を立てている。
「あ……えぇ……?」
「……ん……っ」
私の枕元には、戻ったウンディーネが作ったと思しき氷水と、一枚の手拭いが置かれていた。
「そうか。看病をしてくれていたのだな」
思い起こせば、騒ぐ庭師やメイドらに付き従われながら、微かに鋼鉄の背中に運ばれていった記憶がある。
「くくっ」
だが、だからどうした? これこそ最大のチャンス到来ではないか! 見ろ、この無防備さを! 竜を絞め落とし、目にも止まらぬ抜刀術を身につけた女がこの様だ! これぞ先史文明の言葉を借りれば、千載一遇の好機! いつやるの!? 今しかあるまいでしょ!
目を覚ませば、彼女はまた隙のない鎧メイドとなってしまう。
私は静かに、彼女のフルフェイスへと手を伸ばす。むろん、罪悪感などない。なぜなら私は、クラインシュタイン。
貴族の中の貴族の中の、大貴族だからだ。
……ゆえに私は、紳士であらねばなるまい。ゆえに私は、50名を超えるクラインシュタイン家のメイドに手を出したことなど一度たりともない。ゆえに私が、もしも誰かに手を出すことがあるとするならば、そのときはもう覚悟を――。
♀
わたしは、目を覚ましました。
いつもと同じ。フルフェイスの奥から覗く世界。いくつもの鋼鉄に、縦に刻まれた狭い視界です。けれど、いつもと違ったのは、その光景だったのです。
若様の部屋。若様のベッド。そして、若様。
「あ……う……」
言葉は少し苦手です。特に、男の人とはうまく喋れません。恥ずかしいのです。だって、男の人はわたしの素顔を見たら、いつだって笑うのですから。
見せたくありません。笑われるのは、少し悲しいのです。
「わ……、若……様?」
「やあ、おはよう。気分はどうだい?」
若様はそう言って、私に氷水の入ったグラスを差し出してくださいました。
わたしは飛び起きて、周囲を見回します。
なんということでしょうか! 看病に疲れたとはいえ、よりにもよって若様のお部屋で、若様のベッドで眠ってしまっていました! このような失態、クラインシュタイン家のメイドとして失格です! 恥ずかしい!
それに、若様はわたしの素顔を見たがっていました。もしかしたら眠っている間に……。
「あ、あ、あうあうあー……っ」
「寝苦しそうだったので、外側から少し冷やさせてもらったよ」
優しい瞳で、若様がそう言います。
そういえば、フルプレートアーマーの外側に、氷水の入った革袋がいくつか吊されています。
「う、うう……あいがとござ……ます……」
「ああ。それと、安心したまえ。フルフェイスは取っていない。むろん、生まれたままの姿――あいやいややや、ゴホン。フルプレートアーマーのドレスも外していないからね」
わたしはハッと気づき、両手で鋼鉄の兜を押さえました。確かに留め金は外されていません。一度外すと、わたし以外の人には留められないように改良しているのです。
よかった……。
だけど、どうしてだろう? あんなにも、わたしに興味を持ってくださっていたのに。もう、興味を失われてしまったのでしょうか。
それは少し寂しいです……若様……。
「だから、頼みがある」
「う……?」
若様がわたしなんかに頭を下げました。名門クラインシュタイン家の貴族様が、ど平民のわたしなんかに。
「あらためて、キミの素顔が見てみたい」
「……」
わたしはあわてて首を左右に振りました。
若様が少し言いづらそうに口ごもりました。そして恥じ入るように頬を染め、視線を外して咳払いをひとつ。
「私はキミに、これ以上ないくらいの恥辱を味わわされた。炎天下で気絶をしただけならまだしも、女性であるキミに背負われて運ばれたなどと、このようなことが庶民に知れては貴族の――クラインシュタイン家の名折れなのだ」
「……ごめ……なさ……い」
ああ、わたしったら、余計なことをしてしまったようです。そうです。庭師の方はほとんどが男性なのですから、彼らに任せるべきだったのです。けれど、わたしはうまく男性とは話せません。
それに、彼らはおそらくわたしのことを男性だと勘違いをしたのでしょう。フルプレートアーマーを着ている女性なんて、騎士団にだってほとんどいないのですから。
「私は自らの最も恥ずかしい部分を、キミによって暴かれたのだ。ゆえに、私にはキミの素顔を知る権利があると思わないか?」
「うう……、思……ませ……」
「あいやいややや、こほん。……結論を急がないでくれたまえ。もしもキミがこのままクラインシュタインのメイドを辞めたとき、キミは私の失態を他のものに話してしまうかもしれない。だから保険が欲しいのだ。キミの最大の秘密を知りたい。――そして私には、クラインシュタインの名に誓い、すでにある覚悟ができている」
うう、なんだかよくわからない理屈を並べているようにも思えますが、わたしが秘密を知ってしまったことが若様の心労に繋がるのだとしたら、わたしは。
「……わたし……殿方には、いつも……笑われ……ます……。顔色……変えて、驚かれて……笑われます……。……だから、隠しました……」
「私はキミを笑ったりはしない」
もう逃げ切れそうにありません。また笑われて傷つき、他の職場を探すしかないのでしょうか。今度はいっそのこと、騎士団に入ってみるのも良いかもしれません。幸い、身体だけは鍛えていますので。
ああ、寂しいなあ。クラインシュタイン家には、とてもよくしていただいたから。
ぽろぽろと、涙が出ました。けれどわたしはため息をついて、フルフェイスの留め金を外します。両手で兜を挟み込み、ゆっくりと持ち上げて。
心臓が、痛いくらいに鳴っています。
フルフェイスが頭頂部を超える頃、怖くて閉じていた目をわたしが開くと、若様が驚いたように目を丸くしていました。
そうして次の瞬間には、他の殿方と同じように瞳を細めるのです。目尻を下げ、口元を弛め、えくぼを作って、頬を赤らめながら。
「は、ははは、キミ、名前は?」
「……シャ、シャルム・カムリ……です……」
ほら、やはり笑われてしまいました。
もうお終いです。さようなら、若様。とても楽しかったです。お側付きにしていただけたときには、本当に幸せでした。
若様は動きません。
わたしが素顔を見せた殿方は、決まってこうして固まってしまうのです。わたしはその間に、いつも逃げ出しました。
わたしはフルフェイスをその場に転がして、ここを去るために立ち上がります。もう、恥ずかしさで死んでしまいそうでした。
しかし若様は、そんなわたしの手を取って、もう一度強引にベッドへと座らせました。
「では、覚悟を話そう。――結婚してください。シャルム・カムリ」
「…………………………………………あ……、……はい……え?」
ああ、そうだったのか、と気づきました。
他の殿方のことはわかりませんが、若様には笑われたのではなく、微笑まれただけだったのだと。だって、フルフェイスを取ってから見る彼の微笑みは、とても嬉しそうなものでしたから。
こうしてわたしは若様の鎧嫁として、正式にクラインシュタイン家に嫁ぐことになりました。
そして結婚式の当日。
「……シャルム。頼むから鎧は脱いでくれ。鎧がドレスを着ているようだよ……」
「あう……」
彼女は絶世の美女でした。
ちょっとおバカな話を書いてみたくなり、短編で投稿してみました。
もしこの小説が気に入った方がおられましたら、
『Initialize/ZERO -そして少女は廃都に降り立つ-』
という、どシリアス長編小説も連載中です。
よければそちらの方も覗いてやってください。
追記
読んでくださった知り合いに尋ねられたので、蛇足。
古竜の呪いでぶっ倒れている父ツイテナスの病状ですが、「よ~し、若いメイドばっかり30名雇おう!」って思える程度の病状です。
紅茶とか余裕で飲めます。