赤頭巾と狼の墓参り その五
花屋を出てすぐに怪しげな風貌の男性がクロードとソニアの前に立ち塞がった。真っ黒でボロボロのローブに深くフードをかぶって顔が見えないその姿はまるで童話に出てくる悪い魔法使いのようだ。
思わずクロードの陰に隠れてしまったソニアを気にする風もなく男性はクロードに声をかける。
「……奇遇だな」
ボソボソとした声はひどく聞き取りづらいが、どうやらクロードと彼は知り合いらしい。ギルドのひとだろうか。魔術師だというならこの服装にも納得がいく。もちろん、もっとまともな格好の魔術師も大勢いるけれど。
「ああ、こんなところで会うなんて奇遇だな」
出待ちしていたとしか思えないタイミングだったが、クロードはそれに突っ込むことなく挨拶を返した。
「今年はあんたか。珍しく付き合いがいいな」
「…………なんの話だ」
男性の目があからさまに泳いでいる。クロードには見えないだろうが、ソニアの位置から見上げるとそれがよくわかった。
クロードは彼が会いに来た理由を知っているようだ。男性はしらばっくれているが、ギルドのひとたちが後をつけていたことといい、毎年恒例のことなのかもしれない。
「変な気の遣い方をするな……と言いたいところだが、まあいい。こんなところで偶然会ったんだ。頼みごとをしてもいいか?」
「構わない……何をすればいい?」
そう言いつつ心得ているかのように杖を取り出した相手にクロードが苦笑を漏らす。
担いでいた花束を肩から下ろすと、突き出すように掲げて見せた。
「保存の魔術をかけてくれ。この花が一年くらいは保つように」
クロードの言葉に頷いて男性は詠唱を始める。花束全体ではなく一本一本の花に魔術をかけているようで、白色や黄色の花々は魔法にかかった証明のように一瞬だけ輝いては光を失っていった。
対象をそのままの状態で保つ魔術は比較的簡単な魔術だが、対象が生花で、しかも期間が一年ともなると難易度が跳ね上がる。それを百本もの花に連続してかけられる男性はすごい魔術師なのだろう。
法力はあっても魔力を持たないソニアは彼の魔術に見惚れると同時に憧れを抱いた。ソニアもこの魔術師のようになれたならきっとクロードの役に立てるのに。
「いいなぁ……」
羨ましい。
法術でも同じようなことはできるかもしれないけれどソニアにはまだできないから、クロードのために魔術を使えるひとが羨ましく映った。
学校で本格的に法術を習うのはまだ先だが、教えてもらえるか先生に聞いてみようか。セルジュに頼むのもいいだろう。子どものうちから魔法を扱うのは良くないらしいのだが、強力な魔法でなければ成長を阻害しないとも聞いたので、もしかしたら教えてもらえるかもしれない。
来年までに使えるようになれば……とそこでソニアの思考を遮るように声がかかる。
「そっちも……かけるか?」
「……え?」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「あー……ソニアの持ってる花にも魔術をかけようかって言いたいらしい」
突然話しかけられてきょとんとするソニアと無言の魔術師では話が進まないと思ったのか、クロードが口を挟んだ。
どうやらソニアの羨ましがるような発言で誤解させてしまったようだ。“いいなぁ”というのは自分の花にも魔術をかけてほしいという意味で言ったわけではなかったのだが、この状況だとそう取られてもおかしくはない。
“どうする?”と視線で問われ、考えた末にソニアは首を横に振った。
「……遠慮します」
「………………」
「え、遠慮します」
「………………」
なんだか恨みがましい眼で見られている気がする。
無言の圧力にソニアが負けそうになっていると、クロードが魔術師の頭を殴った。軽く小突いただけのように見えたが、意外と痛かったらしく男性は頭を押さえている。クロードの元相棒への扱いよりは優しいように思えたのだけれど、そうでもないのだろうか。それともマルセルが魔導師にしては頑丈なだけか。
「ソニアを睨むな、この陰気顔」
「睨んでない……言いがかりだ……」
魔術師はボソボソ……というよりぶつぶつと文句を吐き出している。
ちょっぴり申し訳ない気持ちになった。わざわざ尋ねてくれたのに素っ気ない態度だったかもしれない。
「せっかく言ってくれたのにごめんなさい。でも……」
自分の気持ちを上手く言い表せなくて言葉に詰まる。
「いつか魔法が使えるようになったら自分でやりたいから」
この一本の花にのせる想いはソニアだけのものでありたい。
手に持った花をぎゅっと握ると包装が音を立てた。
その音にハッとして、このままじゃ皺が寄ってしまうと慌てて力を抜く。紙で包んだだけの簡単な包装だが、ひとへの贈り物だ。大切に扱わなければ。
「……いい心がけだ」
また睨まれるかと思ったが、予想に反して返されたのは優しげな微笑みだった。
「君なら……いい魔術師になれるだろう」
思わぬ言葉に返答に困ってしまう。
魔術師である彼からすれば賛辞なのだろうけれど、ソニアは魔力を持たないから。魔法ではなく法術と限定した言い方をすればよかった。
「ソニアは魔力持ちじゃないけどな」
さらっとクロードが言う。
魔術師の男性はしばらく固まって。
「さらばだ」
逃げるように去って行った。
足早に遠ざかっていく背を見送ってクロードが溜め息を吐く。
「あいつは……なんというか、うちの……いや、俺が所属してたギルドでもかなり変なやつなんだ」
そうだろうな、とソニアは思ったが口に出すのは止めておいた。
◇◇◇
クロードに連れられるままに魔の森に足を踏み入れる。
歪な木々が出迎える森は相変わらず薄暗い。さっきまでは確かに晴れていて太陽が地を照らしていたのに、森に入った途端に辺りが暗くなった。不思議……というより不気味な森だ。
そんな恐ろしい森に懐かしさを感じてしまうソニアはちょっと変わっているのかもしれない。
「どうした?」
なんだか面白くなってふふっと笑うと隣から声がかかった。
「懐かしくって……こんなに暗くて怖い森なのにね」
「そうだな。この森に来て懐かしいなんて言うのは俺とお前くらいだろう」
同じ気持ちだったことが素直に嬉しい。
でも、きっとクロードが魔の森に思うことはそれだけじゃないはずで、ソニア以上の思い入れを持っているはずで。
噂は本当かと尋ねたら教えてくれるだろうか。
周囲の口さがない噂に翻弄されないようにとマルセルやセルジュが話してくれた真実は、クロードにとっても真実なのか。まだ子どものソニアを気遣ってか、二人が教えてくれなかったことは単なる噂話なのか。それを聞いてみたいと、誰かから聞かされるのではなく本人の口から聞きたいと思うのはクロードにとって迷惑だろうか。
ソニアに誰にも触れられたくない部分があるようにクロードにもそんな場所はあるはずで。彼が引いた線を越える勇気をソニアは持てないでいる。
勇気をください。
神に祈るように願う。なんとなくそうすれば願いが叶う気がしてポケットに入れた魔石を握りしめた。
初めて会ったときにクロードにもらった花の形の魔石は今もソニアの大事な宝物だ。もう二度と手放さないと決めた物の一つ。
赤い花を模した魔石を持っているとその花と同じ名を持つ女神の加護が得られるらしい。
けれど、ソニアは自身と同じ名の神には祈らない。神様は愛も勇気もくれないと知っているから。それを与えてくれるのはソニアにとっては神にも等しい大切なひとだけで、だからソニアはそのひとに祈る。
「おおかみさんの生まれた村はこの森にあるんだよね?」
絞り出した声は震えてはいないだろうか。
「今日はそこに――お墓参りに行くの?」
この優しいひとの心を傷つけてはいないだろうか。
「知ってたのか」
穏やかなクロードの声を聞いても顔を上げることができない。彼がどういう思いで言ったのかわからなくて、ソニアの言葉にどう思ったのかわからなくて、ただ俯いていることしかできなかった。
勇気なんてもう持ってない。
さくさくと足音だけが森に響く。続く沈黙を破れなくて、自分からは言えないから何か言ってほしいと願ってしまう。
ああ、失敗した――と落ち込むソニアを救い上げるように待ち望んだ声が聞こえた。
「俺の故郷は魔物に襲撃されて滅んだんだ」
知っている。クロードに近しいひとも遠いひとも、みんながそれを口にした。
他人が語るクロードはまるでソニアの知っているクロードじゃないみたいで、彼のことを知りたいのに誰かの口から聞かされるのは好きじゃなかった。黒狼なんて名前でクロードを呼ばないでほしい。ソニアにとってクロードはクロードでしかない。
「前に言ったかもしれないが、ラージュは俺の生まれた村の名前だ。魔剣を守る役目を負っていた。秘された村だったから、知っているのは各国の王族や教会の司教たちくらいだったんだろう。助けなんて、村のやつらが生きている間には来なかったよ」
驚きはなかった。クロード以外の村人がすべて命を落としたことはソニアも聞いていたから。やっと来た助けの一人がセルジュだったことも本人から聞かされた。
「俺だけが助かった」
もういいと叫んでしまいたかった。
「誰も助けられなかった。何も守れなかったんだ。母さんも友達も村も――守ると誓ったものは何一つ」
もういいから、もう話さなくていいから、だからそんな悲しい顔をしないで。
「格好悪いだろ? 今まで話さなくて悪かったな。我ながら情けなすぎて話しにくかったんだが……幻滅したか?」
格好悪くなんてない。誰よりも格好いいあなたに幻滅なんてするはずがない。
そう言いたいのに言葉が出なかった。瞼が熱くて、ぎゅっと目を閉じると頬を何かが伝っていく。
泣いちゃだめ。
しかし、ソニアの涙腺は言うことを聞かない。泣きたくないのに涙があふれる。
クロードが泣かないのにソニアが泣くのはおかしいと、そう思っているのに。悲しくて、苦しくて、胸が痛い。クロードはもっと悲しかっただろうと、もっと苦しかっただろうと、今もまだ傷ついているのだろうと思うと胸の痛みが増した。声を上げて泣き出してしまいたかったけれど、それだけは我慢する。
口を開くと声が漏れてしまいそうだったから、ただひたすらに首を横に振ってクロードの言葉を否定した。幻滅なんてしないと、もう話さなくていいと伝えるために。
「今日は村の命日なんだ」
知っていた。知っていて聞きたがった。――でも、聞くべきじゃなかった。
本人の口から聞きたいなんて綺麗事を盾にして聞いていい話じゃなかった。こうなることはわかっていたのに、どうして尋ねてしまったのだろう。勇気なんて出さなくてよかった。踏み込んじゃいけなかった。相手を傷つけるための勇気なら、そんなのいらないのに。
遠くを見るような悲しげな表情が、どこか寂しげな声が心に突き刺さったまま抜けない棘のように痛みを訴える。……でも、クロードはもっと痛いはずで。
傷つけたかったわけじゃない。
そんな陳腐な言い訳を奥底の自分は一笑に付す。
うそばっかり。きずつけても、しりたかったくせに。
違う。違う。違う。
知りたかったんじゃない。もうとっくに知っていた。
しってたんじゃなくて、きいただけ。それがいやだったんでしょう?
ソニアの知らないクロードの話をされるのが耐えがたかった。せめてクロードの口から聞きたくて……いや、そうじゃない。本当はそうじゃなかった。
――ソニアの知らないクロードなんて、傷ついてもいいと思ったのだ。ソニアがよく知るクロードも、ソニアと出会う前のクロードも同じひとだとわかっているのに、わかっていなかった。
ばかなそにあ。
反論なんてできない。自分自身がそう思っているから。それに言い返す気力もない。
大切なひとを傷つけてしまった。一度名前を捨ててしまったあのとき、そうとは知らずにソニアはクロードを傷つけた。だからもう傷つけないと決めていたのに、クロードがソニアを大切にしてくれるようにソニアもクロードを大切にしたかったのに。
かわいそうなそにあ。
愛を知らないから、大切にすることもできない。
大切にできないから、ソニアはクロードをきっと愛していない。
ソニアがクロードを愛さないから、クロードもソニアを愛さない。
生まれたときから愛なんて持っていない。今も探しても探してもどこにも見つからない。
「ごめんなさい」
謝ったら許されると思っている子どもをなぜ彼は怒らないのだろう。怒って、責めて、嫌いになったっておかしくないのに。
嫌われたくないくせにそんなことを思っている。
「謝らなくていい」
甘やかさないでほしい。優しくされると幸せで、愛されていると錯覚してしまうから。
「墓についたら話すつもりだったんだ。むしろ、訊いてくれて助かった」
「ほんとに?」
「本当に。俺はお前に嘘は吐かないよ」
そう、嘘吐きはいつもソニアのほう。
「俺は怒ったりしないし、嫌ったりもしない。だから泣かないでくれ。ソニアに泣かれるとどうしていいかわからなくなる」
そう言われて、まだ泣いていたことに気づいた。
クロードの方が辛いはずなのに、ソニアばかりが泣いている。“傷つけてごめんなさい”ともう一度謝ると、涙でぼやけた視界のなかでクロードがかすかに笑った気がした。
「傷ついてない。俺はそんなに柔じゃないし、ソニアほど繊細でもないからな」
片腕で抱き上げられる。咄嗟に瞑った目を開くと目の前にクロードの顔があった。
こつん、と額同士がぶつかる。
「俺はお前に救われてるんだ」
嘘だ。そんなわけない。
「拾ったのも名前を付けたのもたいした理由なんてない。でも、あのとき俺を選んでくれたお前に、今もつまらない俺の過去なんかに泣いてくれるソニアに、確かに俺は救われてるんだ」
嘘だ。でも、クロードは嘘なんか吐かないはずで、だからこの言葉は本当で。
頭の中はもうぐちゃぐちゃで、ただただ混乱していた。だが、自分も信じられないソニアが唯一信じられるものはクロードだけだから、その言葉に聞き入った。
疑って疑って、どうしても疑ってしまうけど、それでも最後にはクロードの言葉を信じる。
「墓参りに誰かを連れて行こうなんて思ったこともなかった。あそこには誰にも入ってほしくなかったんだ」
「……マルセルさんにも? セルジュさんにも?」
「あいつらは……昔なら追い出しただろうな。今は来ても放っておくかもしれないが」
クロードは自分と他人の間に線を引いている。クロードは向こう側で誰かが線を越えないように見ているのだと、ずっとそう思っていたのだけれど、もしかして違うのだろうか。
ソニアも向こう側にいるのか。クロードが立っているその傍に。
「父親譲りで、俺は弱くて情けない男なんだ。自分で自分を許せない。でも、お前が笑ってるときだけはあの地獄を生き抜いてよかったと思える。……生き残った自分を許してやれる気がするんだ」
ソニアが自分を嫌うように、クロードは故郷を守れなかった自分を許せないのだろう。
彼が自分を許せるようになるのならば、きっとソニアが生きる意味はそこにある。不安なんて全部振り切って幸せになってもいいくらいの、大きな意味が。
ソニアは涙でくしゃくしゃの顔で笑った。自分の心をごまかすためじゃなく、ただクロードのために笑う。
「下手くそな笑顔だな。別に無理してまで笑わなくてもいいぞ」
「……無理、してないよ」
「ならいいが」
ぽつりと、こぼれた涙の一粒がクロードの頬に落ちた。まるで雨に降られたみたいだ。
「幸せだって言ってくれ。それだけで俺は救われる」
懇願するような響きが胸を締めつける。乞われなくても、言うのに。心のままに、一筋の嘘もない言葉を彼に捧げるのに。
だって、幸せだから。いつもクロードが幸福をくれるから。いつだってソニアにとっての幸せは黒い青年の姿をしているのだ。
「幸せだよ。わたしは幸せ」
ありったけの想いをこめて伝える。
「おおかみさん、大好き」
今できる一番の笑顔を添えてそう告げると、それに応えるようにクロードは破顔した。
笑っているのに、泣いているようにも見えるその笑みをソニアは鏡に映る自分以外で初めて見る。いや、泣いているように見えるのはソニアがこぼした涙がクロードの頬を伝ったせいか。
「そうか」
そんな短い言葉に万感の想いが込められている気がした。
クロードがソニアの父でも兄でもないように、ソニアはクロードの娘でも妹でもない。
だから、ソニアがクロードに抱く想いは愛なんかじゃない。クロードがソニアを大切にしてくれるのも愛なんかが理由じゃない。……そのはずで。
ソニアは両親から得られなかったものの代わりを求めていた。でも、この手のなかにはそんなものよりもっと素敵なものがあると今は知っている。
この想いを愛と呼ばないならどんなものを愛と呼ぶのだろう――愛を与えられなかった少女はもうすでに愛を知っていることにまだ気づかない。
今回の話に出ていた魔術師ですが、実は本編に登場済み。最終章あたりにちらっと台詞だけ出ています。




