赤頭巾と狼の墓参り その二
クロードはコーヒーが好きだ。砂糖もミルクも入れない大人なやつ。
ソニア自身はコーヒーも紅茶も好きで、飲み物にこれといったこだわりはないが、毎朝食後にコーヒーを飲むクロードに合わせてカフェオレを飲んでいる。ナタリーの淹れてくれる紅茶は美味しいが、紅茶だとコーヒーの香りと喧嘩する気がして邸では紅茶を飲む機会が少ない。
そのことを知っているからか、ナタリーはいつも何を飲むか尋ねてくれる。
「お嬢様は何を飲まれますか?」
「おおかみさんと同じやつ」
前に大人のコーヒーと言って微笑ましげな顔をされたので今日は別の言い方をしてみた。
「はい。では、カフェオレを淹れましょう」
ナタリーはにっこり笑ってカフェオレを淹れにいってしまう。
ソニアはブラックコーヒーを頼んだつもりなのだが、あっさり却下されたようだ。たしかにソニアはまだ大人じゃないし、苦いコーヒーは飲めないが……それは昨日までの話。昨日は飲めなかったけど今日は飲めるかもしれない。
ナタリーの背に向けてそう言ってみたけれど出てきたのはカフェオレだった。解せぬ。
「どうせ飲めないんだから止めとけ」
やり取りを見ていたクロードから呆れたような声がかかった。
最も信頼している相手からの言葉にショックを受ける。彼はソニアの成長を信じてくれていないらしい。ピーマンは本当に食べられるようになったのに。
「まだやってんのか、あの変な競争」
クロードはソニアが前に話したことを覚えていてくれたようだ。他愛もない話だっただけにちょっぴり嬉しい。
でも、その呆れた眼はいただけない。つい、拗ねたような口調になる。
「変じゃないもん。誰が一番大人か選手権だもん」
“誰が一番大人か選手権”は王立魔法学校初等部の有志一同が開催している選手権だ。参加者はそんなに多くないのだが、有志一同と言った方が格好いいからという理由でそう説明するように定められている。
初等部には貴族出身の生徒があまりいないので――ディオンとジルくらいだ。ディオンは王族だが――参加者のほとんどが平民で、なぜかソニアも気づいたらエントリーしていた。きっと友人の誰かの陰謀だと思う。勝てる気がしないというか、勝とうという気もなかったが、親友が張り切っているのでソニアも頑張っている。……ちょっと自分は流されやすいのかもしれない。
実は昨日、学校で行われた怪談大会もその一環だった。有志たちが決めた大人の条件の一つに“オバケを怖がらない”があったのだが、怖がる参加者が多かったためいつの間にかその項目はなかったことになった。
クロードには怪談大会の話をしていないので彼の“まだやってるのか”というのは、ここ一週間くらいソニアが挑戦中の“ブラックコーヒーを飲む”という条件のことだろう。ちなみに、大人の条件の制定についてはかなり揉めたらしいが、この条件だけは満場一致で決まったらしい。
「誰が一番大人かって……コーヒー飲めたから大人って発想が子どもだろ」
「………………」
痛いところを突かれたので、とりあえず聞こえないふりをしておいた。
そういえば学校でも大人っぽいと言われる子たちは誰も参加してないなと思ったが、同級生の誰かが始めた遊びをぶち壊したくないのでソニアは考えをそっと頭の片隅に追いやった。
みんな大人に憧れる年頃なのだ。周りから大人だと思われることが一種のステータスなのだとも言える。子ども社会での話だが。
「ブラックが飲みたいなら、俺のを飲むか?」
からかうように問うクロードの顔は笑っている。
ちょっと悩みながらもソニアは首を横に振った。ソニアにはナタリーの淹れてくれたカフェオレがあるし、二杯も飲むのはアレだし、それに――その真っ黒な液体は子どもの飲み物じゃない。
◇◇◇
ずっと物言いたげな視線を感じていた。
わりとはっきりと物を言うタイプのクロードが言いにくそうにしているのは珍しい。こちらから話題を振ってみようかとも思ったが、安易に踏み込むのも躊躇われた。
今日という日がクロードにとってどういう意味を持つのか、ソニアはなんとなく察している。毎年、この時期になるとふらりと一人でどこかに行ってしまうクロードが何を考えているのかはわからない。彼が自分の過去についてソニアに話したことはないし、ソニアも拒絶を恐れて尋ねなかった。
それでも、ソニアがクロードの過去について知っていることはいくつかある。それが真実なのか、根も葉もないただの噂なのか、真偽は定かではないが――ソニアが思うにおそらくほんの少しの偽りが混じっている。つまり、ほとんど真実に近いということだが。
クロードは故郷の村を魔物に滅ぼされた。そして、今日がその命日だ。
これはきっと、本当のこと。
「なあ、ソニア。今日は確か学校休みだったよな?」
「うん。おおかみさんもお仕事お休みでしょ?」
「ああ、そうだな。……なんか予定あるのか? 友達とどこか行ったり、とか」
躊躇いがちに尋ねるクロードに期待が膨らむ。
もしかしたら、もしかするのかもしれない。期待してはいけないと思うけど、もしかしたらという考えを振り払えなかった。
去年は何もなかった。クロードはソニアに何も言わず一人でどこかへ行って、何事もなかったような顔をしてその日のうちに帰ってきた。その前の年も、もっと前の年もそうだった。だから、今年もそうなるだろうと思っていたけど、でも。
「もし予定があるなら……」
「予定なんてないよ!」
続く言葉を遮るように勢い込んで言うと、クロードはびっくりした顔でこちらを見る。
その反応にちょっと恥ずかしくなってソニアは思わず顔を伏せた。
「えっと……ロザリーはお父さんの買い付けについていくって言ってたし、ディオンとジルに町に遊びに行こうって誘われたのは断っちゃったから」
焦って言わなくてもいいことを言ってしまう。何か変だと思われなかっただろうか。
クロードが毎年この時期に休みをとるように、ソニアもこの時期は予定を入れないようにしていた。期待しているというのはやっぱり否定できない。ただ、クロードが辛かったり悲しかったりしているかもしれないときに楽しく遊ぶなんてソニアには難しいことも事実だ。
幸せを分かち合えるように、悲しみも分け合えたならどれだけいいだろうか。
自分を救ってくれたひとを救いたいと思うのはおかしなことじゃない。ソニアは何の力もないちっぽけな子どもだけど、目に見えなくても確かに感じるクロードの傷を癒したいと思う。法術じゃない何か別の力で、いつかきっと。
「予定がないなら……今日は俺と一緒に出掛けるか?」
ソニアは“行って楽しい場所じゃないが”と付け加えるクロードの顔をまじまじと見つめた。
「嫌なら断っていいぞ。もともと誰かを連れて行くような場所じゃないしな」
「ううん、わたし行きたい。おおかみさんと一緒に行きたい」
今までクロードがソニアを連れて行こうとしなかったのは気遣いからなのかもしれない。でも、ソニアはそんな気遣いなら欲しくはない。
「だって、おおかみさんのお父さんとお母さんに会いに行くんでしょう?」
そう言うと、クロードは目をみはる。ソニアが場所の見当をつけていたことではなく、ソニアの言葉自体に驚いたようだった。
「そうだな、そう――俺は母さんたちに会いに行くのか」
呟くように吐き出された言葉は誰かに聞かせるためのものではなく、己の心の奥を探るような響きがあった。どこか遠くを見るような、懐かしむような表情にソニアの心がつきりと痛む。
クロードの中にはソニアが知らないクロードがいて、ソニアが知らない人生がある。そんな当たり前のことがなんだか悲しい。クロードが懐かしく想うものをソニアは知らない。同じように想えない。それがソニアにはとても悲しいことのように思えた。
「おおかみさんのお父さんとお母さんなら優しいひとたちだったんだろうね」
クロードを生み育てたのだから、ソニアの両親とは比べ物にならない立派で素敵なひとたちだったのだろう。
「いや」
肯定で返されるだろうというソニアの予想に反して、返ってきたのは短い否定の言葉だった。
どうして、そんな顔をするの?
どうして笑うのだろう。傷があるような笑い方で、痛みをこらえるように、どうして。
そんな、見ているだけで苦しくなるような顔をしないでほしい。もっと楽しそうな笑顔が見たい。もっと穏やかに笑っている顔の方が好きだ。
「俺の母親は優しいひとだったが――父親は悪党だったよ」
その理由を彼は教えてくれない。
聞いてもはぐらかされるような気がして、ソニアは深く尋ねることができなかった。
クロードの心に刻まれた傷は塞がっている。でも、その傷はソニアが思っていた以上に大きくて――傷が塞がっても痛みは忘れられるものじゃない。




