赤頭巾と狼の墓参り その六
短め。
道すがらクロードと他愛ない話をする。学校であった出来事や友達のこと、ロラたち使用人の話。しんみりしてしまった空気を掻き消すために、ソニアは必死に楽しい話題を探した。
それを察してかクロードも話に乗ってくれる。そのおかげで墓参りに行くと思えないくらい楽しい道のりだった。……とはいっても、ソニアは墓参りに行ったことがないのだが。
「疲れてないか?」
話題の切れ目に尋ねられた。
少し黙ってしまったから、ソニアが疲れて黙ったと思ったのかもしれない。実際には何を話そうか考えていただけなのだけれど。
忙しいクロードをずっと世間話に付き合わせる機会なんて滅多にないから、話の種はまだ尽きていない。話したいことはたくさんあって、聞いてほしいこともたくさんあって、ただ何から話せばいいかわからなかった。
「まだ大丈夫」
「無理してないだろうな?」
「これでも野外演習で体力ついたから」
腕を曲げてぐっと力を入れる。いくら体力がついたといっても筋肉はそんなについていなかったようで、残念ながらクロードに力こぶを見せることはできなかった。
力を振り絞っても何の変化も示さないソニアの細腕にクロードが笑う。
「野外演習つっても遠足みたいなもんだろ」
「むぅ……確かにそうだけど」
事実その通りで。野外演習がもっとらしくなるのは中等部に入ってからだ。それまではちょっと学校外に遊びに行くだけ。自然と触れ合うとか、街に親しむとか、先生たち曰く目的はいろいろあるそうだが、生徒の立場から言わせてもらえば普段の遊びと大差ない。座学が苦手な子たちからすればいい息抜きになるみたいだけど。
しかし、本格的に魔法を――魔術と法術を習うようになれば話は別だ。楽しい遠足は魔術師や法術師になるための厳しい演習に切り替わる。中等部から学科が分かれるため、選択した科によって内容は変わるようだが。
剣術科だったら騎士になるための訓練か。そのときは現役の騎士が教えにきたりもするらしい。さすがにクロードが来ることはないだろうが、もし来るんだったらソニアは法術を捨てて剣術科に入りたいくらいだ。たぶん、できないけど。剣術科の生徒が羨ましすぎる。
「わたしも剣術を習おうかな」
中等部は十二歳からで、現在ソニアは十歳。あと二年もある。
「いつも言ってるが、俺は学生の指導には行かないぞ」
「心を読まれた」
「わかりやすいんだよ。一緒に住んでるんだから、学校で会う必要はないだろ」
「中等部からは寮だもん」
「……そういやそうだったな」
きっと寂しくなるだろう。そう言うと“そのときはそのときだ”と返される。
クロードも寂しく思ってくれるだろうかと隣を歩く彼の顔を見上げると、いつもと変わらない表情のなかに少し心配げな色が見えて頬が緩んだ。まだ先のことなのに心配してくれるのが嬉しい。
寮が始まるまでにいっぱい甘えておこうと考えて、せっかく隣を歩くなら手を繋ぎたいなと思う。クロードの方に手を伸ばそうとして、寸前で彼が花束を担いでいたことを思い出した。
両手を塞いでしまうとわかっているから、さすがのソニアでも手を繋ぎたいとは言えない。伸ばそうとした自分の手を見つめて少なからずがっかりする。クロードがソニアを片腕で抱き上げたりするからすっかり忘れていた。
にっくき花めと綺麗な花束を睨みつけて、ふと思う。
「森で花を摘めばいいのに」
魔の森に普通の花は少ないが、まったく生えていないわけではない。かつてクロードが案内してくれた花畑のように陽が射し込む場所ならば色とりどりの花が咲く。
花屋で見かけたゼロの数がおかしい植物だってあるし、わざわざ花束を買い求めなくても行き道に花を摘んでいくことくらい簡単だろう。
「あー……まあ、そう思うよな」
「?」
クロードはなんとも言えない顔をする。
どういうことだろうと首を傾げていると、言い辛そうにしながらもクロードが口を開いた。
「前に……といってもかなり昔の話だが、そうしようと思って失敗したんだ」
「失敗?」
花を摘むのに失敗も成功もあるのだろうか。
「摘んだ花が歩行植物だったみたいでな。目的地に着いたときには花を入れてた籠が空になってた」
「………………」
「笑いたきゃ笑え」
「……ふふっ」
クロードが語る失敗談に堪えきれなくなって吹き出してしまう。
笑いながら、彼でもそんな失敗をするのかと驚いた。ソニアから見たクロードは大人で、失敗なんてしそうにないくらい完璧なひとだから。
クロードはそんなソニアを横目に見て、つまらなそうに言う。
「今だから笑い話になるが、あのときは知らなくてめちゃくちゃビビったんだ」
その声がふてくされているようにも聞こえて、なんだかクロードを身近に感じる。昔と言っているから、この失敗談は彼が子どもの頃の話なのかもしれないが、クロードにもそんな時代があったのだと思うと微笑ましい。
どんな少年だったのだろう。もしソニアとクロードが同年代だったらどうだっただろう。仲良くなれただろうか。
「その頃は金がなくて、こんなでかい花束を買う余裕もなかったからな」
言いながら、クロードは担いでいる花束を揺らした。不満を表すようにガサガサと音を立てる。
そんな風に扱ったら花が痛むとソニアは心配したが、クロードの雑な扱いにも花々は花弁一つ落とさない。かけられている保存の魔術はなかなか強力なようだ。
「今なら歩行植物の区別もつくんだが……どうしてか花を摘んでいく気にはならないな」
“籠を覗き込んだときの衝撃が忘れられない”と語るクロードはそのときのことを思い出しているのか渋い顔をしている。
その表情からも、籠を覗き込んでびっくりする少年時代のクロードが容易に想像できてさらに笑ってしまった。
くすくすとずっと笑っていると節くれだった手に頬を引っ張られる。
「笑いすぎだ」
「ひほい。ははひはひゃははへっへひっはほひ」
「ははっ、何言ってるかわかんねえ」
今度はクロードがおかしそうに笑った。
抗議するようにソニアの頬を引っ張る手を叩くと“はいはい”と言って大きな手は離れていく。
「ひどい。笑いたきゃ笑えっておおかみさんが言ったのに」
ぶーぶーと文句を言うと、さっきまで頬を引っ張っていた手が今度はソニアの頭に置かれた。がしがしと荒っぽく撫でられて髪が乱れる。
いつもなら“お嬢様は女の子なんですからもっと優しく”と咎めてくれるナタリーもここにはおらず、クロードの暴挙を止めるものはどこにもない。そもそも当のソニアに止める気がないのだから仕方がない。
髪が乱れるのは嬉しくないが、クロードに頭を撫でられるのは好きだ。ソニアが犬ならきっと尻尾を振っている。
「相手がソニアなら笑われるくらい別にいいかと思ったんだが……」
大人のクロードでも失敗を笑われるのはいい気はしないらしい。
◇◇◇
魔の森の奥の奥。陽の光が射す開けた場所に、それはあった。
「ここが……」
等間隔に並べられた石の広場は思ったよりも明るくて、過去の惨劇などちらりとも窺わせない。
森のどこかから持ってきたのだろう石に文字を刻んだだけの墓石は簡素で、でも墓標には十分だ。亡くなった村人の数だけ置かれているのだろうか。ぱっと見ただけでは数えきれない。
「ここがおおかみさんの生まれたところ?」
ちょっとだけ考えて、そう尋ねた。
なんとなく他のどの言葉よりこの訊き方が正しいような気がした。
「ああ、そうだ」
短い返答に悲しみの色はない。
「ラージュ村へようこそ、ソニア」
誰もいない石だけが並ぶ村へと、たった一人の最後の村人に招き入れられる。
ここはきっと、多くの死者とただ一人生き残った彼のための場所だ。この墓地は彼がいるときだけ村として在れる。
でも、この村をソニアは知らないから。クロードの瞼に焼き付いているだろう景色を知らないから――目を閉じてみても他の村人たちが生きていた頃の、かつての村を思い浮かべられはしなかった。
村があったと言われなければわからないここに、寂しささえも感じない。




