小話 赤頭巾の名前/赤頭巾とオウム
《 赤頭巾の名前 》
――――お前の名前は、ソニアだ。
◇◇◇
少女が拾われてから数日後。
青年に運ばれて来たときにあった熱はもう完全に引いているが、病み上がりということでまだベッドに寝かされていた。
存外、彼は過保護な性格のようだ。まあ、子どもの世話に慣れていないだけかもしれないが。
「おおかみさん、おおかみさん」
少女は半身をベッドから起こした状態で、青年に声を掛けた。
青年の名がクロードであることは本人から聞いて知っているが、“おおかみさん”という呼称を気に入っているためそう呼んでいる。当の青年が気にしていない風なので、少女も彼の呼び名を変える必要を感じていなかった。
「……何だ」
弾んだ声で呼びかける少女に対し、青年の声は若干不機嫌そうだ。
顔を顰めているのは少女に声をかけられたからという理由ではなく、それ以前、椅子に座って本のページをめくっているときから彼の眉間には皺が寄っていた。
近しい者しか知らないことだが、眉間に皺を寄せるのは彼が考え込むときの癖だ。ただ単に不機嫌なだけのときもあるが。
「なまえは?」
ここ数日で青年の存在にすっかり慣れた少女は、臆することなく問いかける。意外と肝が太い。
“なまえ”と言っても、相手の名を訊いているわけではもちろんない。自分の名前を聞かれて首を捻った少女に、青年が名前を付けてくれると言ったのだ。少女は名前を心待ちにしていた。
「……まだ、だ。もうちょっと待ってろ」
青年は苦々しい口調で答える。
青年としても、少女が名無しであることには同情しているし、早く名前を付けてやりたいとは思っていた。ただ、子どもと縁がなく名付けをすることなど考えたこともなかった青年にとっては、なかなか難しいことなのだろう。意外と真面目な性質も手伝い、少女の名前は今のところまったく決まる気配がない。
「うー……また?」
「…………すぐできる」
返答にずいぶんな間があった。
「どれくらい?」
「……あー……すぐだ、すぐ!! 静かにしてろ!」
黙っていれば老成した雰囲気のある青年だが、実はまだ若い。そのせいか、結構気が短いところがあった。彼の知人たちに訊けば短気なのは性格だと答えたかもしれないが。
最年少の十五歳でSランクに昇格してから早三年、青年は御歳十八である。
「……っ。…………おこった?」
「……はぁ、悪かった。怒ってない」
おそるおそる上目遣いで訪ねてくる少女に、青年は自らの失態を悟り謝った。大人気ない自分に内心舌打ちしつつ、やや乱暴な手つきで少女の頭を撫でる。
少女はホッとしたように“よかった”と呟き、はにかんだ。幸せそうなその表情に、青年の頬もつい緩んでしまう。
「いい名前にしたい。だから、もう少し待っててくれ」
真摯な声音でそう言った青年を見つめて、少女はこくりと頷いた。
◇◇◇
「そにあね、そにあね……」
「………………」
「………………」
「……話すことないのか? 何でそんなに自分の名前連呼してんだ」
「だって、そにあのたからものだもん!」
「…………そうか」
「……? おおかみさん、たのしいの?」
「はぁ、楽しいんじゃなくて、嬉しいんだよ。……ソニア」
――――おおかみさん。そにあのなまえ、ありがとう!
◆◆◆
《 赤頭巾とオウム 》
――――何や、幼な妻か? クロードの坊も隅に置けんなぁ。
◇◇◇
ゴンッという鈍い音がした後、コツコツと何かを叩く音が聞こえた。
ソニアが驚いた顔で窓の方を見やると、赤い大きな鳥が窓の木枠を嘴で突いている。咄嗟に声をはり上げた。
「おおかみさん!! おおきなとりさんがいる!」
商売道具――主に武器の類――の手入れをしていたクロードは、その声を聞いて手を止める。何事かと立ち上がり、窓を指差すソニアの方へ近付いて行った。
「あ? 鳥? ……ああ、ヴィーか。そういや、そろそろだったな」
窓の外に佇む鳥を見たクロードはそう言って、納得したように頷く。
ソニアは隣に立つ彼を見上げながら、不思議そうに問いかけた。
「びー……う゛ぃー?」
言いにくそうにする様子に思わずくすりと笑う。
「ああ、ギルドからの遣いだ。情報と物資を持って来る」
基本、ギルドが管理している鳥が運ぶのは情報だけだ。だが、クロードはギルドの長と懇意にしているため、食料や生活必需品の運搬にも使わせてもらっていた。
ちなみに、情報料とは別料金だ。クロードは高給取りなのであまり気にしていないが、魔の森までの運送料は結構高い。
「ぎるど? ……ぶっし?」
「街に出なくていいって話だ」
「ふーん」
クロードのやや適当な説明にソニアはわかったような、わからなかったような相槌を打つ。
「さて。うるせぇし、家に上げるか」
まだ窓を叩いている鳥にチラリと視線を向けたクロードは、そう言って窓を開けた。
すると、慣れたように赤い鳥が家の中へと入って来る。そのまま定位置らしき棚の上に留まり、その黒々とした目でクロードを見た。
「久しぶりやな、クロードの坊! 元気しとったか?」
明るくクロードに話しかける声は少し年のいった男性のものだ。鳥の声とは思えないほど渋い。
「相変わらずだな、ヴィー」
話しかけてきた赤いオウム――ヴィーに、クロードは苦笑を漏らす。
ヴィーはその反応を見て目を細めた。それはどこか、息子を見る父親の目に似ている。種族について考えず年齢だけで言うのならば、この赤いオウムはクロードの祖父でもおかしくない歳なのだが。
ギルドのなかでもこの鳥は長く生きている方で、すでに六十歳は過ぎている。そのせいか、出会ったときからクロードのことを“坊”と呼んでいた。
「そら、そう簡単にひとは変わらんやろ。ま、わてはひとやのうてオウムやけどな。それで……ん?」
何かに気づいたようにヴィーは途中で言葉を切った。一瞬前まで笑うように細められていた目が、驚愕に見開かれている。ヴィーの視線は、ソニアを捉えていた。
「こんにちは、とりさん」
オウムは、お行儀よく挨拶したソニアからクロードへと視線を移す。そして、そのよく回る口を……いや、嘴を開いた。
◇◇◇
「おおかみさん、おさなづまってなあに?」
「…………知らなくていい」
――――わてはヴィヴィアンちゅーもんや。仲良うしたってな!